母が敵ではないと実感した理由。

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うちの母はトロイ。

私と父は色々似ていて、母が凄く違う。

 

母の考え方は独特で、嫌がらせをされているのか? と思ったことは限りない。

それが私の杞憂だったと分かったので、

実証実験なども含めてメモしておく。

 

家族の気質?

私と父。

  • 超朝型。
    • 私は四時半、父は遅くても六時ごろ起きる。
    • もちろん、夜も速い。
      • 私は19時消灯。
      • 父は21時消灯。
  • 食事にあまり興味がない。
    • まずいのはいやだけど文句は言わない。
    • 食事のために時間は割かない。
    • 食事が不味くてもSAN値は下がらない。
    • とくに父は、味があまりわからない。
      • 父の作る料理は不味い。
      • 私の方がマシだと父も認めているw
  • やるといったらやる。
    • 一人で延々と散歩する。
    • 一人で延々と日曜大工する。
    • 一人で延々と……が、簡単にできる。
    • 毎日掃除すると言えば掃除する。
  • やめると言ったらやめる。
    • 糖質制限すると言ったら、本当に糖質を摂らなくなる。
  • 健康優先。
    • いろんな趣味の中で『健康になる』ことが最優先。
      • 父は若いときから一日朝晩一時間ずつ散歩してる。
  • 歩くのが速い。
    • 歩行ペースが速い。
      • メトロノームの90~120ぐらいのテンポで歩く。
  • パソコンが好き。
  • 日記をずっと続けている。
    • 私も父も数十年、日記を書いてる。
  • イエスノーをはっきり言う。
  • 基本的に時間前行動。
  • どこで、誰が? が大事。
  • 結果が大事。

 

母。

  • 夜型。
    • 深夜二時ぐらいまで起きてる。
  • 食事の味が重要。
    • 高級である必要はないけど、万人受けする味以上でないとダメ。
    • 作る料理も、万人受けする。
      • 焚き出しとかで認められてるし、料理教室を開かされたこともある。
  • やるといってもやらない。
    • 引越しの時に、母も電気自転車を使うなら、と母の分も買ったけど、『そんなこと知らない』と、乗らない。25万円二台!
    • 使うと言ったから電動歯ブラシを買ったのに、やっぱり使わない。
  • やめると言ってもやる。
    • 糖質制限すると言ったけど、毎日甘いもの食べてる。
  • 快楽優先。
    • 『膝の為に歩く』ことを色々やってるけど、『今日はやめる』と、継続性がない。
  • 歩くのが遅い。
    • 歩行ペースが超遅い。
      • メトロノームの60ぐらいのテンポで歩く。
  • パソコンが嫌い。
    • スマホはある程度使ってる。
    • 後期高齢者でスマホを使いこなしているのは凄い。
  • 日記とか無理。
  • 絶対にイエスノーをはっきり言わない。
  • 基本的に時間を考えてない。
    • 遅刻とかじゃなく、時間を気にしていない。
    • 二時に出発すると言ったら、二時にトイレに行ってから着替えを始める。
  • こんなことがあったよ、が大事。
  • 経過が大事。
  • 一人称がおかしい。

 

母「どっかで地震があったんやって~」

私「どこで?」

母「しらん」

 

全部こう。

 

地震なんて毎日起きてるんだから、

私には『どこで』が大事なんだ。

せめて、日本なのかそうでないのか。

友人が居る地域なのか、そうでないのか。

 

母「誰々さんの息子さんが大学一端やって~」

私「どこの大学?」

母「知らん」

 

全部、こうなんだよ!

 

違うねん、私は『誰が、どこが』が大事やねん!

 

だから『母の話』は全部『ポイントが抜けてる』から

聞くだけでイライラするねん!

 

母は『いいたいことを言い切る』人なので

途中で止めると、私の言うことを聞かずに

『最初から』『もう一度全部言う』んだ。

 

そして、『母の言うこと』は『辻褄があっていない』ために

大体において『何を言おうとしているのかがわからない』ので

質問したり、『要するに』と『切り上げる』。

すると、延々と『最初から』放そうとするので

ふい、と私は聞こえないふりをして場を去る。

 

そういことを繰り返した。

 

最後まで聞いても話がわからんのだ!!!

そんなのに半時間も付き合っていられないんだよ!

こっちはこっちで、仕事でイライラしてるのに!

 

仕事の話は私の都合なので母には言わないけど

なぜ、食事の時に言わないのかと。

 

忙しそうにトイレに言って部屋に変える私を

引き止めてまで何を話しているのかと。

 

最近は『どうしてもしたい話』は

二階まで上がってきて『今、いい?』と言って

話始めるようになった。

 

そういうのはかまわないんだ。

だって、私は、そう言うとき、ゲームをするようにしているから。

 

母は『相槌を求めない』ので、

私が『そこにいる』だけで十分なんだ。

 

『一人称がおかしい』

ロボット掃除機に『ボクチャン』と名前をつけて可愛がっている母。

 

その『ボクチャン』は『小さい子供』って感じの意味だと、

私も父も思っていた。

 

違ってたんだ。

 

なぜわかったかと言うと

はえある22年夏。

街をいく『色付きバス』に母は『ワタシ』と名前をつけた。

『ゴミの回収車』には『オレ』と名前をつけた。

 

ロボット掃除機に『ボクチャン』ってつけたのは

『小さい子供』とかじゃなく『一人称』としてつけたの????

