クララが立った! 母編。

クララが立った! 母編。糖質制限ダイエットや健康増進
この記事は約28分で読めます。

クララが立った! 私の母編。

 

私の母は、他人とのコミュにケーションが困難で、

こだわりが強くて、聴覚と嗅覚が凄くて、運動がぎこちない。

 

アスペルガーの症状にけっこう当てはまると気付いたのは、2018年ぐらい。

 

診断は受けていないので明言は避けるけど

『母がアスペルガーではないか?』というのを前提に母と付き合いだして、

私はすごく楽になった。

 

とにかく『母と意志の疎通をする』ことが凄く大変。

 

自慢じゃないけど、私は小説家なので

いろんなキャラクターを描く手前、

色々な喋り方ができる。

 

そのいろんなのを駆使して母と会話する必要があるんだ。

凄く疲れる。

 

そういう事情の中、母がここ十年、膝が悪化して

歩くのが困難になった。

 

母がいつ死ぬかという不安。

膝を怪我した母は、元々歩くのが超スローなのに、もっとスローになった。

『歩ける』ので、まだマシだけど。

 

大阪に居たときはずっと平地だったので、

その母のペースに付き合うのが凄くつらくて散歩に難儀した。

 

山の中に引っ越してきてからは、坂を歩くことなるので

平地よりは負荷が高いから、マシだけど

母のスピードに合わせると、汗もかかないので、

私の運動になっているのか疑問になる。

 

それは父も一緒。

母と歩くのを父も嫌がっている。

 

私が歩くと五分で往復できる坂を、母と歩くと30分かかる。

 

私が一人で歩いたら軽く三往復できるのに!

 

私も引っ越してから足を二回捻挫して歩けなくなった時期があり

『自分の回復を優先』しているあいだは

母に合わせて歩くことが我慢できなくて、

母との散歩をやめてた。

 

こういうときこそゆっくり、母に合わせて歩けばよかったのだけれど

そういう精神的余裕がなかった。

 

なぜなら『母のだらだら喋り』が私には苦痛だから。

 

それと、その時、私はアメリカの会社との初めての取引が始まっていて

英語が片言なのに全部英語でやりとりなんだ!

しかもリテイクが重なって、発狂寸前になってた。

 

私の作った3Dの日本刀を、

アメリカのDAZ3Dというデータ販売会社で販売している。

AW Katana KasenKanesada by: A_Waka, 3D Models by Daz 3D

日本刀、歌仙兼定レプリカ。AW Katana KasenKanesada | DAZカテゴリ一覧

結果的に販売開始はできたけど、ソレは結果論であって

かなり時間がかかっていた。

 

とてもじゃないけど、母に付き合える気分じゃなかったんだ。

 

  1. ストレスで過食になって
  2. 過食になるから太って
  3. 太るからストレスを受けて
  4. さらに食べて……

 

そんな悪循環を繰り返していた。

 

そして、そんな状態なのに二回も足を捻挫して

歩くことすら私自身ができなくなっていた!

 

 

その間、母は散歩することもなく

洗濯と食事の用意が終わると布団で寝てしまう。

 

ヨボヨボと元気がなくなって、いつ『起きてこないか』と

その不安でもストレスがかかった。

 

そして、アメリカとの会社DAZ3Dとの取引は却下で終わった。

半年以上頑張ったのに!

 

でも、とにかく、審査にはとおって、契約書も交わしているので

第一作を日本刀にするのはあきらめて、

別の作品を登録して、一息ついた。

 

 

それから、私の体力練成を再開。

その半年後、却下された日本刀の作り直しをし、

日本刀が販売開始された!

 

そこでようやく、私に余裕が出た。

 

母と付き合う、余裕ができた。

 

『母が今日、起きてこないかも(ガクブル)』

そんなことを考えるよりは、

『母に密着』して、『起こしに行けばいい』んだ。

 

一端、『早朝の散歩』に母を連れ出したけど

これはうまくいかなかった。

 

母が動かなくなったから。

三日ほど、布団から出てこない母を凄く心配した。

 

『クロノタイプ』という、性格診断?方法がある。

 

私と父は朝型で、母は夜型なんだ。

それもあって、余計に母と生活を合わせるのがきつい。

 

