『リアル人生』も『レベリング』する。『母の喋り』に苦痛を感じなくなった理由。

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『リアル人生はゲームと違う』、とよく言われる。

 

でも、そんなに人生とゲームって違うだろうか?

 

私はいつでも『レベリング』してるから、

そんなにゲームと違うとは思っていない。

 

人生は一番面白いゲームである。

人生がゲームと違うのは

  • ステイタス画面を見ることができない。
  • レベルアップのファンファーレがならない。
  • スキルアップ告知がない。
  • シナリオは自分で決められる。

これだけの話だと思うの。

 

  • 『落ちこぼれ』というボス。
  • 『テストの成績があがらない』というボス。
  • 『うざい上司がいる』というボス。
  • 『企画が通らない』というボス。
  • 『子供が言うことを聞かない』というボス。

 

これらを『個人』だと思うから乗り越えられない。

  • 成績が悪い自分。
  • 勉強しても身につかない自分。
  • ウザイ上司
  • 企画を却下する上司。
  • 言うことを聞かない子供。

 

『個人』が『ストッパー』だと『考える』と

『その個人がいなくなる』ことでしか解決できない。

 

  • どうやったら勉強が好きになるか?
  • どうやったら効率的に勉強ができるか?
  • ウザイ上司を味方につけるにはどうしたらいいか?
  • 通る企画とはどういうものか?
  • 子供が言うことを聞くようにするにはどうしたらいいか?

 

こう考えると『個人が問題』ではないことがわかる。

 

『個人が問題』だと思うから、『乗り越え方がわからない』んだよ。

問題は『個人』ではなく『できごと』なんだ。

 

「うちの『子供が勉強をしなくて』困ってるの」ではなく

「うちの子供が『勉強をするようになる』にはどうしたら良いか?」と考える。

 

『今、可能になっていない』ことを『可能にする』。

ソレだけの話なんだよ。

 

『固有名詞』で考えない。

  • 『成績が悪い自分をどうするか?』

こんなことを考えていたら、打開策なんて絶対に出ない。

 

『成績が悪い自分』は『成績が悪い』んだよ。

 

  • 『自分の成績を良くするにはどうするか?』
  • 『成績がよい自分にするにはどうするか?』

こう考えないといけないんだ。

 

  • 『成績の悪い自分』は『固有名詞』。
  • 『自分の成績が悪い』は『センテンス(文章)』。

 

『固有名詞』は『変えられない』けど

『センテンス』は『変えられる』んだよ。

 

『自分』=『成績が悪い』

こういう図式になってる。

 

ならば、連立方程式にすればいい。

 

『自分』+『成績が悪い』=『成績が悪い』+『成績が良い』。

 

『自分』+『成績が悪い』-『成績が悪い』=『成績が良い』

『自分』=『成績が良い』

 

こうすると、わかるよね?

 

『成績が悪い原因』を取り除いてしまえば良い、ということ。

たとえば勉強する前に漫画を読んでしまう。

ゲームをしてしまう。

テレビを見てしまう。

 

こういうことをやめて、勉強をする。

 

理屈は、わかるよね?

 

でも、できないんだよね?

じゃあ『なぜできないのか?』を考えるんだよ。

 

なぜ宿題より先に漫画を見てしまうのか?

  • 宿題をやるのがつまらないから。
  • 漫画を読む方が面白いから。

 

まずは、この二つが出てくるよね?

 

漫画が面白いのは当然なので、放置。

 

ではなぜ『宿題をやるのがつまらない』のか?

 

  • 漢字を一定数書き続けるとかの反復練習がつまらないから。
  • 数学の問題が、そもそも、わからないから。

 

まぁ、こんな問題が出るかな?

 

  • 漢字を一定数書き続けるとかの反復練習がつまらないから。
    • 反復練習をしたら、漫画を一冊読んで良いよ、としたら?
  • 数学の問題が、そもそも、わからないから。
    • わからない数学の問題の、『ナニがわからない』のか確認しよう。
      • 計算ができない。
      • 方程式がわからない。
      • 数式がわからない。
      • そもそも問題文が意味不明。

 

  • 計算ができない。
    • 筆算の練習が必要。
  • 方程式がわからない。
    • 方程式の初歩をやり直す。
  • 数式がわからない。
    • 数式を暗記する。
  • そもそも問題文が意味不明。
    • 国語の長文読解力をつける。

 

ほら。

『勉強ができない』で『ひとくくり』にしていたことが

こんなに『いろんな方法がある』ということ。

 

これらを一つずつ『クリアしていく』ことで

勉強は簡単になっていくんだよ。

 

  • もちろん、筆算の練習をするのは退屈だよね。
  • 方程式の初歩をやり直すのは苦痛だよね。
  • 数式の暗記は面倒だよね?
  • 国語の長文を読むのは拷問だよね?

 

でも『勉強がわからない!!』と喚いているときよりは

『目的ははっきりした』でしょう?

 

『勉強がわからない!』と『原因が一つ』だと思ってたけど

結局は『四つの原因』が出てきた、ということ。

 

四つを一個ずつクリアしていけばいいんだよ。

 

『問題解決』というのは、こういう『考え方』をすれば

解きやすくなる。

 

『固有名詞』というのは『晶山嵐』とか『日立』とか『マクドナルド』とか。

『あなたの名前』も固有名詞。

 

『固有名詞を変える』ということは、『改名する』ということ。

リアルだと凄く大変。

 

『成績の悪い自分』というのは『固有名詞』。

  • あなたが
  • 自分に
  • 『成績が悪い自分』という
  • 名前をつけた

それが、この問題点。

 

ゲームでキャラクターに名前をつけるときに

『成績が悪い自分』という名前をつけた、ということ。

さぁ、このキャラが、成績がよくなることはあるだろうか?

 

私は『小説の書き方』というサイトを持ってる。

そこでいろんな質問を受けるけど

そこで顕著なのが

『小説を書けない』という悩み。

 

これも『小説を書けない私』という『固有名詞』になってる。

 

『小説を書けないんですがどうしたらいいですか?』

こういう質問はつまり

『「小説を書けない私」はどうしたらよいですか?』ということ。

 

違うネン。

 

『私は今小説が書けないのですが、

書けるようになるにはどうしたらよいでしょうか?』

こういう『文章』にする必要があるんだよ。

 

『小説を書けない』のは『あなた個人の問題』ではないんだ。

『小説を書けない私』と思っているから、書けないんだよ。

 

『「小説を書けない」「私というキャラクター」』

 

つまりは、

『私』には『小説を書けない』という『スキル』がついてるんだ。

『成績が悪い私』には『成績が悪い』という『スキル』がついてるんだ。

 

こんなの、小説が書けるようにも、成績が良くなるようにもできない。

だって『できないスキル』がついてるんだから。

 

『経験値が足りないからできない』だけなんだよ。

勝手に『できない』という『スキル』をつけちゃってる。

 

そりゃ、できるわけがない。

 

レベリングしないとレベルは上がらない。

『勉強ができない』と言っている『問題』は、

レベル1なのに、レベル100のボスに挑もうとしている。

ソレだけなんだよ。

 

『はじめの町』でスライムとかでレベル上げをしていないのに

ラッキーにも、逃げたり、出合わなかったりして

三つ先の町に進んでしまった。

 

そこで出合った敵に一撃殺された。

 

『勉強ができない』というのはそう言うことなんだ。

 

小学校一年から三年まで勉強をせずにきて

いきなり小学校四年制で九九の暗記に手間取って

九九ができないからその先の算数の掛け算が困難になって

掛け算ができないから割り算もできなくて

そのまま中学になって、さらに『数学』になってワケがわからなくなっている。

 

『初心者の町』でさぼった、ツケが来てるんだよ。

 

解決方法は簡単。レベル100になるまでレベリングするだけ。

 

解決方法はわかってるやん?