 

「わたしが行く~」とか、最初はワタシが混乱したわ!

ちなみに『母の一人称』も『わたし』である。

 

母は頭がおかしい、と私が思った事例の一つだ!

酷いと思わないか? 私だけか?

 

たんに『考え方が違うだけ』か?

斜め上すぎないか?

『ご長樹早押しクイズ』が始まっているのか???

 

ペットに『汎用名詞』をつけるのはどうかといつも思う。

ミルクとかレタスとか

『ミルクがミルク飲んでる』とか、混乱しないの? といつも思う。

別に本人が混乱しないなら私は困らないのでどうでもいいんだけど。

 

『私の中』ては『名前』は

人名やタイトル、グループ名、社名などどれも

『個別名称』であって『ファッション』ではない。

 

私は、真剣に ↓ こういう考えをしている。

 

ペンネームの決め方のせいで売れない可能性もある。 | 小説の書き方-プロ作家が答えます

 

だから、『一般名詞』を『名前にする』とか私は絶対しない。

 

その二つ斜め上を母はやって見せた。

『他人を一人称で呼ぶ』ってどんな神経なん??????

 

「あー、私が行くー」とか

『運転に必死になってる時』に言われたら

めっっっちゃ混乱した。

 

もう今は、『車の中での母の発言は無視』と

心がけているためになんともないけど。

 

私がやることで母はいつも驚いているらしいけど

私も母のやることでいつも驚いていますよ。

ホントに。

 

家族の溝。

  • 母と一緒に歩くと、遅くてイライラする。
  • 食事はおいしいので幸せ♪
  • やるのかやらないのか不明でイライラする。
    • 母の承諾をとるのに数時間~数日かかる。
    • 結果 母に承諾をとらなくなった。
  • 母のせいで、一時間前行動が普通になった。
    • 遅刻しないからいいけど。
    • 旅行とか、朝六時に出発とかザラ。

 

私と母の溝。

私がダイエットを始めた、というと、

私の好物の高カロリーなものをリビングに積み上げる。

 

たとえば、菓子パンとか、ピザパンとか、おにぎりとか。

『アイスを食べない』と言っているのにしつこく食べるように誘う。

 

本当にウザイ!!!

 

でもね、クララが立ったんですわ~♪

 

クララが立った! 母編。 | ポジティブにタスク管理

 

私の生理痛や頭痛を母が『信じなかった』から

私はずっと『嘘つき』扱いされていた。

 

青ざめて脂汗を流して苦しんでるのに

「生理痛がそんなに痛いわけない」と一蹴された。

父があわてて鎮痛剤を買いに走ってくれたぐらいだったのに。

 

この人は私の痛みなんてわからないんだな。

 

女の敵は女だと、私は中学校の頃に学習した。

 

私が髪をアップにすると『うなじをちゃんと剃りや』と言われていた。

イベントの朝に、私の髪形を見て言うので

そこで対処ができず

帰って来たら忘れているために放置。

 

鏡で見ても、別段、うなじが濃い分けでもなた

どこを見て言ってるんだろう、とずっと思ってた。

 

やっと、時間がある時に髪をアップにして

『剃って』と頼んだら

「あんた、うなじ綺麗やなやな。剃る必要ないな」

 

母は、25年もの間。

娘のうなじを一度も確認せず

『うなじを綺麗にしろ』と言い続けたということだ。

 

他のことも全部そう。

 

ああ、この人の言うことを真に受けちゃいけないんだな。

頭オカシイな、私の母は。

 

私が20代の頃にそう思った。

 

家族三人で食べきれない量の食材を買ってくる。

大量に廃棄しているはずなのに『捨ててない』と言い張る。

でも、『腐ったから捨てた』とぽろっと言って

「捨ててないって言ってたよね?」というと『無言』。

 

意図して嘘をつくようになったらもう信用できない。

 

私は子供の頃から肥満って程じゃないけど太っていて、

痩せるのに苦労して

ダイエットしたら母に邪魔されて

しかも、子供の頃は

『ちょっと残すのは「ネコワケ」って言って、一番嫌われるねんで』と

『食事を残すこと』を『許されなかった』。

 

常に満腹で、私も父も食後は気持ち悪くてしんどかったんだ。

毎日、毎年、何十年も、つらかったんだよ!

食事がおいしいからまだましだったけど、

ずっと『膨満感』に苦しまされてたんだ。

 

そして、私が40代位の時、母はポロッと暴露した。

 

三人しかおらんでも、四人前を買って出してたから

凄い量になってたよね。

 

え?

どういうことなん?

 

『量が多すぎた』ってわかってたのに

『残すのを許さなかった』の?

私らが太るの当然やん?

 

わざと太らせて、

私がダイエットしようとしたら邪魔して

何がしたかったん?

 

娘が痩せたいって言ってるのに、大量に食べさせて

何が嬉しかったんや!!