そして、父は『私が朝型』なために、

『人間はみんな朝型』だと思っていて

朝起きられない母を『怠慢』だと断じている。

 

これらは、『母は私達と違う生活サイクルを持っているから』とか

色々、半年ぐらいで四回ほど説明して

どうにか父は呑み込んだ……かもしれない。

 

父も、仕事が忙しくて母と向き合っていなかったんだ。

 

 

とにかく、私だけ朝散歩をして、母を朝誘うのはやめた。

昼過ぎとか夕方に母と散歩することにした。

 

私が歩くと5分の距離を、母と半時間。

ゆっっっくり、歩く。

 

どれぐらいゆっくりかと言うと

スマホのメトロノームアプリで拍をとって、

下り坂が64ぐらい。

のぼりは、43ぐらいになることもある。

 

ちなみに私は上りでも、72ぐらいだ。

一緒にあるくのがどれぐらい苦痛か、想像してほしい。

 

 

しかも、母は『自分の歩くのが遅い』なんて自覚をしていない。

だから父と一緒に歩いたときに

父の歩数が母の倍近くあることで

『父はこちょこちょ小股で歩くから』と数年前から言っていた。

 

父の散歩に付き合ったことのある私は

父の歩く速さについていけなくて小走りになっていたので

『父が小股で歩く?』ということが常々疑問だった。

 

 

『母の速度』に合わせるために

父は、『自分の歩くペースを変えられない』から

歩幅を小さくして、こちょこちょ歩くしかなかったんだ。

 

それを、母に説明して理解してもらうのに三年かかったww

 

自分の歩く速度が遅いとも思ってないし

父が自分に合わせてくれる、とも思ってない。

母のその様子が、父や私をさらにいらだたせた。

 

 

とりあえず、山に引っ越してきたあと、

『家を出ていなかった母』は『ご近所の話』をしなくなっていた。

 

近所づきあいが減って

大きな庭で畑仕事をしだすと

畑の話とか、植物の話がメインになった。

 

そういう話は、私もうんうんと聞けるんだ。

母のする話をなんでもかんでも嫌っているわけではない。

私は、『他人の噂話』が嫌いなだけなんだ。

 

しかも、母はかい摘んで覚えているから

要領を得ないのもイライラする。

そもそも『会話にならない』んだから『話をする』とか

超絶技巧が必要だったんだよ!

私にだけ負担をかけた超絶技巧が!

 

 

 

 

『ゆっくり歩く』というのは

『ちゃんと意識する』ことで『筋トレ』になる。

 

そもそもが、11%以上の坂なので

『歩くだけで筋トレ』になるんだw

 

 

ご近所の老人も両手にストックをもって

この坂を登り降りしている。

「この坂が登れなくなったらここで生きていけないから」

ソレを引越しか当初に効いているので

母も『この坂を登攀する』こと自体は、嫌がらなかった。

 

 

この坂になれたら『上の坂』があるので、運動にはことかかない。

(2) 晶山嵐★一日一食。ライター&モデラー&ブロガー&ツクラー。瞑想と筋トレで目覚める晴耕雨読さんはTwitterを使っています: 「うちの家の『上の坂』こんな感じ。 写真で怖さがわかるかな? https://t.co/TsyWx7aQfW https://t.co/tKhW8QuOjI」 / Twitter

ちなみに、私はこの坂を、

二年前は10分かけて10回休憩しないと登れなかったけど

今は、休憩ナシで一分で上がれる。

 

『したの坂』を歩けるだけでそれだけの筋力は鍛えられるんだ。

 

 

それを、母に合わせてゆっくり歩くことで

さらに『反動をつけずに歩く』から、超筋トレになる。

 

これは引越しから二年後、

私が、普通にサクサクと二時間歩けるようになったことで

証明された。

それは、また、あとの話。

 

とにかく、畑の話しかしない母との散歩は、

苦痛ではなくなっていた。

 

母は『努力しない人』だと思ってた

『自己啓発』というのは、

『今の自分ではだめだ!』と『思った人』だけがするもの。

 

あんた、色々だめだから自己啓発でもすれば?

