あなたの『友達』はあなのた人生に必要か?

死ぬ前に反省しよう
この記事は約17分で読めます。

あなたの『友達』はあなのた人生に必要か?


友達100人切れるかな 1巻: バンチコミックス

 

『友達』とは?

私は、小学校位の時かな。

『友達』という言葉を必要と感じなくなった。

 

学年が変わってクラスが変わると、まったくつきあいがなくなる。

もちろん、私がそれぐらいしか関わってないからだけど

来年切れる人なら、つながらなくていい。
つなぐ努力が無駄。

そう思ったのは、小学校四年生ぐらいだったかな。

 

ウチは共働きだったから、学校で『学童保育』に入っていて

放課後は、1~3年生が一緒に過ごしていた。

 

だから、その3学年が全員『友達』だった。

その担当先生に、朗読させられたりとか

ルービックキューブを六面合わせるのが私だけだったので

なんか使い回された覚えはあるw

 

四年生になって『学童保育』がなくなったら

それらの関係がスパッと切れた。

 

『私が会いに行かない』からだけど

それだけで切れた。

 

私は彼らに必要なかったし

彼らも私に必要なかったんだろう。

 

『暇つぶし』でつきあってただけなんだ。

なら、読書とお絵描きで時間が潰れてる私は

『暇つぶし』を『他人でしよう』とは思わなかったので

それから以後、『友達を積極的に作る』ということを

一切しなかった。

 

それは今でもそう。

 

でも、現時点では

ちさろうと、RTちゃんという

かけがえのない友人がいる。

 

だから、増やそうと思っていないだけかもしれない。

 

だいたいにおいて『クラスメート』なんて

『級友』って漢字で書くから勘違いするだけで

『友人』ではなく『知人』なんだよね。

 

それを、小学校四年生の時に

私は、なんとなく、実感してた。

離れて分かった『友達ではなかった』人たち。

私が中学生で囲碁部にいたとき、

一番仲の良い人たちが深夜ラジオを聞き出して

その話バッカリするの。

 

私も話に乗りたいから、深夜ラジオを聞いたんだよ。

そのせいで寝不足になった。

「あんたらのせいで寝不足になった」って言ったら

「お前が勝手に聞いたんやろ、知るか」って言われたの。

 

そうだよね。

彼らは私に「深夜ラジオ面白いから聞けよ」とは一度も言わなかった。

私が勝手に聞いただけだ。

彼らのせいにするのは間違いだった。

 

すぐにそれに気付いたから、彼らに憤りはなかったんだけど、

その話をされるのも、深夜ラジオを聞き続けるのもいやだったので

彼らと距離を置いたの。

 

そしたら、囲碁部の他の人たちは

誰一人深夜ラジオを聞いてなかったんだよ。

 

そして、深夜ラジオを聞いてるその一群は、

浮いてた。

 

私がその一群から抜けたころから

なんか騒ぎがヒートアップしたのか

その一群はたびたび先生から注意されだした。

 

その一群は、クラブの鼻摘みモノになっていた。

 

ああ、私はあの仲間になろうとして寝不足になったんだ?

 

 

離れてよかった。

 

 

そう、実感した。

『ソバにいるからって大事』は間違い。

小中学校の頃、というか、社会人になっても一緒だろうけど

「初めてできた友人」って『大事』だと思っちゃうんだよ。

 

「手放したくない!」って思うんだよね。

でも、その人たちと『一緒にいること』で『無理』を感じるなら

それは、離れた方がいいんだ。

 

そういう『騒ぐ人たち』って、フレンドリーだから

一人で居る人を目ざとく見つけて、アプローチしてくるんだよ。

 

『仲間を増やしたい』から。

だから、こっちとしては

『承認された!』って気分になるの。

 

『承認欲求』が満たされるんだよ。

だって、『あっちから迎え入れてくれた』から。

 

『招待された』って、特別なことだよね?

だから、心理的にそうなるんだよ。

リア充・ソロ充・キョロ充【人生を楽しむために】 | BL作家 晶山嵐の日記

『招待された!』と喜ぶのはいいけど、

彼らにとっては、あなたじゃなくてもいいんだよ。

 

彼らは、誰にでも声を掛けてるの。

その中で、『フィーリングの合う人だけ残ればいい』と思ってるんだよ。

 

だから、あなたがそっと抜けても、引き止めないんだ。

 

『自分』は、そう簡単に人に声をかけられない。

だから、『声をかけてくれた人』も

『私と同じだけの努力をして私に声をかけてくれた』

だから、裏切れない。

そう思っちゃうんだよね。

 

せっかく声をかけてくれたのに

行かないなんて申し訳ない。

 

そう思うよね?

 

パリピにとっては、

『見ず知らずの人に声をかける』って

自販機でジュースを買うより簡単なんだよ。


お金がいらないんだから。

 

『私』は『招待された』と思ってしまうのね。

でも、パリピの方は『声をかけただけ』なんだ。

 

  1. 『私』は『声をかけた』なら、
  2. その子が浮かないように配慮して
  3. 仲間に紹介して……
  4. 来なくなったら何度も引き止めて……

とかなるでしょ?