『勉強をすれば勉強はできるようになる』。

 

それが、

『レベリングなんて面倒なことをしたくない』と思ってるだけなんだ。

 

『何食ったらそんな頭良くなるんだよ』とかいう言葉も一緒。

一朝一夕で成績がよくなる『秘訣』があると信じてる。

 

『レベリングするという努力をしたから』できるようになったのだということを

信じたくないんだよね。

 

  • レベリングしたくないから。
  • そんな苦労したくないから。

 

どうにか、ショートカットして無双(無敵)状態になりたいと考えてる。

 

『できる人はできるよ』という『考え方』。

母が良く使う言葉で

『キライな人はキライやんな』というのがある。

 

テレビで『今大人気です!』とか言われると、

母が呟く言葉。

 

好きな人がどれだけいてもキライな人はいる。

それは当然なんだけど、

『キライな人はキライ』って

 

『好きな人』を含めてないんだから、『全部キライ』に間違いない。

 

こういうときに『数学の考え方』が必要なんだと

私は最近気付いた。

 

『算数の分数』なので数学までいかないとは思うけど。

 

2割る2は1。

だよね?

 

100人割る『好き50人』『キライ50人』は?

『好き1』『キライ1』だよね?

 

『キライな人』割る『キライな人』は?

『キライ』だよね?

 

6割る2は3。

 

  • 6が分子。
  • 2が分母。
  • 3が答え。

 

『キライな人』を『キライな人』で割ったら、『キライ』しか残らないでしょ?

 

『キライな人はキライやん』って、『キライな人もいる』という

『普通の事象』なんだけど

『大きく見える』こと、ない?

 

  • 好きな人90人、キライな人10人。10%がキライ。
  • 好きな人99人、キライな人1人。1%がキライ。

 

でも『キライな人はキライやん』ってのは、100%キライなんだよ。

 

『100%の人がキライ』って、『おおごと』でしょ?

『そのまま実行したら痛い目にあう』数字だよね?

 

でも、『好きな人』を分子に入れてないから、

『統計』としては『おかしい』んだよ。

 

『数字のマジック』なんだよね。

 

うちは、両親が共産党なんだ。

だから選挙のたびに『数の暴力』という言葉を

両親から良く聞かされた。

 

でも、『選挙』は『民主主義』に基づいたものだよね。

『民主主義』は『多数決』が基本。

 

もちろん『少数意見も聞く』けど、

『最大多数の最大幸福』を目指すなら、少数意見は

『聞くだけ』で『切り捨てる』ということになる。

 

日本共産党は民主主義を掲げてるんだから

『選挙で負ける』ことは『数の暴力に屈した』のではなく

『支持者が少ない』ってことだよね?

 

民主主義で負けたんだよね?

 

日本共産党が選挙で圧勝して

大敗した自民党が『数の暴力』ってわめいたら

『それが民主主義だ』って言うに決まってるよね?

 

この民主主義の世の中で『数の暴力』って言う人は二枚舌なんだな。

自分が負けてることを『数の暴力』という名前をつけて

民主主義をひっくり返そうとしてるんだな。

 

そう、子供の頃から思って両親を眺めていた。

そういう政党が民主主義で勝ったら、何をするかわかったもんじゃない。

 

生徒数が激減してる今、『50人学級』の署名が回ってきてびっくりした。

「これは、生徒数を50人まで上げろ、という署名?

教室の数を減らして、教職員をクビにするようなものを共産党が署名回してるの?」

 

母曰く

「一クラスの人数を50人以下にしよう」という署名らしい。

 

それは、私や母のような第一団塊世代、第二団塊世代が

詰め込み教育されていたときの話で、

今、関係ないでしょ?

 

「今人口減少してるのに、現時点で50人超えてるクラスってそんなにあるの?」

そう問い返したら「ようわからんけど」と母は言う。

 

なぜ、『ようわからん』のに、住所と本名を全国にばらまくんだよ。

 

署名ってわかってる?

そこらへんのアンケートに実住所書くのと同じだけ危険なんだよ?

しかも、返礼に何も貰えないんだよ?

しかも、政府に提出して『危険人物』扱いされるかもしれない積んだよ?

 

プライバシー侵害とかいって

手紙に住所が載ったまま捨てるのを嫌がる人が

なんで署名できるの?

内容も知らずに!

 

それをバサッと何種類も持ってくるのね。

どれもこれも、『なんのために署名をするのか?』を

母は把握してなかった。

 

「把握してないものに実住所書かないでよ!」

と、私は思う。

 

話がそれたな。

 

『キライな人はキライ』というのと同じだけ

『できる人はできるよ』というのも『数のマジック』。

 

でも『できる人はできるよ』というのは『鼻につく』よねw

『できない人はできないよ』は『弱者保護』だと思われるのに。

 

どちらも『数のマジック』であって

  • できる人もいる。
  • できない人もいる。

それだけの話なんだ。

 

「できない人もいるよ」

って言われても

「そりゃそうだろ」としか思わないでしょ?

 

でも

「できない人はできないよ」

って言われると、なんか、

『助けなきゃいけない』強制力を感じない?

 

とにかく『できない人はできないよ』という人は大体が

『できない側』に立ってるからこういう発言になるんだろう。

 

『できない自分』という『固有名詞』を持ってる。

『できない』という『スキル』を持ってると言ってもいい。

 

こういう人は、ずっと『できない』んだ。

 

『コツコツとレベリングする大事さ』をわかってないだけ。

私は、そう考える。

 

だから、母が『キライな人はキライやんな』というと

『努力しない母』を見てるから、さらに不愉快になる。

 

この『努力しない母』は後日、私の間違いだったと気付かされたけど

それはまた別の話。

 

クララが立った! 母編。 | ポジティブにタスク管理

 

『スキル』を手に入れた時の私の事例。

私の事例なので、私の身の上話になることを失礼します。

 

私が母を大嫌いだったときの話。

 

大阪の家での『母のおしゃべり』で何がいやだったかというと

『ご近所の噂話ばかり』だったから。

 

私は『ご近所の噂話』になんんんんんんんんにも興味がない。

というか、芸能人にも興味がない。

 

好きな芸能人だとしても

その奥さんとか旦那さんとか子供に興味無い。

実際にリアルであったことのない人の冠婚葬祭に興味無い。

 

母はとにかく、ご近所の話か芸能人の話しかしなかったので

私は頭っから、『母の話』を聞く気がなかった。

 

夕食のときにも母がいつも全開でそれらを喋ってるけど

父がうんうんと相槌をよくうつ上に

母が前に喋ったことも覚えていて

ちゃんと会話が成り立っていることの素晴らしさ。

 

「父はちゃんと『母の話が聞けて』すごい」なぁ、と、子供心に思っていた。

 

私はいまだに、『母の喋り』を聞いているのは苦痛だ。

脳味噌が液体になって耳から流れ出るような不快感を味わうから。

 

『母をキライになる』という事象しか積み上げない時間。

できるだけ、母と一緒にいたくなかった。

 

話を聞いているだけで母をどんどん嫌いになっていくから。

 

特に、大阪に住んでいたラスト数年は大変だった。

 

母が介護一級の免許をとって、介護職を始めたんだ。

ヘルパーとして働いてたんだよ!

自分だって後期高齢者なのに!

老々介護を地でやってた。

 

一級をとるために勉強している母は凄かった!

ああ、勉強できる人なんだ?!

そう、驚いた。

 

だから、介護の職について日々忙しくしている母に対して

『尊敬』の念が少しうまれた

だからこそ、『一緒に散歩をする』なんていう時間を

『作ろうと思った』んだ。

 

相変わらず、母は、ご近所の話とゴシップしか話さないので

段々イヤになってきたころ、『介護の仕事の話』をするようになった。

 

『認知症の人が毎日同じことをする』という『毎日同じこと』を

私は毎日聞かされたんだ。

 

録音したのを再生するみたいに

「買ったことを覚えてないから、

冷蔵庫の中が、その牛乳で一杯になるけど、

また買ってくるねん」というような話を

何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も

何度も毎日聞かされて、

発狂寸前まで追い詰められていた。

 

『私の嫌いなこと』の一つに

『同じことを二度以上言われる』ということがある。

 

二度言われたら『さっき聞いた!』ってイラッとする。

三度も四度も我慢できない。

たかが二度目でカッと怒髪天をつく。

 

それを一日に三回ぐらい、毎日一か月聞かされたら頭が変になった。

 

ただ、

母は『しゃべることでストレス発散』をする。

それがわかってるから『聞いてた』んだ。

 

でも、『その相手』は『誰でもいい』んだ。

その『誰でもいいこと』に『私を使われている』ということが

凄く苦痛だった。

 