 

母は『無言』だった。

 

『ねこわけ』だって、今調べたら、そんな言葉、ネット検索で出ない。

数十年言われてたのに、40年経って、初めて検索した。

 

まだ、『母の魔法』にかかっていたらしい。

『母の言うことは正しい』そんな魔法。

 

お母さんは魔法使い。 | ポジティブにタスク管理

 

『ねこわけ~』は、たんに母が

『作ったものを残されたくなかった』だけだったんだ。

たくさんの量を作っておいて。

 

餃子四人前を大皿に出して、あとは味噌汁とご飯。

そうじゃないんだよ。

毎日七品ぐらい出すんだよ。

その全部が『四人分』なんだよ!

 

果物なんて、リンゴとか桃とかでも『一人一個』だよ。

『四人分』を残すのを許されなかったあとで

さらにフルーツが出てくるんだよ!

 

『せっかく剥いたのに』って残すのを許されないんだよ!

『四人前』の夕食の後にリンゴ一個食べられる?

 

毎日、夕食あとは青生き吐息だよ。

胃が満タンだから、まっすぐにねてるしかできず

ただ、リビングでトドのように

転がってテレビを見てるしかできなかった。

 

一人分よりはるかに多い量を作っておいて、

『食べさせられてた』んだよ、私達は。

 

それを友人に話したら『虐待やん』って言われた。

 

泣いたよ。

 

虐待されてたのか、私達は……って。

 

母は、悪気があったわけじゃなかった。

 

だから、

もうちょっと早く問い詰めていたら、

あの苦しみはなかったのか、って。

 

なんで、疑問持たずにははの『ネコワケ』を信じていたのか、と。

出されるものを『断る』ことをしなかったのかと。

 

私も父も、『反論しなかった』から

母に何十年も『虐待をさせていた』んだ。

 

もっと話し合えばわかったことだったのに。

 

『量が多いよ』って一言言えば良かったのに。

 

『母の出されるもの』だったから

『不思議』だと思わなかった。

 

母を嫌いになるまで、我慢してしまった。

我慢する必要なんて、一つもなかったのに。

 

母に悪気はなかった。

それはわかるけど

 

子供の頃に『大量に食べていた癖』を直すのは

そりゃ大変だった!

 

今は『大食い』があるからそんなたいした量には感じないと思うけど

『551の肉まん』を六個、ぺろっと食べてしまえる胃袋なんだ。

ピザの得るサイズをペロッと食べて、

サイドメニューを三つ食べても平気なんだ。

 

痩せられるかっちゅうねん!!!

 

だって『苦しいほど食べる』ことが『食事』だったんだよ!

食べても食べても、『おなか一杯になる量』にならないんだよ!

 

そして、ポテチふ菓子パンがリビングに積み上がっていて

『一袋食べきる』ことが『普通』だったんだ。

 

ちさろうと同居して初めて、

自分の食事量が以上だと気付いた。

 

一食でご飯3合食べてた。

 

どんだ食べても『おなか一杯』だと思えなくて

痩せたくても食事を減らせなくて

野菜ばっかり食べてたら、その反動でお菓子を食べちゃったりして

どうしても痩せられなかった。

 

なぜ我慢できないのかと、自分を攻め続けて、

ストレスでさらに過食になって

自分のバカさ加減にいやになって、

ただ、ひたすら、自己嫌悪していた。

 

ちさろうと同居した後、一人暮らしをしたら

自然と痩せたんだ。

 

だって、『料理するのが面倒』だから

『鍋しか食べなかった』んだ。

 

  1. 鍋に水をいれる。
  2. 椎茸とか鰹節とかをいれて放置。
  3. 水に味がついたら、野菜を大量に入れて煮る。
  4. 面倒臭いので、米も一緒に入れてしまう。
  5. それを丼によそう。
  6. パソコンを触りながら食べる。

 

こんな食生活になってた。

 

それで、体重が激減した。

 

そのあと、反動か、ストレスか

過食期が来て、宅配ビザを食べまくって太ったけどw

 

『あの食事なら痩せられる』

実際、ピザの他は『鍋』だったので、

急激に太ることはなかった。

 

なのに、実家に帰ったら、一年で12キロ、

一瞬で太った。

 

なぜなら、一人暮らしだと『お菓子を買わない』から。

家には『鍋の材料敷かない』から『間食』をしなかった。

 

だから『間食をしないでいよう』という『我慢』が不要だったんだ。

 

実家に返ったら、母は以前のまま。

 

後期高齢者の老人二人なのに、

180リットルの冷蔵庫が常に満タン!

 

食材だけで家が建つほど捨ててるんだろうな、と怖くなった。

 

とにかく、そこから ↓ この方法で私は食生活を改善した。

 

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それでも、母は邪魔をしてくる。

アイスクリームなんか食べない、と言っているのに

『三つ買ってきたのに』とか

こっちに『罪悪感を植えつける』ように誘ってくるのが

本当に肚立だしかった。

 

買ってきてと一度も言ったことはないのに

勝手に買ってきて、罪悪感を与えてくるとか

たまに、殺してやりたくなるぐらい腹が立った。

 

これは、最近、異世界モノを呼んでて気付いたんだ。

『おれの姉が、おれに罪悪感を持たせるように無理難題を吹っ掛けてくる』とかが

いくつかあったから。

 

ああ、これ!

これを私は母にされてた!

すっごいわかる! 肚立つよねー!