とか、他人に言われたって

『自分がだめだ』と思ってなければ、やらない。

 

母には理屈が通用しない。

膝詰めして『それはいやだからやめて』と言ってもやめてくれない。

でも、『私がヒスを起こして怒鳴りつける』と『やめる』ことがある。

 

『怒る』なんて疲れるだけだから極力したくないけど

母は、『私の方法で説明してもわからない』んだ。

 

『私に感情をぶつけられて初めて』

『そんなにいやなら……』愛する娘のためにしないようにする、という

そんな判断っぽい。

 

 

そこまで我慢すると、私の精神状態に寄っては

殺してやりたくなるので

できれば『説明』の段階で理解してほしいんだ。

 

母は他人に感情移入することがないから

怪談も怖がらないし、『泣く話』でも泣かない。

 

ひどい境遇の人をテレビで知ると『かわいそうに』とはいうけど

別段、そういう人たちに寄付をすることもない。

 

食事のあとに、カーッと15分ほど眠る父を見て

「すぐ眠れていいね。私なんか、眠りたくても眠れないのに」といつも言うけど

母こそ、食後の昼寝は四時間ほどしてる。

 

昼間四時間も昼寝していたら、夜眠れなくて当然なのに

『昼寝なんてしてない!』と50年間強情を張り続けた。

 

『昼寝をしていること』を『責めてはいない』んだよ。

『昼寝を四時間してるから、夜眠れないんだよ』って言ってるだけなのに

それを『全否定』する。

 

『寝てない! 眠れない!』という自己催眠を

50年間かけ続けてるんだ。

そりゃ眠れないよ。

 

そして、四時間もこたつで『寝返りも打たずに寝た』ら

体がきしむに決まってる。

 

 

 

病院でも『夜眠れないんです』って先生に言ってたから

『昼寝を四時間もしてるからだから』って私が言ったら

また全否定。

 

先生も『昼寝を四時間もしたら夜眠れなくても仕方ない』って言ってた。

そりゃそうだよ。

 

 

 

家族三人で、後期高齢者が二人、一日一食が二人いるのに

180リットルの冷蔵庫が常にまんたん。

 

つまりは、大量の食材を『捨ててる』んだけど

私が『食べもの捨ててるでしょ?』って聞いたらそれも全否定

 

冷蔵庫に納豆が10パックあるのに、

スーパーに行くたびに買うから、

30パックぐらいになって、古いのを捨てたとか言う。

 

捨ててないって言ったやん?

 

ウソをつくようになったら、信じられないからやめてほしい。

 

 

ただ、『私の言い方』にもよると思うので

しばらく言わないようにしていたら、

自然と冷蔵庫の中身は減っていった。

 

私がとげを出したから甲羅を硬くしてるだけなんだ。

 

ただ、ワケのわかんないことを30年以上言われ続けているので

母に対して好印象が持てないんだよ。

 

何十年主婦をしていて、

  • 冷蔵庫の中身を把握できないんだ?
  • 家族の食べる量を把握できないんだ?
  • 自分の買い物がおかしいと気付かないんだ?
  • 食べものを捨てていることを『気にしない』んだ?

 

それで『金がない』って言われたって知るか! って話。

「そりゃ食べものを半分以上捨ててたら、

 お金もなくなるよ」ってこともわからない。

 

何百万円分捨ててたと思うよ。

 

三年間かけて「食事を減らして」って言い続けてようやく

減ってきたけど、

減ったから言わなくなったらまた増えた。

 

散歩がてら、母のスーパーへの買い物についていって

買い物を制限させたらストレスをためる。

 

そりゃそうだろう。

『買うこと』でストレス発散してたんだろうから。

 

服をたくさん買って、置き場所がなくなってゴミ屋敷になるよりは

こっそり食べものを捨ててくれてる方が

『同じ浪費する』なら、マシなのかもしれない。

 

 

でも、年金生活しているのに、そんなことしてたら破綻するでしょ。

お金を使わないストレス発散を覚えてほしい。

 

家で『今、ご飯を炊いている』のに

パンとトウモロコシを買おうとするのは本当にやめてほしい。

しかも、三日分炊くくせに。

 

一日一食なんだから、

まずは今日はご飯を食べる。

ご飯を炊いていないときにパンを買う。

ご飯を炊いていないときにトウモロコシを買う。

 

それなら文句は言わないんだよ。

 

トウモロコシなんて、数日もつから今買ってもいいやん、と思うかもしれない。

数日持つなら、数日後に新鮮なのをスーパーで買えばいいやん?