 

パリピは

  1. 声をかける。
  2. 来た。
  3. 何回か声をかける。
  4. 来た。
  5. 声をかける。
  6. 来なかった。
  7. 終わり。

これだけなんだよ。

 

誘ってもらったのに離れたら悪いかな

なんて思う必要は全然ない。

離れたら分かる。

「あの人たちは浮いてる」って。

 

でもその『浮いてる』って『にぎやか』なので

華やかできらびやかに見えるんだよ。

 

毎日パーティーしてるのが一番楽しい、っていう種族。

パリピはパリピと仲よくなればいい。

 

でも、性格的にも、パリピって、全世界で5分の1ぐらいしかいないよ。

つまりは20%ぐらいがパリピ。

 

でも、パリピが経済を回してることが多いから注目されるだけ。

 

世の中の殆どがパリピだと思ってはいけない。

 

あなたはパリピなのか?

あなたにパーティー欲求がないなら、絶対的につきあってはいけない人たち。

 

うちも、お隣さんがパリピで、毎週日曜日に人を集めて騒いでたからわかる。

『一日に合う人数が多ければ多いほど楽しい』って種族。

 

これが成功者にも多い。

パーティーで顔つなぎして、人脈でのし上がっていくタイプ。

 

でもなー、私には無理だ。

私は、人に合わなければ合わないほど、効率があがるタイプだから。

 

『人と会う』『外出する予定がある』だけで

数日前から気分が悪くなってくるし

集中できなくなるw

 

性格はヒキコモリなんだよ、私は。

 

最近、パリピの仲間入りをしてみたんだ。

最初は『別世界』で楽しかったんだけど

五回ぐらいして飽きた。

 

楽しいのは楽しい。

間違いなく楽しい。

 

でも、『楽しいの許容値』を超えたら、

そこから先は、どんだけ楽しさを追加しても

一緒なんだよね。

 

『楽しさ』の許容値が100あったとする。

飲み会の一時間で100楽しかったとする。

もう一時間で、あと80楽しくなったとする。

でも、許容値は100だから、あとの80は、無駄になるねん。

私は、こんな感じだった。

 

『私の楽しさ』は『笑うことだけ』じゃないんだ。

『知識欲を満たされる』ってのが『楽しさ』の大半なんだよ。

 

『笑う』ことをしなくても『無表情で検索してる』のも楽しいんだ。

 

飲み会が終わったときは『もう終わりか』と思うけど

帰り道で、

『楽しかったけど、なんだったんだろう?』って思ったら

 

  • 四時間も笑って楽しかったけど
  • 作業も進んでないし、知識も増えてない。
  • そして、現時点で気持ち悪いし、
  • 数日アルコールで体がだるい。
  • しかも、帰ってから記事更新がある。
  • 普段9時に寝てるのに、0時を越える。

 

もう駄目だったな。

 

私は完璧朝型になってるから

『夜会おう』って時点でムリなんだよ。

 

でも、行けば行ったで『楽しい』のは間違いないんだよ。

 

この『楽しさを教えてくれた人』って大事だと思うやん?

だって、知らない世界を見せてくれたんだから。

 

でも、この『楽しさの無駄』を今後も何か月かに一度味わうとしたら?

  1. 大阪まで往復30分。
  2. その前に身だしなみに30分。
  3. きていく服を選ぶのに30分。
  4. 飲み屋で二時間~
  5. 帰宅は深夜になる。

夕方にCreate3Dの更新をしてるのが、そのあとになる。

 

お風呂に入って、Create3Dの更新をしたら、24時を過ぎる。

そして一番つらいのは

「何日後におでかけがある」と、『気になる』こと。

 

毎日出かけている人には信じられない話だろうけど

二カ月ヒキコモリとかしている私にしたら

  • 『来月お出かけがある』
  • 『来週お出かけがある』
  • 『今週お出かけがある』
  • 『三日後にお出かけがある』
  • 『明日お出かけがある』

ずっと、気になるんだよ。

 

これが、物凄い苦痛。

 

これをなくすには、毎週お出かけすることやん?

高所恐怖症を克服するなら、高いところに登る理論。

 

そう思って、去年の夏秋と、毎週出かけるスケジュールを入れたの。

そしたら倒れたw

 

まぁ、これは、ロカボやってて、

飲み会で糖質振り切って

一週間で、二キロ痩せて太ってを繰り返したから

ってのもあるんだけど。

 

出かけるだけなら大丈夫だったのかもしれない。

 

だから、毎週博物館めぐりをしようか、と計画してるけど

全然、実行できてない。

 

この ↓ 『許容値を振り切った』あたりから

家でシヴィライゼーションしたら、めっちゃ進むのになぁ

とか思ってたw

 

そう思ったら、もう、飲み会に行く理由がなくなった。

 

ヒトサマと会うことにストレスがあり

それが、許容値を越える。

 

この状態では、出かけることが害悪だと感じる。

 

『自分一人で楽しめる』なら、友達は不要。

私は子供の頃、親に迷惑をかけなかったらしい。

 