茶飲み友達とそういうのはやってほしい。

でも、母には茶飲み友達なんていない。

 

そういう友達がいないのは母の不徳なんだから

私が背負うことではないはず。

 

そういう考えがぐるぐる頭の中をまわってた。

 

私は、若いときから小説家として食べていたんだ。

『他人が書く話なら私は書かない』という『オリジナリティ』で

お金を貰っていた。

 

私は常に『私にしかできないこと』を模索していた。

その私を『誰でもいいこと』に使われているのがとにかくイヤだった。

 

でも、『私の母』なんだ。

 

高い堤防の上に立ったとき、ここから飛び下りたら

母の話を聞かなくてすむかな……とか、

スーパーの螺旋階段の上に立ったときに下を見下ろして

ここから飛び降りたら楽になるかな……とか

思いだして、自分がやばいとは気付いていた。

 

でも、『母のしゃべり』を中断したり

『母にしゃべる隙を与えない』ようにしたり

『母と一緒にいる時間をなくす』と

母が目に見えて不機嫌になって、家の中がギスギスする。

返事すらしなくなるんだよ、母は。

 

だから『誰かと会話する』ことが、母には必要なんだ。

『会話する』じゃなく『話を聞いてもらう』ことが必要なんだ。

 

あとで気付いたことだけど、

それはロボット掃除機でも良かったみたい。

 

とにかく、返事すらしない母に私がイラッとする。

母が何も言わなくなる。

それに私が敏感に反応して、ギスギスを返す。

母は「私の癇に障ること」をピンポイントでついてくる人なんだ。

毎日私が母に怒鳴るような事態になる。

 

私がどならなきゃいいんだけど

そこで我慢できるほど、私の人格はととのっちゃいないんだ。

 

その時点で、母がリビングを散らかすから居住スペースが狭いし

庭を汚い植木鉢で一杯にするから玄関に出るのも大変。

 

台所は母の魔窟になっていて、

コンロと壁の間にあるガス管は三ミリぐらい油汚れが溜まってる。

 

私が掃除したらモノの配置が変わったとか言って一週間ぐらい怒ってる。

毎日使わないものをコンロの上にぶら下げたら油で汚れるからぶらさげるな、といっても通じない。

母はどんどん収納家具を買って部屋を狭くする。

 

私の部屋にも、母の大きなタンスがあるし、

私の部屋の押し入れの半分も母のもので埋まってる。

父の部屋も、9割は母のもの。

 

一年間、一度も出し入れしてないんだから要らないはずなのに

捨ててと言っても捨ててくれない。

 

リアルに居住スペースを狭くしているし、汚している母に

毎日イライラがつのる。

 

玄関も、半分は母が積み上げた箱で埋まってる。

これナニ? と聞いても答えられないものが

山ほど家の中で居住スペースを狭めてる。

 

一度、台所の不用品をがさっと捨てたら三カ月ぐらい怒ってた。

もちろん、聞いてから捨てたんだけど、

20年前に封を開けたブランデーの瓶とかが

棚の奥から出てくるじてんで捨てていいものばかりでしょ?

 

それがあるから棚が一杯でものをおけないから

手前に収納家具を置いて、

そこも一杯だから

もう一つまえに収納家具を置いて……

八畳のダイニングキッチンを

一畳のキッチンとして使ってたんだ。

 

あの時は、『こうやってゴミ屋敷ができるんだな』って実感した。

父の部屋にごみ袋が積み上がっていくことに恐怖を感じた。

 

そう言うのが、私が母と会話をしていると、止まるんだ。

 

母はストレス発散で、

ものを買ってきて、ため込んで、家をゴミダメにすることが発覚した。

 

それが、私もつらかったから

とにかく『母に付き合う時間』を作ってたんだ。

 

『散歩』という『私の体力練成』もできる時間に

母の喋りを聞いていた。

 

ただ、母は歩くのが遅いので、

それほど『私の運動』になるわけでもないのが

逆に私のストレスになってきた。

 

スマホのメトロノームアプリで計測してみたんだ。

メトロノームの60が一秒。

 

私は平地だと102~120ぐらいで歩く。

母は64ぐらい。

 

倍遅い!

 

『自分のペースで歩けない』って、すっっっっごいストレスなんだよ。

 

『母との散歩』は一日一時間だけで

母のペースだから、私にとっては『軽い有酸素運動』にしかなってない。

これを『私のペース』で歩いたら凄い運動になるのに。

 

毎日一時間が無駄時間になってるんだよ!!

 

『時間が無駄になってる』。

その切迫感がずっとストレスだった。

 

このブログのタイトルでもある『タスク管理』とか『時間管理』とか

記事を書いてるだけでわかるよね?

 

『時間コスト』に私がうるさいのが。

 

『母との散歩』はとにかく、時間コストが悪すぎる。

その上で、『母の喋りを聞く』ということで精神的コストもかかる。

 

結局、八カ月続けたけど、年末に私が体を壊した。

固形物を食べると嘔吐する事態。

三週間、流動食になって六キロ痩せた。

 

今、この記事を書いているだけでも、

あの時のことを思い出すと涙が出てくるぐらい、あの時の私はつらかった。

めっっっちゃ、胃が痛くなってきたし、呼吸が苦しい……

 

でも、母の方が、痛いし、しんどいし、つらいし、大変なんだと

そして、母を孤独にすると家がゴミ屋敷になる。

 

『母のため』なんておためごかしは言わない。

『私の居住スペース』のこめに、私は母に付き合ってた。

 

母が歩けなくなって、車椅子とかになって

家の中でトイレにいくにも解除が必要になったら

困るのは、それを世話する私なんだ。

 

母には死ぬ寸前まで、自分の足で歩いてもらう方がいいに決まっている。

 

『私が将来、母の介護で時間をつぶさない』ために

『歩ける母の散歩につきあう』のが、コスパいい。

 

『母のため』なんてキーワードではモチベーションが続かない。

利己主義な私は『私のため』でないと動けないんだ。

 

私は一人っ子なので、

両親が介護生活になったら、

それらの費用負担は私が全部しなきゃいけない。

 

その貯金を作るために、今は作業しなきゃならないんだ。

だから、その作業時間を圧迫される『母の散歩』がつらかった。

 

『母との散歩』は『自分のペースで歩けない』だけではなく

『母の喋り』でSAN値を削られるから、マジつらい。

 

それを『将来母の介護に時間を使わないため』。

そこまで考えてようやく、

母の喋りを少し聞き流せるようになったし

母のペースで歩くこともそれほど苦痛ではなくなった。

 

とにかく、一緒に散歩を続けた。

その、『嘔吐して食べられなくなった』という、体を壊すまでは。

 

食事ができないから、ふらふらして歩くとかとんでもないので

散歩もやめた。

 

でも、そのおかげか、ストレスがなくなって

三週間で三冊分の小説を書き切ったww

 

去年までは『一時間の散歩』で体力的ストレスがかかってたと思ってたけど

この記事を書いていて気付いた。

『母と一緒にいるストレスで内臓がストップしたんだ』と。

 

私は、ストレスがかかると『胃酸を出さなくなる』という持病?を持ってる。

 

どれぐらい胃酸が出ないかというと

夜の七時に嘔吐したら、正午に食べたスパゲティが

『かみ切ったままの束』だったぐらい。

 

消化によいスパゲティなんてものが、

一切消化されない状態になるぐらい

胃酸が出ない。

 

胃に、まったく消化されていない食べ物があるので

夕御飯を食べ始めると、激痛が走って嘔吐する。

さすがに、スパゲティが『そのまま出てきた』のはその時が始めてだった。

今までは、まだ、消化されたものをどろどろと嘔吐してたんだ。

 

つまりは、『胃の機能が大々的に退化した』ってことだ。

多分、老化だろう。

 

『胃酸を出す』機能が完全にストップしたんだ。

精神的ストレスで。

 

以前から、コミケ修羅場のあとにおなかの激痛で救急車を呼んだこともあったけど

理由がようやくわかった。

 

私は、ストレスを受けると胃酸がとまる。

それよりストレスをうけると胆汁がとまるから真っ白いウンコが出る。

だから、ウンコを確認する癖がついた。

 

三年に二回ぐらい、真っ白いウンコがでるw

半日で治るから病院に行く機会はなかったけど。

 

とにかく、その当時の私も限界だった。

体力的にではなく、精神的に、母と一緒にいることがつらかった。

毎日毎日、一言一句、同じ『認知症の人が毎日同じことをする』という話を

繰り返されている時に、なんかもう、母を堤防の上から突き飛ばしたくなった。

 

「母は誰かにしゃべることで『ストレス発散』をしている」

つまりは、ストレスをゴミ箱に投げ捨ててるから楽になってる。

私は母のゴミ箱になってる。

 

その『事実』が、食事できなくなるぐらいつらかった。

 

でも、ある時ふと、思ったんだ。

なぜか、思いついた。

 

「母は誰かにしゃべることで『ストレス発散』をしている」

「私は母の『ストレス発散』を『助ける』ことで『得を積んでいる』」

 

私は『ゴミ箱扱い』されているのではない!