 

なんで、わざわざ、『今日食べないとわかってる』のに

昼間の『投げ売りじゃない時間帯の価格』で買って

家で鮮度を落とさないといけないの?

 

毎日スーパーに行ってるのに。

 

四日後に食べるパンなら、四日後に買ってください。

四日後に食べるトウモロコシなら四日後に買ってください。

 

母がトウモロコシを手にとったから

「炊飯器にご飯が満タンだよ。

 今トウモロコシ買ったらいつ食べるの?」

そう聞いたら、そっとトウモロコシを棚に返した。

 

よろしい!

 

『必要なもの』じゃなくて『買いたいもの』を買う癖を

母は50年間放置してきたんだ。

 

『自分が買いすぎていること』を『何も気にしなかった』から。

 

こういう人って『自己啓発』なんて気にしないから

『50年間進歩しない』んだよ。

 

母と付き合うのがつらいために距離を取ってたから

母がこんなことになってるとか、全然知らなかった。

 

ただ、私が実家に帰ったら

『後期高齢者二人』しかいないのに

『180リットルの冷蔵庫が満タン!』だったことに

私が恐怖を覚えたんだ。

 

私の母は『食べものの買い方が病的におかしい!』。

前から気付いては居たけど、

それを、ようやく確信した。

 

父にも聞いてみたら、気にはなってたけど放置していたらしい。

『母がしたいこと』だから。

 

そういうのは優しさって言わないんだよ!

 

『減らして』っていっても聞かないから

私が大量に99%チョコをニキロとか買って

冷蔵庫の奥に詰め込んだ。

 

最初のうちは『チョコがあるから入らへん!』とか

イライラしてたみたいだけど

『買いすぎなんだ』と何度も何度も言い続けたら

何も言わなくなった。

 

チョコは家族三人、お茶の時に

ホットチョコにして飲んでたんだ。

 

だから、母も『チョコの数』はわかっていたと『思ってた』。

 

ある日、チョコが切れたから、『チョコ出して』と言ったら

「もうないよ」って母は言った。

 

ニキロ買ったのにもうなくなったのか。

たくさん飲んだんだな……と思ってた私が甘かった!!

 

引越しの時に、冷蔵庫の奥から

チョコが3袋出てきた!!

 

10年前のチョコ!

冷蔵庫の奥にあったのに、母が『ない』と言ったチョコ!

 

こんなんだから、『母の言葉』が何一つ信用できない。

 

チョコは今も私が毎日ちょっとずつ飲んでます。

私は賞味期限とか気にしないので全然かまわない。

 

 

大阪から山に引越した時も、

父や手伝いに来てくれた人が怒るぐらい、

母は盛大な邪魔をしてくれたw

またそれは、引越しの記事でww

 

本当に頭がおかしいんだな、って、さらに確信した。

 

山に引っ越して一年半。

  • 母の食は細くなり、
  • 長々と昼寝をして
  • 昼まで寝室から出てこない。

 

散歩に引っ張りだしてみたけど、そのうち断られだして誘わなくなった。

 

でも、『歩けなくなった』ら、今より大変!

 

この『山の家』は10年以上前の

『家の中の段差がモダン』だった時代のものなので

バリアフリーとか全然ないんだよ。

わざと段差がつけてあるんだから!

 

 

『一日30分は母のため』に散歩をした方が

『あとの私が楽』だと思ったので、とにかく散歩に連れ出した。

 

自分のためですよ。そうですよ。

それがモチベーションになっちゃいけませんか?

 

母が『完全に歩けなくなった』ら、

『一日30分の手間』では済まないんだから。

今、『なるべく、遅くまで歩いてもらう手間』をとったほうがいいんだよ。

 

本人だって、車椅子で生活したいわけじゃないんだから。

 

歩けるうちに歩いておかないと

歩けなくなったらもう、半身不随になっちゃうんだよ!

 

でも、とにかく、母が、動かなくなった。

 

『誰かと一緒』じゃないと『せいがない』といって歩かない。

私は、前述の『アメリカとの会社のストレス』で、

母につきあってられなくなったときに、母はまったく動かなくなった。

 

私も父も、『一人でも散歩に行く』のに、なぜ母はそれができないんだ!

自分のためなのに!!