 

ああ、そういう人、やっぱりたくさん居るんだな。

 

うちは別に殴る蹴るをされたワケじゃないし

まだましだよね。

 

そう思って黙ってるしかなかった。

 

母の更年期障害の時、

『アホちゃうか』と顔を見るたびに言われた。

今まで一度も、面と向かって罵詈雑言を図れたことはなかったし

ひたすら不愉快だった。

 

だから顔を合わせないようにしていたら、

「あんたがいるのも腹が立つけど

顔を合わせないように生活時間をずらしてるのも肚が立つ」

そう言われたので家を出た。

 

そしたらなんで家を出るのかと、

毎月家まで食材を色々『配達』してくれるようになり

『行く床が一杯あって忙しいわ』と言い出した。

 

食材くれって一度も言ってないから。

毎月くれるから、もう生活には組み込んでるけど

稼いでるから困ってないねん、いらんねん、とは言わなかった。

 

追い出しておいて、何をしているのか?

私に金を使いたいなら使えばいい。

骨の髄までしゃぶってやる。

 

そう思った。

 

母に携帯を持たせたら、毎日400字ぐらいのメールが来た。

私は母に腹を立てていたので、ほとんど返信しなかったけど

毎日来た。

 

ああ、母は私のことをまだ愛してるんだな。

そのことには気付いた。

 

たんに更年期障害でつらかったから

つらく当たってきただけか、と。

 

今は瞑想のおかげが落ち着いているけれど

壁のシミが人の顔に見えて、むやみに驚怖していた時期とか何度もあった。

 

私も、かなりメンヘラなので、精神状態が凄く悪いことがある。

カッと来て人を怒鳴り飛ばしたことは人生に何度もあった。

そのうちの9割は母だけど。

 

母のトロいのが、我慢しきれなくなるときがある。

母と『話が通じない』のが地獄に思えることがある。

 

階段から突き飛ばしたろか、と何度も思った。

私地震も、スーパーの階段の上から下を見下ろして

『ここから落ちたら楽になるかなぁ』と何度も思った。

 

きっと、即死できなくて苦しいやろうから。

そういう理由で、我慢してきたんだ。

 

ばかばか恣意ほど『自分の価値』が低かった。

生きててナニカいいことなんてあるのかと、

こんなダメな自分が空気すってていいのかと

ワケもなく涙が出たり、一人で泣きわめいた。

 

そう言うときに、ワインとお菓子を買い込んで

宅配ピザとサイドメニューをたくさん買って

「さぁ、体か壊すぞ」って宣言して

一瞬でたいらげた。

 

「体を壊すぞ」って宣言するのが本当に頭おかしいと

自分をあざ笑いながら。

 

でも、鳴くのがいやだった。

ただ、わびしくなるから。

『満足』になったら、「たくさん食べたね」って

笑ってくれた母の顔を主居たスのだと

この記事を書いていて思った。

 

いつも笑わない母が

私達が全部食べきると、にこにこ笑ってたんだ。

 

ああ、私も、母が好きなんだなぁ、って……

絶望した。

 

母からストレスしか受けないのに

その母の笑顔を求めてることがわびしかった。

 

あくまでも、

母は、私に悪意なんて、ないんだ。

 

『私が好きだ』と言った食材をいつまでも覚えていて

やたらめったら、大量に並べてくれる。

 

『パンのかぶったスープが好き』というと

クリスマスには『パンのかぶったスープ』と『ミネストローネ』が並んだ。

 

なぜスープが二つ有るのかと。

『パンのかぶったスープ』を出すなら

なぜ、ミネストローネをやめられないのかと。

 

こんなことをするから、私達はいつも120%満腹だったのだと。

イライラする。

 

でも『パンのかぶったスープ』が『母の愛』なんだよ。

『娘が好きだと言ったもの』を半年立っても忘れずに出してくれる。

『母の愛』なんだよ。

 

だから、憎んではいない。

母を、嫌いになりきれない。

 

母は好きだよ。

だって、生んでくれた人だもの。

育ててくれた人だもの。

 

多分、世界で一番、母は私を愛してくれていると思う。

 

でも、母の存在が、私を常にいらつかせる。

 

私が散歩に連れ出さないと散歩しない。

動かないと足がどんどん悪くなるのに

一人では歩かない。

 

私も父も一人で散歩するのに

なぜ、母はそれができないのかと。

 

母のテンポで歩くのは、私にも父にも苦行なんだと。

 

私のメンヘラが酷くなると、

母と同じ屋根の下にいることすら苦行になった。

 

でも、なぜ実家に返ったのか?

 

それは、『実家で脛をかじっている方が貯金が残る!』から。

母が料理を作ってくれるから。

家事を殆どしなくていいから。

 

『私の利益』があるから、実家に居すわっている。

『その利益』と『母からのストレス』。

どちらが重たいかと言えば『私の利益』の方が重い。

 

だから、『母のストレス』をどうにかできないかと

日夜奮闘している。

 

結果的には『瞑想』と『雑談』が聞いた。

 

メンヘラについても、

現在平気なのは『幽霊に見えなくなった』わけではなく

『壁のシミが人の顔に見えた』のなら『疲れている』ので

『積極的に睡眠して疲れをとる』ことをしているから。

 

疲れているから、壁のシミを、シミュラクラ現象で

顔に見てしまい

目眩があるから『それが動いて見える』から

『幽霊だ』と『勝手に思って』

『勝手に怖がって』

精神を傷つけているだけだ。

 