積極的に『母を助けている』んだ!

 

それを思いついた瞬間、

世界が輝いたような気がした。

それまでは、世界に一枚、グレーのベールがかかっていたかのように

『世界が明るくなった』んだ。

 

本当に、いつも歩いている堤防が輝いて見えた!

 

うちの家族は、四国88カ所をまわるぐらいには、神仏を信じている。

だから『得を積んでいる』というのは私にとって『パワーワード』になったw

 

それから、『得を積んでるならまぁいいや』と、

『母のしゃべり』をうまく聞き流して相槌を打てるようになったんだ。

 

私はなんでもできるしやるので、器用な人間だと思われてる。

けど、実は凄く無器用だからこそ、必死に何度もやってモノにするんだ。

『モノにしたこと』だけしか、周りからは見えないから

『なんでもできる』と思われる。

 

違うんだよ。

なんでも必死なんだ。

 

テレビを見るのも、態度はだらけてるけど

必死で見てるんだよ。

だから、その内容をよく覚えている。

 

だから『母の喋り』も『必死で聞いてた』んだよ。

だからこそ『一言一句変わらない』ことを知ってたんだ。

 

『聞き流せばいいんだ』ということを、ようやく『理解した』。

それまでも『聞き流してたつもり』だったんだよ。

 

でも『聞き流す』にもレベルがあったんだ。

 

私は喫煙しないので『ふかす』というのがどういう状態かわからなかった。

何回か人に聞いてみたけど

  • 『たばこを吸う』のは、肺まで煙を入れている。
  • 『ふかす』のは口先だけで吸ってる。

 

そういう説明がなんとなくふにおちた。

 

それを前提に

『母の喋り』を『ふかす』ように『聞く』ことができるようになったんだ。

今までは『母の喋り』を『脳まで入れてた』んだよ。

 

だから、ノイズばっっっっっっかりの『母の喋り』が

私のSAN値を削ったんだ。

 

『母の喋り』を『脳に入れないように』

『右の耳から頭皮を伝わって左の耳に流す』感じ。

それが『話をふかす』感じ。

 

『脳にはノイズを入れない』。

それを意識してできるようになった。

 

とはいっても、これも『気の持ちよう』なだけだろうけど。

 

それでも、

ウソのようにストレスがなくなった!

なくなったんだ!!

 

『認知症の人が毎日同じことをする』という話を

母がテープレコーダーのように毎日毎日話されているのは一緒なのに。

たかが『私の気の持ちよう』で『ストレス回避』できた!

 

それを、母と散歩に行って、毎日話されているのに

『気にならない』と『思った』たびに

『実感した』んだ。

 

『気の持ちよう』って『こんなこと』なんだな、と気付いた。

 

当時はそこまでだったけれど。

今思うとわかる。

『気の持ちよう』という『スキル』をその時、入手したんだ。

 

何度も嘔吐するほど内臓を壊してようやく!

経験値がそこまで達したんだ!

『母の話を聞く』ことのレベリングが実って、レベルアップしたんだよ!

 

それからは『母の喋りを聞く』ようになったから

母の方もストレスがなくなったのか、見違えるように温和になった。

 

だから、散歩以外の生活でも、母が私に毒を吐くことがなくなったから

私が怒鳴り返すこともなくなって

物凄く

ものすごく

も の す ご く 、 平和に なったんだ。

 

母は私の言うことを聞いて、無駄なものを処分し始めた。

つまりは、私に対抗して私が嫌がることをしていた可能性もあったww

 

家の中のごみ袋が、雲を霞となくなった!

台所の『ゴミ』が少しずつ減っていった!

 

『母の喋りをちゃんと聞く』ことで、

ここまで母のストレスが無くなるんだ、ということを実感した。

 

それからは『気の持ちよう』をうまくつかいこなせるようになったんだ。

 

「つらいこと」をしていたら

  • 『この作業で経験値がつくから、レベルアップしたら楽になる!』
  • 『雪の中、お遍路して過呼吸起こして倒れたときよりマシ!!』
  • 『何度失敗したとしても、成功への手順の一つでしかない!』
  • 『この経験は将来の私の役に立つ!』

そう呟いて乗り越えた。

 

大体の『肉体疲労』なんて

  1. 雪が降るなか
  2. 四国の山の中を
  3. 杖をついて歩いて
  4. お寺で休んでたら過呼吸を起こして涙を流して苦しんだ。

そんなことよりは、マシなんだ。

 

マシなんだ。

 

これが『苦労は買ってでもしろ』ってことなんだな、と

勝手に納得した。

 

先につらいことをしておくと『あの時よりマシ』と思えるから

なんでも『継続するモチベーション』が続きやすい。

 

  1. 一月1日から4日まで、
  2. 家族で
  3. 雪の中
  4. 30カ寺ぐらい回った。

 

  • 車に酔うので、車に乗ってるのもつらい。
  • 山だからカーブが多くてさらにツライ。
  • 殆どは山道だから、木を打ちつけただけの泥の階段。

それでも『車遍路』なんだから、『歩くよりマシ』と言われて踏破した。

 

四日目には、きゃーっ! って叫んで、車から跳び出して

そこらへんから飛び下りたかったww

 

私は極限になると投身自殺したがるんだな、と納得したので

高いところには登らないようにしている。

高所恐怖症なのもそういうのが一因ではないだろうか?

 

『あの苦しさ』

アスリートでも無い私が、超絶肉体疲労した数日。

 

温かい室内でパソコンを触って

苦手な英語でしか意思疎通で着ない状態で

何回もリテイクされて精神疲労を受けていることなんて

あの正月のお遍路に比べれば、何千倍マシ!!!

 

つまりは『苦労は買ってでもした』スキルを私は持ってたんだ!

それを、あの、アメリカとの取引で精神圧迫されたときに気付いた。

 

  1. お遍路してるときよりマシ。
  2. 四国まわってるよりマシ。
  3. 今は私の不備で通らないだけ。
  4. 私の技術力が上がれば、ちゃんと通る。
  5. 『初めてのチャレンジ』なんだから、できなくても当然。

 

まぁ、自慢させてくださいよ、この日本刀ですw

3Dソフトで作って、データ販売を開始しました。売れてます♪ヽ(´▽`)ノ

 

日本刀、歌仙兼定レプリカ。AW Katana KasenKanesada | DAZカテゴリ一覧

この記事を面白いと思ってくださったなら、寄付がわりにでも買ってくださいww

私がめっちゃ喜びますww

 

この日本刀をリリースするのに、9カ月、

英語でやりとりして、何回もリテイクされ却下され

それでもやり直して、見事、販売にこぎつけました!ヽ(´▽`)ノ

 

確実に、レベルアップしました!

 

小説家でもプロでしたが、3D作家としても、プロの仲間入りですww

私はがんばりました!

 

これが、『私がスキルを手に入れた』ときの実例です。

 

  • 『お遍路よりマシ』という『モチベーションアップ』スキル。
  • 『母の喋りを聞き流す』スキル。
  • 『3Dデータ販売』スキル。

 

物凄い苦労しました。

 

『3Dデータ販売』の時は、『母の新たな試練』も追加されたので

  1. マジで精神を病んで、過食して太って、
  2. 二カ月で二回も捻挫するぐらい注意力散漫になって
  3. 歩けなくなって
  4. 運動できないし痛いからもっと精神を病んで

マジ大変でした。

 

ただ、過呼吸が出るほどのことはなかったですし

やっぱり『お遍路の時よりマシ』ですよね。

 

とにかく、

ゲームをよくする私は『経験値』という言葉が『楽しさ』とつながっているww

 

キャラをレベル上げする作業『レベリング』は単調でつまらないけど

レベルアップしたらあのボスを余裕で倒せるようになる!

