『努力する』というスキル。

死ぬ前に反省しよう
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『人生をゲームでたとえてみよう』。第一弾w

 

日本人の半分がもっている『努力する』というスキル。

なぜ半分なのかというと

『学校で教わる』から。

 

『学校で教わること』って『生存には関係ない』ことが多い。

つまりは『勉強しないと、身につかないこと』。

 

それを『平均点まで身につけた』のなら

それは『努力をしたから』であり『努力するスキル』を持っている。

 

こういう計算です。

というか、私の言いがかりですw

 

『平均点』→『偏差値50前後以上』ですね。

 

 

この『学生の時代』に『努力するスキル』を入手しておかないと

人生でなかなか入手できなくなる、大人にとってはレアスキル。

 

『努力する』スキルと同時に取得しやすいのが

『客観視』スキル。

 

なぜなら『他人と比べて自分が平均以上になりたい』というよくがなければ

学校で『平均以上の成績をとれない』から。

 

勉強なんてどうだっていい、って人は

学業が平均未満だし、客観視も殆ど持っていない。

 

ただし、『客観視』自体は子供の頃に

『ナニカのサークル』に入ることによって取得もできる。

 

  • 学校
  • クラス
  • 部活
  • 地域交流

 

この『地域交流』には

『不良グループ』とか『暴走族』とかも含まれる。

 

子供に向かって『あの人と比べたらお前は~』とかいう親に育てられると

客観視が育ちやすい。

 

ただし、『客観視』はプラスとマイナスがあるスキルで

マイナススキルとして取得すると

『私なんてだめなんだ……』になる。

 

 

高度経済成長期。

政治家は『大量生産』したかった。

だから

  • 上司の言うことをきいて
  • 文句も言わず
  • 黙々と作業してくれる。

そういう『工員』を学校で育てた。

 

だから、『意味不明な長文暗記』とか

『煩雑な数学の問題』とかを学ばせた。

 

『面白くない』状態でも

『もくもくと作業を続ける』ことができる

  • 努力する
  • 忍耐力がある
  • 黙って作業する
  • 記憶力がよい

これらのスキルを国民につけたかったから。

 

これは成功して

日本は戦後、世界にあり得ないほどバク上がりの好景気を作り上げた。

 

そして、『発展途上期』を乗り越えた日本は

『維持期』に入った。

 

維持はできた。

だって国民は『黙々と働き続ける』から。

 

ただ、『黙々と』しているので

『新しいアイデア』が出なくなった。

 

 

だから政府は『才能を伸ばす』とか銘打って

『考えて発言する』国民を育てようとしているあいだに

バブル崩壊して現在に至る。

 

世界有数の発展を遂げた日本は

世界で唯一、長期デフレという経済状態を作り出したw

 

『ゆとり教育』政策が『成功した』人達は下記のスキルを入手した。

  • アイデアを次から次に思いつく。
  • 自分のアイデアをテキスト化できる(発言する)。
  • 誰とでも仲よくできる。
  • ほどほどに努力できる。
  • 思い白いことに夢中になり、そのジャンルのトップに立つ。

そうじて、『漁夫の利』をとることが巧い。

 

『失敗した』人達は下記のスキルを入手した。

  • 集中力が短い。
    • アイデアを求められても期待に応えられなかったため考えることを放棄した。
  • 想像力の欠如。
    • 敏捷性に欠けていたために『成功者』に発言をとられた機会損失により能力が育たなかった。
  • ボッチ
    • 『社交性が高い』ことが褒められる原因となったので『独立独歩』の人は悪印象を持たれた。
    • 実際には『孤独でも努力できる』という崇高なスキル。
  • なかなか努力できない。
    • 集中力が短いために、努力すること自体が難しいか思いつかない。
  • 夢中になるものがないために人生を生きていくのが苦痛になる。

これらの人達は『孤独でも努力できる』という崇高なスキルに着目すれば

一躍、人生が普通モードになる。

 

でも、大体は『ボッチハズカシ』でさげすまれ

自分も『自分はだめなんだ』と思うから

人生がハードモードのままになってしまう。

 

社交力がある人を褒めるのはいいけど

社交力がない人をさげすむ風潮がいけない。

 

 

 

『全員が黙々と努力する』ことは『物理的に可能』。

なぜなら『発言しない』から。

たとえば、クラスの全員が、

それぞれジクソーパズルを黙々と作り上げるとかは『可能』なんだ。

 

『青一色のジグソーパズル』を完成させる。

そういう『精神性』が、発展途上のときは尊ばれれた。

 

 

『全員の想像力を均等に伸ばす』ということは『物理的に不可能』なんだ。

なぜなら

『発言』しないと、『アイデアは採用』してもらえない。

『自分のアイデアが採用された』からこそやる気になるのであって

子供のうちに『自分のアイデアが不採用』だと『却下』されれば、次のアイデアは出さないという『逃げ』をとる。

 