そう、『理解した』から、

『疲れている』のなら『寝れば治る』と思って

実際に『寝たら治った』ので、それを繰り返している。

 

毎日元気である必要なんてない。

人間なんだから、好不調はある。

 

その不調のときに、『なんで私はだめなんだ!』と

昔は『自己嫌悪』して『自分を攻め続けた』。

 

月経前症候群とか、月経痛も凄く痛かったのに

母に『否定され続けた』ために

『こんなに痛いのに!』と

『自分で痛みを強く感じてしまった』可能性も否定できない。

 

ただ、不正出血があったときに産婦人科で言われたんだ。

「こんなに子宮が後屈していたら、月経の時、物凄くつらいでしょう。

手術でいくぶんか軽減できますよ」

 

泣いたね、笑ったね。

 

嘘じゃなかった!

私が生理の時に苦しいのは嘘じゃなかった!

手術が必要なぐらいつらいことを

私は我慢してきたし

それを母は信じなかったんだ、と。

 

『自分に生理痛がないから』という理由で

『腸式生理痛』を『否定し続けた』んだ。

 

『見てもいない私のうなじ』にたいして

『みっともないからうなじ、剃りや』と言ってきた。

 

母は、やっぱり、信用できる人ではなかった。

 

そのことだけが、一緒に住むとどんどん積み重なってきた。

もう、私は『お母さんの魔法』は解けた。

 

あとはもう、憎しみにならないようにすかしていくだけ。

 

だって、母には『話が通じない』から。

 

そう言うのとは別にして『話が通じない』に関しては、

精神鑑定に行く気はないけど

発達障害とアスペルガーを疑ってる。

 

その二つを調べたら、母の症状にそっくりで

対応策も乗っていたので、最近ようやく

母とのつきあいが楽になった。

 

それと、やっぱり瞑想も聞いたと思う。

 

以前なら母にどなり飛ばしていたタイミングで

深呼吸して耐えたことをきっかけに

『母の言うことを気にしない』ようになった。

 

そのうち半分は『無視する』ことで防いだ。

 

『母を無視している』ことで胸が痛んだけど

イライラして怒鳴り散らす方が後悔が大きい。

 

そして、親戚のお葬式で

『辺り構わず怒鳴り散らしている』いとこのおねえちゃんを見た。

 

ああ、私はあんなみっともないことを

ずっとやってたんだな。

 

瞑想とかせずに、母にイライラし続けて

ずっと怒鳴り続けてたらああなったんだな。

 

『私が選択しなかった未来』が、そこにあった。

 

私が努力して『違う選択をした』から

私は今、平静で居られるんだ。

 

がんばった、私。

 

母が自分で改善した。

クララが立った! 母編。 | ポジティブにタスク管理

 

母の理不尽は、『体力がなかっただけ』だということが発覚した。

 

嫌いな母に介護の手間をかけたくない。

そのうち絶対絞め殺す。

 

そう思ったから、

一日半時間

『母の散歩』に付き合った。

 

今半時間付き合って『歩ける時間を増やす』ことの方が

『母の介護でつぶれる時間』よりマシだと判断したため。

 

それで母は体力が付き、活発に動くようになった。

 

そのあと、またダウナーの時期が来たけど

今は以前と雲泥の差!

 

時間前出発!

出かけるといったらスサッと玄関に出て行く。

 

四苦八苦して、母に『運動してもらう』という方法が実った!

 

母に『運動してもらう』ためにしたこと。

蛋白質の摂取を推進した。

地上波の『ガッテン』で『朝たん』をやってたのを

録画して親に見せて、

家族会議をして『蛋白質を増やす』ことを

全員一致で実行開始した。

 

一か月ほど、また怒鳴りつけるようなことが何回かあったけど

結局『ゆで卵をたくさんテーブルに置いておく』ということで

母が蛋白質を恒常的に摂取するようになった。

 

『坂を降りる』ことを習慣化した。

 

50歳で初めて自動車の普通免許をとることになりました!

続・50歳で初めて自動車の普通免許をとることになりました!

 

せっかく40万円モかけて取得した技術を忘れないように。

免許をとって一年間は

『毎日運転する』ことを自分に厳命している。

 

現在、四カ月目だけど、最初に数日、葬式とか

どうしようもない日、通算六日以外は、ずっと運転している。

 

父が助手席に居るのは当然なんだけど

なぜか母もついてくる。

 

その時に、母は少し先に家を出て

『坂を降りる』ことをやるようになった。

 

なぜなら『ガッテン』で『筋トレは』

『上げるより下ろす方が効果的』と言っていたから。

 

だから、『坂をあがる』より『坂を降りる』方が

筋トレになるのだ!