 

その『レベリングの楽しさ』を知っている。

だから、実生活でもレベリングは楽しくこなせるんです。

 

だって『レベルがあがると楽になる』ということを『知っている』から。

 

ゲームと実生活は違う、とよく聞きますが

リセットして死んでも回復できる、ということ以外一緒です。

『した』から『できるようになる』だけなんです。

 

『レベルがあがる』と『新しいスキル』を使えるようになる。

その『新しいスキル』で『それからのプレイは楽になる』。

 

『母との喋り』もレベリングの間つらかったけど

『得を積んでいる』という『スキル』に『気付いた』から楽になったんです。

 

人生はゲームとは違う、とよく言われるけど

『ゲームと一緒』だと思って『コツコツとレベリング』すれば

『ボスには勝てる』んですよ。

 

  • 『落ちこぼれ』というボス。
  • 『テストの成績があがらない』というボス。
  • 『うざい上司がいる』というボス。

 

『人生の困難』は『ボス敵』だと考えて

それをクリアするためのレベリングをすれば、そのうち

するっと勝てます。

 

問題は、『ボスのレベルを見定める』ということ。

 

自分がレベル1の時に勝てなかったボス。

それを倒すために自分がレベル100担ったけどまだ勝てない。

何故だ!

 

簡単な話。

  • ボスはもっと強かった。
  • あなたが成長する間にボスも成長した。

この二つが原因です。

 

でも、あなたの経験値を相手を追い抜けば、勝てる。

これは事実なんです。

 

ただ『人生』では『レベルアップのファンファーレ』や

『スキル取得の告知』がならないから

『レベルアップした』とか『スキルを手に入れた』とかが『わからない』だけ。

 

赤ちゃんの時は四つんばいだったのに

二足歩行できるようになってるやん?

 

フォークしか使えなかったのに、箸が使えるようになってるやん?

自転車乗れるようになってるやん?

車乗れるようになってるやん?

 

誰でも『レベルアップ』『スキル取得』はしてるんですよ。

 

でも『気付いてない』から『それを強み』にできてない、だけなんです。

 

一か月以上、自動車の普通免許を取得するのに時間を費やしませんでしたか?

大学を卒業した後に、

それより難しいことって、そんなにたくさんありますか?

 

それより難しいことなら、自動車免許をとるために頑張ったより

時間がかかっても当然だと思いませんか?

 

難しいことなのに、簡単にできると思ってませんか?

 

そういう話なんですよ。

 

『あなたのスキル』を洗い出しましょう。

『あなたのスキル』を書きだしてみましょう。

 

どんな小さなことでも大丈夫!

誰かに見せるわけではないですから。

 

私だとこんな感じ。

  • 未熟児だったけどちゃんと呼吸して生きてる!
  • 立ち上がった。(八ミリ映像が残ってるw)
  • 二足歩行できた!
  • 自転車に乗れた!
  • 箸を持てた!
  • 『物語』を書き始めた。(小学校二年生位のとき)
  • 九九を覚えた!
  • 高校の入学祝いにワープロを買ってもらって、小説を書くようになった!
  • 高校一年生の初同人誌即売会で本が四冊売れた!
  • 次の同人誌即売会で本が完売した!
  • 証券会社に入社した。
  • 同人誌専業になるために退社した。
  • お遍路始めた。
  • 小説一本で食べて行けた!
  • サイトを軽々作れるようになった!
  • 貧血治療した!
  • 3D作家になった!
  • 自分にあった食生活と運動方法を見付けた!
  • クララが立った!  ← 今ココ。

 

どうでもいいことも含めて

こういうこと、って無視してませんか?

  • 出産されたあと、ちゃんと呼吸して生きてる!
  • 立ち上がった。
  • 二足歩行できた!
  • 自転車に乗れた!
  • 箸を持てた!

 

自転車に乗れない母からすると

『自転車で走り回る』って垂涎のスキルなんですよ。

 

『感謝』すると『スキル』が分かりやすい。

  • 死産の子供もいるんです。
  • 足がおかしくて立てない子もいるんです。
  • 母は今、自転車に乗れません。
  • 私は今、腱鞘炎再発防止のために、フォーク生活です。

 

水道の蛇口をひねったら『飲料水』が出てくる

そんな、清潔国家日本に生まれたことを感謝してみませんか?

 

停電なんて滅多にしない、生活インフラの整った地方自治体に

税金を払えていることを感謝してみませんか?

 

税金を払っているのに、

  • 蛇口から汚い水が出る。
  • 一日に何時間も停電する。

そういう国もあるんです。

 

重箱の隅をつつくように悪いところばかり指さして

私はなんて不幸なんだ! 政治家はーっ!

と怒鳴るのは簡単ですが

  • ちゃんとお湯で毎日入浴できることに感謝しませんか?
  • 出会い頭に射殺されないことを感謝しませんか?

 

スイーツの食べ歩きとかができるのは

平和だからなんですよ。

 

まず、『身の回りの平和』に感謝しませんか?

 

夜の内に呼吸が止まって死ぬようなことがなかったと

目が覚めたときに感謝してみませんか?

 

  • 寒いだ暑いだでエアコンを使える。
  • 夏でもアイスが食べられる。
  • 入りたいときに熱いお湯で入浴できる。
  • 蛇口の水を飲んでもおなかを壊す心配がない。

 

世界人口70億人の中で、

二億人ぐらいだけが、

そういう『幸福』な『スキル』を最初から持っています。

 

『生存』という『スキル』を持っていることに気付いていませんよね?

『健康』という『スキル』を持っていることに気付いていませんよね?

 

そして『健康』という『スキル』が『効果を発揮しなくなってきた』のは

「殆ど」が『自分の生活態度』だと、気付いてみませんか?

 

殆どの人が生まれ持って持っている『健康』という『スキル』を

自分の生活態度で『弱めている』のです。

 

  • 手が動く。
  • 指が動く。
  • 歩ける。
  • 走ることができる。

これらも全部『スキル』なんですよ。

 

『老化』や『リュウマチ』などで、『失っていくスキル』なんです。

 

私は学生時代から『腱鞘炎』を持っていたので

『指が動く』という『スキル』は実感しています。

 

中学時代に『クビのしびれ』のためにレントゲンを撮影したら

『第二頸椎が浮いていて首の角度によって神経を圧迫するから痺れる』

そんな診断を受けた私は『生まれ持って骨の異常』を持っていたわけです。

 

だからこそ『正しい姿勢』にしておかないと

首が痺れて痛いので

『姿勢がいいね』と言われるようになりました。

 

『疲れても、もたれずに立っている』ことをよく褒められますw

でも、私にとっては『もたれて立っている』ことのほうがつらいのです。

 

小学校の頃から頭痛持ちだったので、『痛みは友達』です。

『痛い』なんて『無視する』癖がついてしまいました。

 

でも、痛いのは痛いから、ずっっっっっとストレスなんです。

 

産婦人科のお医者さんにかわいそうがられるほど

子宮が後屈しているので生理痛も生理前症候群も酷かったです。

 

特に、母が生理痛がほぼなかったらしいので

『生理がそんなにつらいわけない』『そんなことで』と言われて、

毎月つらかったです。

 

まっ青になってうずくまり、脂汗を流してうめいているのに

ウソだと言われるのですから。

母に好感なんて持てるわけがなかったです。

 

母の確執は、結局『生理痛』から来ているのかもしれません。

私の言うことを信じてくれない人を信用できるわけがないんです。

 

私の、母に対する不信感は、生理痛の時間とともに積み上がっていたんですね。

その母がバカなことをするから、余計に肚立だしかったのです。

 

ただ『家族仲が悪い』まではいかなかったのです。

 

私は子供の頃から吝嗇家だったので

『親の金をどうやって私に使わせるか?』を常に考えていましたw

 

『私にお金を使ってもらう』ためには

私が『良い子』であることが一番なのです。

 

私の小遣いを使わずに、欲しいモノを手に入れるにはどうしたら良いか?