 

それがまず、私も父も理解できない。

 

なんで私が、私の運動にならないことに、

毎日半時間もついやさなきゃいけないんだっ!!!

 

母が勝手に歩いてくれたらそんな手間要らないのに!

父は毎日一時間、朝晩歩いているのに

母と歩いてはくれない!

 

『お前とやったら散歩行ってくれるから、母を誘ってやってくれな』

お前がやれよ!

お前の嫁だろっ!

 

どっちも、年金生活でなんの仕事もしてないのに

なんで仕事してる私が時間をとらなきゃいけないんだよ!!!

 

 

 

『せいがない』とかワガママいうな! 自分の健康のためやろ!

一人で歩けや!

ふざけてんちゃうで!

車椅子になりたいんか!

 

 

と、車の中で怒鳴った。

 

いつもなら止める父が、とめなかった。

 

相変わらず、私が怒鳴ると、母はしばらく言うことを聞く。

 

怒鳴る前に何回も説明してるんだから

そこで聞き入れてくれたら

こんな不愉快なことしなくて済むのに。

 

怒鳴るとか、怒るとか、私も疲れるからいやなんだよ。

不愉快なんだよ。

自分の身内に腹を立てるとか、したくないんだよ。

 

そんなときに丁度『ガッテン』で『朝たん』をやってくれた!

喜びいさんで両親に見せた。

 

父をどうやって『糖質制限』に連れて行こうかと思っていたので

丁度良かった。

すでにこのころ、父も『米』をあまり食べなくなってたんだ。

 

私と母が糖質制限しているからw

 

私が『血液検査』で『米やパンを食べたらLODが上がる』というのを

実証して見せたから。

 

そしてこの『ガッテンの朝たん』の放送のおかげで

『蛋白質を朝食べないといけない』ということに

両親とも、納得してくれた。

 

野菜しか食べなかった母が

『蛋白質が必要』ということをガッテンしてくれた!!!

ガッテンありがとうっ!

 

 

『ガッテン』は、私が見ると、早送りして五分で終わる番組だけど

とろいぐらいエビデンスを出して丁寧に説明してくれるので

『後期高齢者に納得してもらう』には、いい番組だったんだよ。

終わったなんて本当に残念。

 

とにかく、その放送を見ながら、家族で話し合いをして

父は、『朝のトースト』を『オムレツ』に変更してくれた。

 

紆余曲折あって、母は『ゆで卵』をおやつに追加。

 

明らかに『歩ける』ようになった!!

やっぱり、蛋白質が足りないから筋肉が弱って動けなかったんだ。

 

ゆで卵などで蛋白質をとれば、
『後期高齢者』でも『歩きやすくなる』。

それが、『後期高齢者の母』で実証できた!

 

母が協力的になったので、私もまた

母と半時間の散歩を継続した。

 

 

母は凄い外股だった。

『直立不動!』の時に、爪先が『ハの字に開く』よね?

あれぐらい、爪先を開いて歩いてたんだよ。

 

そりゃ、膝に悪いよね。

 

若いときにモデルの知人に言われたんだ。

「ランコさん、爪先が開いてるから凄い疲れてるでしょう?

休みましょうか?」って。

 

わかい人でも、疲れると爪先は開くんだよ。

だから、母が爪先開いているのは当然なんだ。

 

今まで爪先に気付かずに歩いてて、疲れてるんだから。

でも、爪先が開いてると、膝の向きと爪先が違うから

膝に負担がかかるの。

 

だから、膝が悪くなるんだよ。

 

膝が向いている方向に爪先を向けよう。

膝がそれで治ることはないかもしれないけど

これ以上の悪化をさけるために。

 

そう言うことを切々と説明して

散歩のたびに毎日『内股しよう』って言い続けて

今は、右足は、ほぼまっすぐ向くようになった。

三カ月ぐらいかかったかな。

毎日言い続けた。

 

『内股内股』と言い続けて

かなりに足をまっすぐに出すようになってくれた。

 

『毎日言い続ける』となおるのは

『食べものを買うのを減らして』と言い続けたときと一緒。

 

『手をかけつづける』となおしてくれるけど

それは結局『言われたからやる』であって

言わなくなったらやらないんだ。

 

つまりは『自分では悪いと思ってない』んだよ。

そこが面倒臭くて、たまに腹が立つ。

 

『なんで一人でできないのか?』と

子供でも無いのに。

 

ただ、私も婦人科の女医さんに言われたんだ。

 

 

頑張ろうと思っても、もう老化してるんです。

昔ほど元気にはできないんですよ?