 

ならば、毎日運転しているのなら

母に先に坂を降りてもらって

私と父があとから坂を降りて、

麓で母を乗せればいい。

 

「降りるだけ。

あがらなくていいから、毎日やってみよう」

 

これも、数カ月の紆余曲折があったけど

現在母は『もういないの?』ってぐらい

すさっと坂を降りている。

 

『蛋白質』を摂取しているから

『筋トレ』をしたら、筋肉がちゃんとついて

『体が楽になっている』ことを実感したんだろうと思う。

 

'22に入って『杖をつきだした』ので凄く心配していたけど

二週間ほどで『杖持ってる方がしんどい』と

普通に歩きだした。

 

洗濯物は『手伝わない』

一階で洗濯をして二階で干す。

だから、洗濯物を二階まで持って上がる必要が有る。

 

うちの家は『山の中』にあるので

虫が凄い。

 

時に、秋から冬にかけてカメムシの大発生がある。

最初の二年は、『どこから家の中に?』が疑問だったけど

『洗濯物について入ってきている』ことが発覚した。

 

それもあって

「私がお金を出すから、ガス乾燥機買わない?」

そう、父に打診した。

 

父からの返事は一言。

「母の仕事がなくなるからいらん」

 

だよね。

『母が二階にあがる用事』は『洗濯』しかない。

 

大阪の家では『二階に上がるのがいや』と

母はダダをこねた時期があった。

 

「二階に上がるのがいや、って言ってたら

『二階に上がる手段』、つまりは

『足』を取り上げられるんやで?」

 

『母の運動のため』に『二階で洗濯物を干す』は譲れなかった。

 

でも、そのうち、

一階の物陰に洗濯物を干しだしたので洗濯物が臭くなり

色々不都合がおこったあげく

たまに階段を上がったときに

階段から落ちた。

 

ああ、母、死んだ。

 

あの時、そう思ったね。

 

どっこも怪我してなかったけど。

病院から帰って来た母に、冷たい娘は言い放ちましたよ。

 

「二階に上がるのがいややって言ってるから

バチがあたってんで」

 

「二階に上がるのを嫌がってたら、

平地を歩くこともできなくなるで。

余生を半身不随で病院のベッドで過ごしたいんか?」

 

「今、痛いのは、お母ちゃんが二階に上がるのをいやがったせい。

『二階に上がる能力』を奪われかけてんで。

足が完全に悪くなったら

『二階にあがるのがイヤ』じゃないで?

『二階に荒れなくなる』んやで?

わかってる?

今、有るかなあかんねん。

今、二階にあがらななあかんねん。

これは手伝ってやられへんねん。

お母ちゃんが努力するしかないねん。

動けん用になったら、すぐに

介護施設に入院してもらうからね」

 

毎日のようにこの二つを母に言い続けた。

酷い娘である。

 

そのあとは、文句も言わずに、ひーひーいいながら

二階に洗濯物を持って上がっている。

 

それは今も続いていて、

元気に二階に上がって

ベランダに出したソファーに座ってのんびりしていたり

ベランダに干した干し柿の様子を見てみたり

ベランダの掃除をしてみたり

ベランダと近しくなった。

 

一日に三回上がってくることもあるぐらい

『階段』に対して『忌避行動』がなくなった。

素晴らしい!

 

  • 洗濯加護を持つ腕力。
  • 階段を昇り降りする脚力。

 

健康に関わらず、無料でそれを鍛えられる。

 

本当に、すさっと動くようになってきた。

 

後期高齢者になっても、人間は進歩するんだなぁ、と

母を見てしみじみと思う。

 

私も、さらに頑張ろう! そう思うのである!ヽ(´▽`)ノ

 

褒め続ける。

大阪では、私がイライラしていたのもあって

母に対して『なんでできへんねん!』と怒鳴ることがよくあった。

 

『指摘』するときって『できないこと』を

素直に言ってしまいがち。

 

これは『私ができる努力』なので、私が変えた。

 

『できないところを指摘する』のではなく

『できたときに褒める』ということ。

 

『できなかった時』は無視する。

『できたとき』に、どんな小さなことでも『褒めちぎる』。

 

『今日もおいしい』はいつも言っているのでノーカウントとしてw

 

  • 今日は私より早く庭に出たね、凄いね!
  • 歩くの速くなったね!
  • 爪先がハの字に開いていたのに、まっすぐになってきたね!
  • 水道が停まってたよ! エライね!
    • 蛇口の閉め忘れが多発していた。
  • 朝速くなってきたね! 凄いね!
  • 毎日坂を降りてるね! 凄いね!
  • 夜、速くなったね! やったね!

 

子供を育ててんのか!

ってぐらい、ほめ続けた。

 

細かいことまでいれると数万回褒めたよ。

もちろん、父も。

自分も!

 

『歩くのが遅い』『用意が遅い』ことで

『早く用意しいや!』と怒鳴ったこともあったけど

『用意できた時』に褒めることで

母はどんどん、動作が速くなっていった。

 

『坂を降りる』のも、最初はしぶしぶだったのに

今は『ルンルン♪』という感じが後ろ姿からもわかるw

 

9回できなくて、できた一回を褒める。

そんなスパンだったけど、

三年経ってようやく、『褒めるだけ』になってきた。

 

  • 無駄な買い物はかなり減ったし
  • 自分で歩くようになったし
  • 『先に坂を降りていく』ようになったし
  • 蛋白質を取るようになったし
  • 無駄にテレビを見て二時ごろまで起きてる、なんてこともなくなった。

 

大阪に居たときから『わかってはいた』んだ。

 

母は『認知欲求が満たされていない』ということ。

仕事をやめてから、ずっと家にいた母は

『褒められること』がなかったんだ。

 

『おいしいよ』はいつも言っていたんだけど、

それ以外に私達は母を褒めたことがなかった。

だって、いらつくばかりだったから。

 