つまりは『自分の実力以上のものを入手するスキル』です。

 

ファミコンを買ってもらうときも、

私が好きなゲームをねだるのではなく

虎キチの父に『野球のゲームもあるよ』とゲームを紹介しましたw

 

日曜の朝から父が必死で野球ゲームをしていたんですよ。

私に勝てないからw

 

ファミコンやスーファミも、そういう経緯で父が買ってくれました。

そもそも、『ボードゲームの人生ゲーム』を三年に一度ぐらい買ってくる人なので

ゲームに対してのハードルは低かったんですよね。

 

ビデオデッキが発売されたころも

「今年の年末のテレビ番組、紅白の裏に野球選手の番組があるよ」と

私がささやいたのが、購入のきっかけになりました。

 

『自分の欲しいモノ』を『相手の欲しいモノ』だと認識してもらって

相手に買ってもらう。

 

『親と仲がよい』だけでこんなことが簡単にできるのです。

親と仲違いするなんて、私にとってはバカな行為でした。

 

『積み木崩し』がはやった時代だったので

『父親が嫌い』『親が嫌い』『先生が嫌い』は

学生にとって市民権をとっていました。

 

でも、『そんなこと』をしたら『つらいのは自分』だと私はわかっていたので

隣の家が派手に積み木崩しをしていても、私は父と碁を打ってました。

 

中学校の時、すでに『株と社債』の違いをわかっていた私は

お金に汚い自分の性格をよく知ってますw

 

母の身内が『戦時国債』で大損をしたので

母は『投資』というものそのものが信用できなくて

そこらへんの話を聞いてくれません。

 

『日本の国債がダメになる』なんて、結局、あれから40年なかったわけです。

 

『日本の国債』は信用しないのに『銀行の定期預金』はするのです。

国債がダメになったら、銀行なんてつぶれてるから、

銀行の定期より国債の方が信用度は高いんだよ。

 

定期預金するなら国債を買ったほうがいいよ、と言いましたが

母は聞く耳がありません。

 

あの頃に親が長期国債を買っていたら、今頃お金持ちだっただろうなと思います。

あの頃の利率って何%だった?

銀行の定期預金でも7%だった時代ですよ!

 

5%の保険に入っていただけでも、マシですけど。

 

『戦時国債と通常国債の違いがわからないなんて、母はなんて馬鹿なんだろう』

中学校のときに、すでにそう思ってました。

 

ただ、あの時は気付かなかったのです。

母は『理屈』ではなく『感情』で動いているのだ、ということを。

 

私も父も理詰めで動くので、母は本当に、異世界の化物のようでした。

それこそ『一行の間に矛盾するな』って感じです。

父は苦笑するだけでしたが、私は常々イライラしていました。

 

平和な家庭です。

両親は頻々とお葬式に出かけますが、うちでお葬式が出たことはありません。

長期入院もしたことはありません。

 

両親もよく頑張っていると今なら思えます。

 

よく、死なないでいてくれた!!!

そのことに大感謝です。

 

私も更年期障害で目眩がひどいですが

毎月の生理痛がなくなって、本当にスッキリしました!!

 

首がおかしい私より、あなたは幸福ではありませんか?

蛇口をひねれば腱鞘炎で激痛が走る私より、

あなたは幸福ではありませんか?

 

でも、その幸福って『気付かない』ですよね?

 

『生まれもった幸運』って、気付かないですよね。

『当然』だから。

 

だからこそ、『まわりと比べる』ことが重要なのですけど

大体は『上の人と比べる』から

『私はこんなことができない! 不幸だ!』になっちゃう。

 

比べるなら、下と比べましょう。

 

そして、その人になくて自分にあるものは

『自分のスキル』だと認識しましょう。

 

『夫婦喧嘩されない』スキルとかも重要ですよ。

夫婦喧嘩するだけで、子供の成績が悪くなるそうですから。

 

『ネグレクト』なんて言葉のなかった昔

私の裏の家で、たまに子供が泣いていました。

 

夜に家を追い出されたらしく

「僕のお母さんごめんなさい!!」と

20分ほどドアを叩いていました。

 

「『僕の』お母さんごめんなさい!!」

 

『僕の』?

どうやったら『僕の』なんてそこにつける???

というのが当時の疑問でした。

 

それ以来、子供が泣くことがほぼなかったのですが

今なら通報していたでしょう。

 

その裏と、隣の家だけが、

あの町内で家庭内に派手な問題があった感じでした。

隣の家が不良のたまり場になって迷惑も被りました。

 

引越し先のマンションでも、下の階で

喧嘩の末にモノが壊れる音がしたことが一度あります。

 

うちの両親は一度も夫婦喧嘩したことがなかっただけ

ラッキーだったんだな、と本当に思いました。

 

きれいごとは言わないです。

『うちは平和でよかった』と私は思います。

 

一番騒動を起こしているのが私なので

両親は私のやることにやきもきしてました。

 

母は私のすることでいつもビックリして、

SAN値を削っていたようです。

ごめんなさい。

 

大阪に出てきてから引越しを一度しかしていない母にとっては

11回も引越しをした私に、そのたびSAN値を削られていたようです。

 

『下を見て悦にいる』のは話が違いますが

『うちはそうでなくてよかった』と思い

それが『幸運のスキル』なのだと『自覚』すると

人生が変わります。

 

『他山の石』です。

『人の振りを見て我がふりを直す』のです。

 

  • ああなるまい。
  • ああでなくてよかった。

 

その前提で『さらによりよいこと』で『自分にできること』をやっていきましょう。

 

ドラマの家庭と比べると『下を見る』のに都合が良いでしょう。

だから『不幸モノのドラマ』がはやるのです。

 

『うちはああでなくてよかった』

その『ああでなかった』ことが『あなたの生まれ持ったスキル』なのです。

 

  • 家出するほどでもなかった『悪い家庭ではなかった』スキル。
  • 『夫婦喧嘩があまりなかった家庭に育った』スキル。
  • 『おちこぼれにならない程度に勉強できた』スキル。
  • 『いじめのターゲットにならなかった』スキル。

 

軽く苛められていた私には

『いじめのターゲットにならなかった』というのは

かなりの『幸運スキル』だと思っています。

 

『不幸を回避したこと』って『わからない』でしょう?

とりたてて困ったこともなく、平々凡々と生きてきたというのなら、

それがあなたの『幸運スキル』なんですよ。

 

私のような娘を持った私の母は

私がナニカするたびにSAN値を削っています。

 

過呼吸を起こして学校で倒れたことが数度有ります。

そのたびに母は「娘さんが倒れました」という電話をうけて

ハラハラしたことでしょう。

 

健康な娘を持てたことって、幸運なんですよ。

 

『平凡に生きてきた』ということは

『困ったことにあわなかった』ということなんですよ。

 

『困った事態に遭遇しない』というのは

それは、はっきりとした『幸運スキル』なんです。

 

『平凡なのがつまらない』なんて言わないで

『平凡に生きてこられたラッキー』をかみしめてください。

 

人殺しに追い駆け回されていたり

災害のど真ん中で家がなくなったら

『退屈』なんて感じないんですよ。

 

『退屈』というのは『幸運の裏返し』なんです。

 

『ため息をつける』というのは『小さなラッキー』なんですよ。

『追い回されている間』は『ため息をつくヒマもない』のですから。

 

「退屈だなぁ」と思ったら

「困ったことがなくて幸運だなー」って「呟いて」ください。

『幸運スキル』を自覚すると、さらに幸運になれます。

 

退屈だと思ったら、私のブログ記事の、誤字脱字とか

画像が無い記事とか、探して教えてくださいw

 

というか、記事を修正してくださいww

 

似たような記事を統合しようと思っているのですが

ゲームをする時間はあっても、その記事を読みかえす時間がありません。

 

そんな私に、『これとこの記事が似てるから統合したら?』と教えてください。

 

そういう小さな仕事が私はたくさんあるので

退屈なら協力してください。

 

マジで。

 

まぁ、とにかく。

『退屈と思えるのは幸運スキル』だと、自覚して

もっと『幸運スキル』を見付けてみましょう。

 