昔と同じことはできないんです。

老化を受け入れましょう。

 

 

それを言われたとき、私は、診察室で泣いた。

 

どう努力しても、もう『向上できない』ということを突きつけられて

泣いた。

 

悔しかった。

悲しかった。

 

もっと若いときから運動をしていれば、今もっと元気だったのに!!!

自分のふがいなさに泣いた。

 

父が昔から朝晩散歩してた。

それを私は『よくやるよ』と嘲笑してたんだ。

 

母は私よりもっと『疲れている』から、

できないことはわかる。

 

でも

『努力する素振り』を見せてほしかった。

 

『努力しない人』に付き合っているのが、

ただただ、わびしかった。

 

頼むから、

一人で散歩してください。

 

ただ、それだけなのに、なぜ、できないのか。

 

『朝たん』で母が『ゆで卵』を食べるまでも

一か月ぐらい試行錯誤があった。

 

私は『生卵を三つ』、殻を口の上で割って

生のママつるんと食べてしまう。

容器もいらないし、洗い物もない。

 

私はそれで平気だから

『生卵が食べられない』という母の『気分』がまったくわからない。

 

 

朝、20グラムの蛋白質、なら、生卵三つでいける。

『蛋白質』という点では、卵が一番コスパいい。

 

豆乳で20グラムの蛋白質をとるには

500ミリリットル飲まなきゃいけない。

それだけ飲むのがまず大変だし

卵と比べると価格は10倍ぐらいになる。

(のちに、卵だとコレステロールがあがるから

 私も豆乳にチェンジした)

 

 

卵は一日一個まで、というコレステロール神話もなくなったから

三つ食べることは問題ない。

 

母が生卵丸飲みはイヤだという。

だから、ミルクセーキにしてみたら

三日は『美味しい』といって飲んでいたのに、

四日目から『生臭い』とか言い出した。

 

同じパックの同じ卵だよ! 作り方も一緒だよ!

 

その時初めて『生卵が嫌い』と聞いた。

一日目に言えや!!!

しかも、作って出してからいうな!

昨日まで美味しいって食べてたのはなんやねん!

 

そのくせ、食事も野菜バッカリで、豆すら殆ど食べない。

 

『朝、蛋白質を20グラムとろう』ってのは、

家族での合意やろ!

 

イヤなら自分で『食べられる蛋白質』を見付けろよ!

 

イヤだイヤだは幼稚園児でも言えるねん!

大人なら代わりの手段を自分で見付けろや!

ふざけんな!

 

 

また私が切れた。

 

母は『自分が好きなもの』が『わからない人』なんだ。

漫画『セブンシーズ』の主人公みたいに

『自分の意志を表明しない』んだよ。

 

それは昔からで、いつも私はイライラしていた。

 

「行く? 行かない?」と聞いているのに

なんか、長文で答えてくる。

しかも、結論は言わない。

「結局行かないの?」と、こっちが結論を言うまで、動かない。

そのうえで『行ってもいいけど……』とか言う。

 

『行きたくない』って言えや!

「イエスかノーや! 真ん中はない!」

 

「食べる? 食べない?」って聞いてるのに、

長文が返って来たらマジでイライラする。

 

これを50年やられたら、母に意見は聞かなくなる。

 

それでも、私は、聞いてきたんだよ。

言質は取る主義だから。

 

でも、言質をとっても、母は平気で裏切ってくる。

「そんなこといってない」が十八番。

 

こうなると、マジで私が切れる。

 

「忘れた」ならかまわないんだよ。

人間は忘れる生き物だから。

 

でも『言ってない』と言われたら

『言ったと言った私』が『嘘つき』になる。

 

嘘つき呼ばわりされたら、黙っていられないから、

ガーッと正論をまくし立てる。

母は黙る。

 

 

母は、『ノー』も『イエス』も言わないし

都合が悪くなると何も言わなくなるし

自分の非を認めない。

 

母の口から『ゴメン』って聞いたことはほぼない。

 