車を注射できるサイズの庭は植木鉢で一杯にされ

家の中は母の買ったものであふれ返り

『獣道』しかない。

玄関はモノであふれ、

階段の踊り場にはワケのわからないものが押し込まれる。

 

食器棚が一杯だからと、その前にワゴンをおき

さらにその前に棚を奥。

 

どれぐらい酷かったかと言うと

私が実家に返ったとき、私が20代の時に使っていたものが

そのままお風呂場とか、食器棚の中から見つかった。

 

それぐらい『捨てなかった』んだ。

 

二階の部屋にごみ袋が積み上がったときは

『こうやってゴミ屋敷ってできるんだなぁ……』って実感し、恐怖した。

 

『母のせい』の不具合が、物凄く大きかったから。

『母を褒める』ことなんて、なかったんだ。

 

「花が綺麗に咲いたよ」と言われても

「植木鉢を減らしてよ! 歩ける巾は確保して!」

私も父もそんなことしか母に求めなかった。

 

私も父も『花の綺麗さ』より

『玄関から門までの通路の確保』の方が重要だったんだ。

 

私は自分が汚部屋住まいだったために

『母が片づけない、捨てられない』理由はわかる。

ただ、私は、そこから脱出したんだ。

 

今は、ロボット掃除機が軽快に走り回る床面積を維持している。

収納家具と椅子とベッドとフロアランプ以外、床には置いてない。

 

『私は汚部屋を脱出した』んだ。

だから『母がなぜできないのか』がわからなかったしイライラした。

 

今『褒め続けた』ら『できた』ことを考えると

母なりの『反抗』だったのだろうと思う。

 

母が心配だった。

母が歩かなくて、三日も布団に引きこもったことがあった。

 

ここ数年、『いつ母の葬式をしなきゃいけないのか?』と

恐怖におののいていた。

それぐらい、母は『動かなかった』んだ。

 

老人と住むのはつらい。

老人になっていくのもつらい。

 

母もツライだろうが、私も更年期障害で動けなかったし

今後も、体力は落ちていくんだ。

 

それを下支えするために、今、地道に運動をしている。

 

母が『今動けない』のは、それを怠ったからだ。

母が怠けたことで、私や父が割りを食っている。

 

そのことも、肚立だしかった。

 

動かないと動けないのに『せいがない』とかいって

一人では動かない母にいらだった。

 

『母が心配だった』のは

『母本人への心配』ではなく

あくまでも『母の介護をする私への心配』だった。

 

あっさり死んでくれなければ、介護の手間と金がかかる。

 

『母を憎まないでいることに必死』な間は

『母を好きになること』なんてできない。

 

好きでもない人の介護なんてしたくない。

しかも費用が発生する。

 

母が、父みたいに運動していれば

死ぬ寸前まで元気で居たかもしれなかったのに……

 

母の怠慢のせいで、私が迷惑を被る。

そのことに、憤っていただけで

『母の体の心配』なんてしてはいなかった。

 

ただただ、母の存在が厭わしかったあの時期。

私から怒鳴られて母もつらかっただろう。

 

今は、『すさっと動いてくれる母』のおかげで

『母が好き』にちゃんとなった。

 

『母が好き』だと自覚すると

母のいろんなしぐさがかわいくなる。

 

母と居ることが楽しくなる。

母と居ることが嬉しくなる。

 

そして

もっと早くこういう関係になるよう

努力していれば……と

自己嫌悪がよぎる。

 

でも、それは封印。

 

我慢するのではなく、受け流す。

 

過去と他人は変えられない。

でも、未来と自分は返られる。

 

そう、良く言われるけど

『他人も変えられる』んだよ。

 

『褒める』『けなす』ことで

自信をつけたり、なくしたりさせられる。

 

『いじめ』という行為で、他人を自殺させることもできる。

 

『他人を変える』ことは可能なんだ。

それを『良い方向にだけ使う』ことで

本人と、周り全員が『楽になる』。

 

『褒める』というのは『最強の魔法』なんだ。

 

そもそも、たまに母にイライラしてきただけで

殆どは仲良くやってはきていた。

 

親ガチャに失敗した、というほとではなかったと思う。

 

  • 共働きだったのでお金には困らなかった。
  • 殴る蹴るはされなかった。
  • 母のご飯はいまだにレストランクラス。

 

それだけでも、良い両親の間に生まれて良かったと思う。

 

ただ、私がメンヘラだったために

私の精神状態が悪かったときに

殺したいほどイライラしただけの話。

 

母と旅行に行くぐらいには、仲は悪くない。

まぁ、旅行費用を母が持ってくれた、というのはあるけど。

 

『イエスノーを言わない』ことはいまだにイライラしているけれど。

 

『母が敵』ではないと実感した出来事。

私がダイエットを始めると、

菓子パンやポテチやおにぎりをリビングに山盛りにした母。

 

アイスなんて数年食べていないのに

自分たちが食べたいために買ってきたら

毎回私も誘ってきた母。

 

糖質制限ダイエットをしている、というのに

甘いものを進めてくる母。

 

私が痩せたいというと、高カロリーのモノを作る母。

 

母は敵なのか?

私を太らせたいのか!

 

なぜだ!