わたしのアレルギーについて、この記事に書きました。

『体力を回復させる』というのはこういうこと。 | ポジティブにタスク管理

 

  • 子供の頃、コートの裏地で両腕の全体がかぶれて、肘が曲がらないぐらいぶくぶくに腫れ上がった。
  • 小学生低学年の頃に足を三回骨折していて、人体がくるぶしの骨にくっついていない。
  • 中学生の時に第二頸椎がずれてることが発覚。
  • 牛乳でおなかをくだす。
  • 『毛(ウール)』がかゆくて着用できない。
  • 自分の汗でかぶれる。冬でもチクチクかゆい。
  • ニッケルの鎖のネックレスは首に傷がつく。
  • 涙に脂肪分が多い。
  • 銀の指輪すると皮膚が緑色になる。
  • 『透明っぽいゴム』製のブレスレットは皮膚が溶ける。
  • 二十歳の時に、外国土産の口紅でくちびるが二週間腫れ上がった。
  • 絆創膏やテープのノリでかぶれて血が出る。
  • 消毒用アルコールで肘の内側が赤くなる。
  • UCCのコーヒーでも眠れなくなるw
  • モカを飲んで胃に激痛を感じ、四時間ほど昏倒したことがある。
  • 胃腸がたまに動かなくなる。
  • 疲れると、胆汁が出なくなる(真っ白いウンコが出る)。
  • 家で作る揚げ物以外は、口内炎が出る。
  • 炭水化物で極度にむくむ。
  • 一部のどんぐりの木のそばによるとくちびるが腫れ上がる。
  • 漆の葉っぱなどで水ぶくれができる。
  • 両目の視力が違う。
  • 腱鞘炎になりやすい。

 

どうです?

こんな私よりあなたのほうがよっぽど健康でラクではありませんか?

 

かくいう私も『重度の花粉症の人よりマシ』と思ってますw

物体が触るとかぶれますが、空気が敵よりマシ、という考えです。

 

肘の内側の静脈が細いので、いつも注射針を刺すのにめっちゃ苦労され

最大五回、さし治されたことがあります。

 

注射がイヤだと思ったら、五回刺し治しされた私を思い出して、

一回で注射針が血管に刺さるのは、ラッキーだと思ってください。

 

そうか、こんなに私は幸運なのか!

そう思うと、人生がかわります。

 

決して、自分よりレベルが上の人と比べないように。

死にたくなりますからw

 

上の人と比べるなら

私になくてあの人にあるスキルはなんだ?

そういう比べ方をしてください。

 

あの人は持ってるのに私はそれが買えない! 不幸だ!

そうは、決して考えないように。

 

あの人のヴィトンのバックが12万円。

私が買うなら、半年分の余裕資金が必要か。

半年、節約してまであのバッグを私はほしいか?

 

そういう考え方も良いですよね。

 

それでもほしいなら買えば良いです。

 

比べるときは『幸運なあの人』という『固有名詞』ではなく

『あの人のアレはどういうスキル?』と考え

『そのスキルを私が入手するには?』と考えるのです。

 

『あの人』は私より一つ上の役職。

私がそこにいくためにはどうしたらいい?

 

答えは三つ。

  • 『あの人』の業績を調べる。
  • 自分もそれ以上の業績を上げる。
  • 『あの人』がその役職ではなくなる。
    • 昇進する。
    • 左遷される。
    • 退職する。

 

いつも上からウザイ!

そう考えるのではなく

『私があの役職になったらどうする?』

そう考えましょう。

 

ウザイとか、面倒とか『思っただけ』では

『何も変わらない』だけではなく

『あなたの精神に悪影響』があるぶん、マイナスなのです。

 

『どうしようもないこと』は『考えない』。

『どうしたらそうなるのか』を『考える』のです。

 

ダメ上司が縁故でそこにいるなら

その人は『縁故就職できたラッキー』を持っているのです。

それはなかなか、覆せないので他のことを考えた方がよいですよね。

 

あの人、私より売れてる悔しい!

悔しい悔しい悔しい!

どれだけ叫んでも、結果は変わらないのです。

 

なぜ私より売れているのか?

  • 私より美人。
  • 私より世渡りが巧い。
  • 私より実力がある。

 

つまりは『自分よりレベルが上』なんですよね?

 

特に『私より美人』は、整形でもしないと追い越せません。

そういう人と『同じ土俵で戦う』ことが一番の浪費なのです。

 

あの人が美人で売ってるなら、自分は面白さで売ろう。

ファッションセンスで売ろう。

トークで売ろう。

 

『努力でどうにかなる部分』で勝負するのです。

 

だからこそ『自分のスキル』を『考える』ことが必要なのですね。

  • 『勝ちたい人』に『勝てるスキル』はなんだろう?
  • 『負けたくない人』に『負けないスキル』はなんだろう?
  • 今、『私のしたいこと』が『できるスキル』はなんだろう?
  • 今、『私が持っているスキル』はなんだろう?

 

案外、『スキル上級者』程『そのスキルを自覚しない』のです。

 

スキル上級者になるためには、才能がかかわることがあります。

才能があってすっと上級スキルを入手した人は

『そのスキルを入手する努力』を知らないので

『みんなできる』と思いがちです。

 

『こんなこと誰でもできるでしょ!』と叱咤する上司がその典型ですね。

いやいや、誰でもできたら、みんな年収一千万円になってるでしょ。

 

そういうことをこういう人は平気で言うのです。

 

上を見すぎると疲れる。

五歳の子供は、鍵盤を叩くだけでも

「私はピアノをひけるよ!」と『言える』のです。

 

英会話ができない人ほど

「Thank you!」と喋れただけで『会話できた!」と思えます。

 

ピアニストのプロは、『モット巧い人がいる』のを『知っている』から

『自分はピアノが巧い』とは『言えない』のです。

 

英会話がペラペラの人は

英語のディベートとかに参加して、優勝している人を見ているので

『英会話巧いよ』とは『言えない』のです。

 

『上を見ている』から『自分はそれほどではない』と思っているだけで

『一般人』からすると『凄いスキル』なのですが

それを『凄いスキル』だと認識していないのです。

 

なぜなら『自分が普通』だからです。

 

私はこれを『自分が普通病』と呼んでいますww

 

  • 良い意味だと謙遜。
  • 悪い意味だと胃の中のかわず。

 

たとえば、英検の勉強をし始めた人が

英検一級の人を見て『凄いですね!』と言った場合

英検一級の人は、英語のディベートで勝つことを『凄い』と思っているので

『そんなことないですよ』とかいいます。

 

英検初心者からしたら一級は凄いんですよ!

ということを、理解していないのですね。

 

『下を見ていない人』アルアルです。

 

これね、みんな気にしていませんが、『下の人』を『傷つける』んですよw

 

厭味で『凄いですね!』と言われたら謙遜しても

言った人は傷つきませんが

本気で『凄いですね!』と言った人は謙遜されると傷つきます。

「私が凄いと思ったから褒めたのに、私の言うことがウソだって言うの?」って感じです。

 

日本では『謙遜が美徳』なので『謙遜を本気では受け取らない』から

それほど傷つく人はいないでしょうが

『自分が褒めたことを否定された』ことは、わずかに響くんです。

 

褒められたら『ありがとうございます!』って言っておけばいいんですよ。

 

  • 褒められたらお礼を言う。
  • 助けて貰ったらお礼を言う。

 

それだけでいいんです。

 

『お礼を素直に言える』っていうのも『スキル』なんですよ。

 

だって『ありがとう』って『言いにくい』でしょう?

 

『ありがとう』を『言える』ことは人生最強のスキルの一つ。

私はありがとうを連発する人間なので

『なぜ「ありがとう」が「いいにくいのか?」』というのが

真には理解できませんが

言わない人、多いですよね。

 

『ありがとう』なんて大安売りで言いまくればいいんですよ。

だって、『ありがたい』と『思ってる』んですから。

 

助けてもらって助かったのですから、

ありがとうというのは当然なんです!(握り拳)

 

なぜ、『ありがとう』と『言うこと』が『恥ずかしいのか』?