地上波の『ホンマでっか』で法律家の女の人が

「謝りませんよ。だって私は悪くないですもん」って言ってるのを聞いて

ああ、母もこう思ってるんだろうな、と思った。

 

つまりは、母から見たら、私はずっと『無茶を言ってくる怪物』なんだ。

 

お互いの間に信頼感なんてないんだな。

 

赤の他人なら二度と近づかないけど、『私の母』なんだよ。

 

話をもどすけど、ミルクセーキを母が飲まなくなって二週間。

ふと、思いついた。

 

母は、『鍋』に卵を『殻のまま』入れてゆで卵にして出してくる。

 

あっつあつの鍋の中のゆで卵を小皿に拾って

指を汚してむかなきゃいけない。

しかも『殻付き』だから、卵に鍋の味がしみているわけでもない。

私はこれが大嫌いだ。

 

卵は好きだけど、鍋に一緒に入っているゆで卵は本当に腹が立つ。

 

これを、一年間訴え続けてようやくやめてもらった。

卵は入れてほしいけど、割って入れて! 
殻のままとか嫌がらせ?

 

これは結局『殻のままのゆで卵を私が食べない』ということを続けたら

母がようやくやめてくれた。

 

 

私はゆで卵が嫌いだ。

生のまま割ったら、2アクションで済むのに

ゆで卵の殻をむくのが面倒だから。

 

 

もしかして、母って、ゆで卵好きなの?

なんか、無言だったけど、母の周りに『イエス』が見えた。

 

そりゃそうだ。

ゆで卵がすきじゃなきゃ、なんであんなにしつこく

ゆで卵を出してきたのかと。

 

私が嫌いだったから全然気付かなかった。

 

 

 

じゃあ、『朝たん』だけど

『朝食』じゃなくていいから、

ゆで卵を一日で食べられる分ぐらい作っておいて

それをおやつにするってのはどう?

 

 

そう、私が提案したら、毎日六つぐらいゆで卵を母が作りだした。

 

『朝食べるのはツライ』ということなので

とにかく『一日中のいつかはいくつか卵を食べる』になってる。

 

実際私も、このあとおなかを壊したので

朝たんはほぼやってない。

昼食でがっつり、最初に蛋白質を食べることにしている。

 

 

ようやく、蛋白質について、母が自分の好みを見付けてくれた。

これは結果的に半年経っても続いているので

見付けられて本当に良かった。

 

体力が無いだけだった

ある日、母が私の部屋まできて『今いい?』と言って話をしだした。

 

要約すると『昼寝をしなくてよくなった!』ということらしい。

 

テレビで『昼寝を一時間以上したらぼける』系のことを聞いたみたい。

それが怖くなって、どうしようとおもって

昼寝をしないでいよう! としたら

ふと、昼寝をしなくても午後を過ごせたらしい。

 

これは嬉しがって父に言ってたみたい。

 

昼寝をやめてみたら? って

私もここ何年も言ってたのに……

本当に『娘の言葉は聞かない人』だ。

 

 

ここ三カ月、母とは『坂の下まで』という30分の散歩を毎日やってた。

丁度『朝たん』をやりだしたのもそのころ。

 

つまりは

  1. 『坂の下までの散歩』をする筋肉が
  2. 『朝たん』で育ってきて
  3. 『夜寝たら回復する』疲労度に軽減されたから
  4. 昼寝をしなくても元気でいられた。

 

私は、そう考えた。

『体力を回復させる』というのはこういうこと。 | ポジティブにタスク管理

 

だって、11%の坂を毎日半時間かけて昇り降りしてるんだよ?

それを一年半して楽にならなかったのは

蛋白質の摂取が足りてなかったからだった、というのが

実証されたんだ!

 

ゆで卵をたくさん食べることで

蛋白質が補給されて

『前からしていた坂の登攀』で筋肉ががっちり育ったんだ!