 

考えたあげく、わかった。

 

母は『たくさん食べる君が好き』なんだ。

『私が料理したものを娘がおいしそうに食べてくれる』ことが生きがいなんだ。

 

私は『おいしそうに食べる』らしく

やたらご相伴に預かったw

笑い上戸なので、下戸なのに酒の席にも連れ回された。

 

「君はおいしそうに飲むねぇ」

「君はおいしそうに食べるねぇ」

赤の他人にもそう言われたので、本当にそういう顔をしてるんだろう。

 

だっておいしいものを食べるのは楽しいじゃん!

 

そして最近、母が完全に『私のダイエット』を理解してくれるようになった。

 

理由は一つ。

『太るものを食べると娘が体を壊す』から。

 

私は母より体重が重たいけど、外見は母より細い。

なので母からすると『娘は痩せる必要はない』と思ってるんだ。

 

一人暮らしだと、家にお菓子をおかないけど

母が食べる文のお菓子が家にはある。

 

だから『親とクラス』と『甘いものを我慢する』必要があるんだ。

独り暮らしなら『我慢の必要がない』のに。

 

そして母は『自分の好きなもの』ではなく

『私が好きだったもの』を買ってくる。

 

だから、

『菓子パンが二週間もリビングのテーブルに鎮座』

そういう自体が発生する。

 

『私に食べさせるために買ってきた』から

『母は食べない』んだ。

 

この『我慢』って本当に腹が立つ。

四六時中そんなことをされて、よく痩せたと思うよ!

その菓子パンを見るたびに『母に対してイライラする』からね。

 

で、最近、母がそういうことを全くしなくなった。

『糖質を食べると、気分がわるくなる』と私が言い出したから。

 

前述したように、母は『娘ラブ』で

無意識に私をいらだたせていただけなんだ。

 

だから『痩せたい』は『通じない』んだけど

『糖質で発熱する』は『理解できた』んだ。

 

実際、たとえば、100円寿司で

ご飯を食べてしまうと、二週間は体調不良が続く。

 

これは『糖質制限をしたからわかった体質』だった。

 

太っていたとき、

私は『一日中、微熱が上がったり下がったり』していたんだ。

あれも『糖質』のせいだったと思う。

 

今も、メンチカツとかハンバーグとかは食べるので

『ツナギまで排除する』ような糖質制限はしていない。

 

『一日60グラム以下』みたいなゆるい糖質制限だけ。

これに『グルテンフリー』を加えたら

めっっちゃ効果が出た!

 

グルテンが悪かったんか!

ということか明らかになったんだ。

 

『糖質』は『むくみ』を促進する。

だから、お寿司を少し食べただけで二キロ太る。

けど、翌日から糖質制限を介すると二日で二キロ痩せる。

 

私は以前から、数日で二キロぐらいの上下があったので

気にしてなかった。

でも、考えたらわかるよね?

 

24時間以内に、脂肪や筋肉が二キロ増えることはない。

ハードな運動をしているわけでもないのに

24時間で、二キロの脂肪が落ちるわけがない。

 

つまりは『むくみ』で『水分がたまる、排出される』で

体重が増減してたんだ。

 

その上で、グルテンフリーに近づけたら

明らかに体調が良くなった。

 

ああ、本当に、『私の体は糖質がいらない』んだな。

それを実感した。

 

別段、アレルギーではないので

外食で寿司を食べるぐらいはいいんたげど

やっぱり、もう、糖質は食べたくないな。

 

しんどい。

 

  1. 正午に糖質を取ると、15時ごろおなかが空く。
  2. そこで食べても食べなくても
  3. 16時ごろに眠たくなって微熱が出る。
  4. 寝付きが悪くて、夜中に目が覚める。
  5. 睡眠が悪いから翌日もぐったり。

 

何回も実証実験をして、こういう現象を完全に把握した。

 

それを、ことあるごとに母に言って半年

母は私に糖質のモノをすすめなくなった。

 

ああ、ちゃんと母に言葉が通じたんだ?

 

それに気付いたのが、'22に入ってからだ!

 

やっぱり『嫌がらせで私に甘いものを買ってきた』のではなかったんだ。

 

母は敵ではなかった。

たんにコミュニケーション不足だったんだ。

 

『娘ラブ』の母は

『私が困る』から、糖質をすすめることをやめた。

 

逆に言うと、

たんに『ファッションでダイエットをしている』と思ってたんだ。

 

体重を減らさないと膝が悪くなるから、とか

腰痛が出るから、とか言ってたのに

『予防』ては、母の心に届かなかったらしい。

 

そう言うところも、『面倒臭いからいらつく』ところではある。

 

まとめ。

母のことで、半生イライラししてきたけど

『母を好きだ』と自覚できるようになって良かった。

 

母の愛を、ちゃんと受け止められるようになって良かった。

 

自分を、母を、『変えようとした』ことは成功した。

『変えよう』と『思った』ことを自画自賛する。

 

今後も、母とは楽しくやっていく。

だから、早いうちにオーロラを見に行こう。

 

車椅子になる前に。

母が、自分の足で大地に立てる間に。

 

努力したことは実った!

努力してきて良かったと思う。

 

だから、これからも、色々考えて努力していく。

 

うん。

 

笑って一生、泣いて一生。

同じ一生なら笑って過ごそう!ヽ(´▽`)ノ

 

【この記事を書いた日 2022/10/27 20:48 】

 

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