全然わかりません。

 

『思っていて』『口に出したらだめなこと』は

喋っちゃだめですが

『ありがたいと思っている』なんて、なんの支障も無いです。

 

『ありがたい!』と思ったら『ありがとう!』と言いましょう。

『すいません』ではだめなんです。『ありがとう』です。

 

厭味を言われても『ありがとう』で返せば

厭味を言ってこなくなります。

 

だって、厭味を言う人は『イヤな気持ちにさせたい』のですから

『満面の笑顔でありがとう!』なんて言われたら

厭味を言う意味がないんです。

 

そう言うときは『厭味の通じない馬鹿』になるほうがいいんです。

 

『厭味の通じない馬鹿』というのも、だから『スキル』なんですよ。

『厭味をいわれなくなる』という『スキル』なんですね。

 

レストランとかでも、

皿を持ってきてもらったら、水をそそいでもらったら

にこっと笑って、相手の目を見て『ありがとう』って言ってみてください。

対応が変わることがよくありますよ♪

 

私は、コミケのたびに、

近くのホテルの最上階のレストランで食事をしていました。

つまりは、一年に二回です。

 

ある日、支配人の人が名刺を持ってきました。

支配人が交代したから、常連さんに挨拶にまわっていたそうです。

実際、私が居た間、他のテーブルの人には挨拶に行っていませんでした。

 

「私は半年に一度しか来ませんので常連ではないですよ」

「そうなのですか? ウェイトレスの子達が、あの人が良く来る人だ、と教えてくれましたよ」

そういうことでした。

半年に一度は『よくくる』とは言わんだろ。

実際、コミケのたびに毎回行くわけでもないんだから。

一年に一回のこともあるのに。

 

多分、『ありがとう』を連発しているから記憶に残ったのだと思います。

 

そういうので記憶に残してもらえるのは光栄なことですね。

 

『ありがとう』は『魔法の言葉』なんですよ♪

  • 何処で使っても場が持つし、不適切にならない。
  • 厭味でも良い意味でも使える。
  • 大体は、相手も気分が良くなる。

 

『ありがとうって言われるとやる気がでます』って良く聞きませんか?

『ありがとう』って『言われる』ことが『モチベーション』になる人って多いんです。

 

つまりは、滅多に『ありがとう』ってみんな言わないんですよ。

 

だからこそ『「ありがとう」を言う』スキル、なんです。

 

人生で最大にコスパのよいスキルですよ。

  • 無料でできる。
  • 誰にでもいえる。
  • 何処ででも使える。
  • どこで使っても場違いにならない。
  • お礼にも使える。
  • 厭味にも使える。

 

これを、大多数の人は『すいません』と言ってしまっているのですね。

『すいません』は

『私のために手間をおかけして申し訳ありません』という

『謝辞』であって『お礼』の意味はないんです。

 

だから『すいません』って言われて喜ぶ人は少ないんですよ。

『ありがとう』が必要なんです。

 

『ありがとう』の場面で『すいません』を言う人が多いから

『「ありがとう」を言う』ことが『スキル』になるんです。

 

英文メールだと、最後に『Thank you!』って入ってることが多いです。

日本語のメールで、最後に『ありがとうございました』って書きます?

 

書かないでしょ?

 

だから、『書くと目立つ』んです。

 

草々とか『書いていないと礼儀知らず』だとか

書いていると『礼儀を知ってる』とは思われますが

『ありがとう』だと感じる人は少ないでしょう?

 

『草々』って書くのは大前提として

その前の業に

『いつもありがとうございます』って書くんです。

 

まっっったく、相手の対応が変わります。

 

『あ』って書いたら『ありがとう』が出るように単語登録してもいいぐらいですw

 

あと、『褒める』のも『良いスキル』ですよ♪

 

誰でもいいから、『目についた良いところ』を『褒める』のです。

本当に誰でもいいです。

 

旅行先で、ツアコンの助手の人が、銀の大きなバックルをしていたので褒めたら

その旅行の間中、私の荷物を持ってくれましたww

 

その時は、なぜ私の荷物だけ持ってくれるのかと、不思議でしたが

『最初に合ったときに褒めたな』というのを思い出しました。

 

言葉が通じないので

ジェスチャーだけだったのですが、通じたようです。

 

私のベルトを指さして、その人のベルトを指さして、

笑顔で親指を立てる!

 

これだけでしたが通じましたww

荷物が重たかったので、本当に助かりました。

 

『ありがとう』『適切に褒める』は、

人生で最強のスキルの二つです。

 

Tシャツを捲ってまで銀のバックルを見せている人は

褒められたいんですから褒めればいいんです。

 

それが『おれの持ってるのよりチャチいな』と思っても

褒めたらいいんです。

 

だって、その人はそのベルトを自慢したいのですから。

 

ピンクのアイシャドーを塗ってる女の子は

『かわいいね』と言ってあげればよいのです。

 

『かわいいと思われたくなければ』ピンクのアイシャドウなんて

塗らないんですから。

 

  • そのシャドーいい色だね。
  • 今日の服、かわいいね。
  • きょうはまた、一段とかわいいね。

 

なんでもいいんです。

褒めて上げればいいんです。

 

だって、『かわいいと思われたい人』なんですから。

だれも『顔かかわいい』なんて一言も言ってないんですよ。

 

あなたにとってその人が好みだろうがそうでなかろうが

『かわいいと思われたい人』には『かわいいね』と言えばよいのです。

 

変わった服、変わったアクセサリをつけている人は

それや個性を褒めればいいのです。

帽子をかぶっている人や、超ロングヘアの人、

整えたヒゲを生やしているひとは個性を褒めればよいのです。

『個性的だね』そう思われたいから

『他の人とは違う格好』をしているのです。

 

ピンクのワイシャツを着てる男性とか、超褒めやすいw

  • 今日は一段と元気だね!
  • そのシャツいいね、似合ってるよ。

 

出会い頭に他人を褒める。

 

けっこう、人生がイージーモードになります。

もちろん『凄いとおもったところ』を褒めるんですよ。

 

不細工だと思ってるのに『美人ですね』と褒めてはいけません。

それは相手にも伝わります。

 

あなたの好みでない人、不細工だと思った人は

『上品ですね、センスがよいですね』と褒めればよいです。

 

下品でセンスも悪ければ、『個性的ですね』。

 

褒め方はなんでもあるんですよ。

 

あなたも『褒めてくれた人』って『覚えている』でしょう?

褒めてくれた人と、褒めてくれなかった人がいたら

褒めてくれた人を優先するでしょう?

 

人生全部でそれをした場合のことを考えてみてください。

何人の人があなたの味方になりますか?

 

そういう話なんです。

 

そして『褒める人が少ない』ということは

やはり、そうですね?

 

『褒める』にもレベリングが必要なのです。

 

『強く後押ししてくれる』ことを『望むわけではない』のです。

『有象無象の一山いくら』より『マシ』である存在になれるのです。

 

けっこう、人生での利点は大きいですよ。

 

これは『挨拶する』スキルも一緒です。

 

挨拶する人としない人なら、挨拶する人を優先するでしょう?

 

そうやって地道に『無視される存在ではない』スキルを積み上げると、

人生がイージーモードになりやすいのです。

 

そういうタイミングを投げ捨てているから、

人生よりゲームが面白い、となるのですね。

 

なぜなら

『ゲームのレベルは下がらない』からです。

 

人生のレベルは下がることがあるのでハードモードなのですね。

 

まとめ。

いろんなワザを駆使して、母と対決してきました。

 

今は母を褒めまくっています。

 

  • 今日も笑顔だね!
  • 楽しそうだね、ナニがあったの?
  • ゆっくり歩けばいいんだよ、それで筋トレになるから。
  • この料理おいしい!

 

父も褒めまくっています。

 

『Dラボ』のDAIGO君の言っていた『雑談力』を

以前も結構つかっていましたが、

さらにパワーアップさせな家族に使ったことで

家族仲がめっちゃよくなりました!

 

リアル人生のレベリングが

50歳というターニングポイントにきて

ようやく威力を発揮してきたようです。

 

というか、本当に雑に生きてきたなと思います。

10年ぐらい前かな?

『丁寧に生きていこう』って思ったのは。

 

それからは、丁寧に生きてきたと思います。

 

これからも、死ぬまでレベリング!

楽しくがんばりますよ~♪ヽ(´▽`)ノ

 

【この記事を書いた日 2022/04/24 10:57 】

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