 

 

今では、『車で出かける』ときに

母に先に『坂を下りてもらう』ということをしてもらっている。

 

 

ガッテンで『筋肉をゆるめるときに筋肉が育つ』というのをやってて

(これを父に見せたいけど、録画を消してしまった)

私は『階段や坂を一歩一秒で下りる』をして

がっつり太股に筋肉が育った。

 

父に説明しても今一つ信用してなくて

やってはくれないけど

母には効いたんだ。

 

なぜなら、『母はもともと歩くのが遅い』から

『坂を下りる』ことで『筋肉が育つ速度』だったんだろう。

 

 

そして、『一人で散歩に行く』のがいやなのは

『一人で坂をあがる』のがいやなのだと

最近、母を見ていて思った。

 

 

この坂は前述したように、

私が一日15分歩いているだけでも

大阪にいたときよりはるかに元気になるぐらい

筋トレになる坂なんだ。

 

 

だから、週に三回ぐらい、

出かける時に『坂を全部下りる』だけでも

母にとっては『凄い筋トレ』になると思うの。

 

そしたら、『長時間歩く(有酸素運動)』必要はなくなる。

 

有酸素運動は、所詮は、筋肉が育ちにくいんだ。

というか、有酸素運動は筋肉が落ちる。

 

『平地を歩く』ことは、『坂を歩く』ことに比べれば

そんなたいした運動量ではない。

 

 

筋トレができるなら、短い時間で筋トレした方が

健康コスパは凄く良い。

 

しかも、目の前に都合よく坂があるのだから!

 

だから、言ってみたんだ。

 

 

坂を下りるだけで、筋トレになる。

登らなくていいから。

下りるだけでいいから。

 

 

 

下で車にのって、でかけて、

帰宅は上まで車であがるから

筋トレのために、先に坂を下りてみて。

 

 

登らなくていいから、気分的にらくでしょ?

 

そう言ったら、母は、

楽しそうに坂を下りてくれるようになったんだ!!!

しかも『車より先に下りる』ために

積極的に『先に家を出る』ようになった。

 

これは『出かけるための準備が早くなった』ということ。

 

母は『焦らない人』なので、平気で遅刻をする。

人を待たせても焦らないし

時間に遅れても気にしない。

 

出かけるときに毎回イライラしてしまう。

 

スーパーにでかけるとかはいいけど

旅行で電車の時間が……とかの時も遅刻しそうになったのは

本当に……っっっっ!

 

 

七時半にでかける、といっているのに

七時半にリビングで立ち上がってトイレに行くような人なんだ。

 

だから、父も、常に半時間速くでかけるようにしている。

 

その母が

『車より先に坂を下りなきゃ!』ということで

早め早めに準備をしてくれるようになったんだ!!!ヽ(´▽`)ノ

 

最近の母の進化ぶりは、目を見張るものがある!

 

後期高齢者でも、いつからでも頑張れる!

体力がないから、『一人でせいがない』と運動をしなかっただけだった。

 

蛋白質を摂取しないから、筋肉ができないで

いつまでも疲れているだけだった。

 

 

『蛋白質の摂取』も、

『ゆでたまご』を見付けるまで一か月かかったけど、

今、本当に、リビングにゆで卵が六つぐらい常備されているので

これからの母の蛋白質摂取は大丈夫だろう。

 

 

歩くのも随分早くなってきたし

なによりアクティブになってきたw

 

そろそろ、階段を、交互に下りられるようになるんじゃないかな?

今は、一段ずつ、足を揃えないと下りられないんだ。

 

いっとき、杖をつくようになっていたから

このまま悪化するのかとハラハラしたけど

一週間ほどで杖がいらなくなったので安心した。

 

 

母が『昼寝しなくてもよくなった!』って言ってくれて

そのあと、色々元気になったとき

『クララが立った!』のを見たハイジの気分だった。

 

母は『努力しない人』だったんじゃないんだ

『(物理的に体力がないから)努力できない人』だったんだ。

 

62歳のときだったかな?

介護一級の免許を、誰にも何も言わずにとっちゃう人なんだよ。

 

『努力できない』わけではないと信じてた。

信じてたんだ。

 

まとめ。

『話がつながらない』とかは体力の話ではないので

以前通りだけどw

 

『動くようになってくれた母』は本当に、愛らしいww

 

 

『おやすみ』って言ったらニカッと笑ってくれるようになった。

 

大阪では笑えなかったんだって。

こっちに引っ越してきてしばらくしてから

「なんか久しぶりに笑った気がする」って言ってた母に

泣きそうになった。

 

まだまだ元気でいてください。

 

【この記事を書いた日 2022/04/23 19:47 】

 

この記事で参照したリンク一覧

コメント