そもそもが『発言の機会』は平等ではないし

『発言した中からしか』『採用』されないから

『想像力を伸ばせる』子供なんて、一人握り。

 

一年間のクラスの授業で

『全員が自分のアイデアを発言する』ということそのものが

ほぼ物理的に不可能。

 

全授業をそれに割り当てたとして

今度は『全生徒の吟味して、よい方向へ導く』なんてことが

担任一人ではムリ。

 

おのずと『教師が理解しやすい才能』の子供しか

成長できない状況になる。

 

 

そして『黙々と努力すること』は教えないから

『成功した子供』以外は『努力するスキル』すら入手できない。

 

そういう事態になっている。

 

 

『努力する』というスキルを

学校で習得できなくなった子供たちが

どれだけ就職に困難を来し

社会が混乱したかはご覧の通り。

 

 

みんなが『楽(努力しない)』に流れ込み

努力していたら『意識高い系』とか嘲笑される。

 

 

発展途上のときは『血反吐をはいて努力する主人公』が絶賛されたけど

今は『なろう系』とか言われて

異世界で『貰ったスキルで無双する』主人公がもてはやされる。

 

スポーツ漫画ですら

主人公が『こんな技をもってたんだよ』って

突然、『努力なし』に無双するww

 

私は、『Dドライブ』とか言われた瞬間

あの漫画を読むのやめたんだよねw

 

編集たちの対談でも言われていた。

『主人公が努力するさまを読みたくない』という

読者の声が多いらしい。

 

努力は自分がしているから

漫画の中でぐらいは夢を見たい。

 

そういうことらしい。

 

 

だからみんな『努力する』ことはしてるんだ。

でも『努力するスキル』を持っていないから

『努力する』ことそのものが大変なんだよ。

 

 

殆どの人は『すでに努力をしてる』から

『努力するスキル』を『入手可能』なんだけど

『努力するスキル』が『あることを知らない』から

入手できてないんだよね。

 

取得ポイントはたくさんあるのに、

スキルにポイントを割り振っていない、という状態。

 

 

そして『いやいや努力する』と『スキルポイント』はたまりにくい。

 

 

「私なんか、俺なんか」とか思わずに

「私は頑張ってきた。これからも楽しんでがんばる」

そう、あなたの人生に対して『言えた』ら

『努力するスキル』は入手可能だと思うの。

 

 

私は頑張ってきたよ。

私は努力してきたよ。

私はたくさん努力してきたよ。

 

そのことに『気付く』ことをして

『自分を褒める』ことをしよう。

 

今日までの私、お疲れさまでした。

明日も一日楽しもう!

 

 

『人生の成功者』って、金銭だけではなく

『人生を楽しんだ人』なんだよ。

 

 

『ボランティア活動』をするのがいい、ってそういうことなんだよね。

『ありがとう』って言ってもらえるから。

 

満員電車で騎士を気取って、

隣にいる女の子や年輩の人に重圧がかからないようにかばってあげるとか。

自分が開けたドアをちょっと支えて、次に来る人を通して上げるとか。

 

『一日一善』ってそういうことでいいんだよ。

 

『自分にとってよいこと』はなかったかもしれない。

他の人は気付いてくれないかもしれない。

でも、自分がされたら『少し嬉しいこと』を『ヒトサマにしてあげられた』。

 

これって、『自尊心がバク上がり』するんだよ。

だから人はボランティア活動をするの。

 

 

コンビニで、一円玉を募金箱に入れるのでもいい。

家の前を、お隣の人の分まで掃除するのでもいい。

自分のものではないゴミを拾って捨てるのでもいい。

 

そんな『ちょっとの努力』で、自尊心は回復するから

『息がつけるようになる』んだよ。

 

 

『仕事をどうやってさぼろうか』という『マインド』は

『社長からどうやって給料を泥棒してやろうか』ってことだよね?

 

『泥棒してやろう』って『普通は思わない』でしょ?

でも『どうやってさぼろうか?』って『普通に思う』よね?

 

その『マインド』が

『あなた自身を傷つけている』んだよ。

 

だって『月給を貰っている』のに

『さぼる』というのは

『給料泥棒』ってことなんだから。

 

人は大体が『性善説』でできてるんだ。

 

『余裕があるなら助けたい』でしょ?

でも、本当は逆でね。

『助けたから余裕ができる』んだよ。

 

だって『人を助けられる俺カッコイー!』って『思える』でしょう?

『自分のことをカッコイー!』って思ったら

それは『自尊心が高くなる』でしょ?

 

『自尊心が高くなる』から『自分を大事にできる』でしょ?

『自分を大事にできる』から『休養』をちゃんととれるでしょ?

休養をちゃんととれるから疲労回復で来て

疲労回復できるから元気になって

元気になるからいろんなことができるようになる。

 

 

『ありがとう』って一言でもいいんだよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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