「そこにいてね」と母に言われたら

  • 地面にずっと絵を書いていた、とか。
  • ソバに来た人としゃべりまくってた、とか。

 

 

母

旅行に行っても、

私があっちむいてこっち向いたら

隣の子供と喋ってた。

 

そういう子供だったらしい。

だから『人見知り』はしないんだ。

 

でも『人見知りしない』からって『社交的』なわけじゃないんだよ。

いや、『社交的』ではあるのかもしれない。

 

本当に、道ゆくひと、誰にでも声をかけて、

ある程度会話を続けることはできるから。

 

町に出たら、おばあちゃんとかに道を聞かれることも多いので

『話しかけるなオーラ』は出てないらしいw

 

ただ『人脈を続ける努力』に『気力を割く気がない』んだ。

 

私は『私のしたいこと』をしたいんだよ。

 

それは『友人と一緒にすること』ではないから

『一人でいる』ことが『作業の効率アップになる』んだ。

 

だからこそ、今回の、『田舎への引越し』も

全然平気なんだ。

 

私は、家を出てすぐそこで、アイスクリームを食べながら

ウインドウショッピングをする。

なんていう、生活には興味がないんだよ。

 

田舎でいいから豪邸に住みたかった。

その夢が、一つかなったんだ。

 

『趣味がない』なら、色々手を出してみればいい。

結局は『友達がほしい』ということは

『誰かとナニかをしたい』わけだよね?

 

なら、『誰か』を『見つけに行く』ことが必要になる。

『ナニかをしたい』なら、

『したい人』の集まるところに行けばいい。

 

それをしないのは、しない人の怠慢。

 

 

 

高校で、私は一人でお弁当を食べていたので

気付いた先生が「このコと一緒に食べなさい」って

他にも『一人でお弁当を食べてるコ』を連れてくる。

 

大きなお世話だ。

 

なんで、喋りかけても喋ってこない子と

ご飯を食べないといけないんだよ。

 

人と一緒に食事してたら本読めないやん。

読書させてよ。

『友達』っていなくてもいいんだよ。

ナニかの組織に属していれば、『知人』はいるんだし

属していないなら、それはフリーでやっていけてるんだから

友達いらんよね?

 

 

『はい、二人組作ってー』って先生に言われて

相手がいない疎外感を味わった。

 

 

そういう話をよくきくけど

私は一度も、私の担当だった教師が

そんなことを言うのは聞いたことがなかった。

  • 「はい、前後の人とペア作って」
  • 「はい、隣の席の人とペア作って」
  • 奇数人数の場合は、「最後の子は先生とペア」

私の知ってる先生方はそう言っていた。

 

 

だから、友達のいない私でも、『ペアがいない』という

疎外感を味わったことがない。

 

何も指定せずに『二人組作れ』という

『教師に配慮がない』だけだよね。

 

 

そういう先生は、

『クラスメートはみんな親友』という花が咲いてるんだよ。

 

 

『クラスメートなんてたんなる知人』にしかすぎない。

クラスメートとは

   来年度は赤の他人になる

   たんなる知人。

 

 

つまりは、

『はい、二人組作ってー』で疎外感を味わったあなたは

『教師運がなかった』んだよ。

 

『その先生が悪かった』んだよ。

 

 

ただ、傷ついたよね。

 

『相手がいない』と『二人組作ってー』と言われるたびに

『自分に友達がいないから阻害された』と

突きつけられて傷ついたよね。

 

だから、『友達はいなければいけない』と心に刻んだよね?

 

でも、『今の生活』で『二人組作ってー』って言われる?

 

ほとんどの人は、

社会人になったら『好きな人と二人組作って』なんて言われないでしょ?

 

なら、『二人組を作る』必要はないんだよ。

つまりは『二人組を作るときのための友達の確保』っていらないんだ。

 

 

犬に噛まれたら、一生犬嫌い、ってのはよくあること。

だから、学生時代に『二人組作ってー』で傷ついたら

そのあと一生『友達がいなければ!』と思うのも当然のこと。

 

でも、考えてみて?

全国の先生が『(好きな人)と二人組作ってー』って

言うわけじゃないんだよ。

 

これだけでも、気楽になるんじゃないかな?

 

『その先生が悪かっただけ』なんだよ。

 

先生も、全員が聖人君子じゃないんだから。

それは理解して、許そう

 

恨みに思ったり

それに傷つき続けて

痛いのはあなただけだから。

 

『忘れる』ことに気力を向けよう。

 

悪い犬に噛まれたなー、って。

殆どの犬は噛まないんだよ。

 

殆どの犬は噛まないんだよ。

 

でも、犬に噛まれたら、一生犬嫌いになる人が居るのも事実。

でも、そういう人も

猫が嫌いなわけではない。

 

『犬に噛まれたから』『犬が嫌い』なだけ。

 

『二人組作ってー』で傷ついたなら

『二人組作ってー』という『環境がない』状態なら

怖くないよね?

 

『先生の配慮が足りなかった』ことは、『あなたの罪』ではない。

 

大人になったらそうそう簡単に

『二人組作ってー』なんて言われないんだから

忘れてしまおう。

 

犬がいないのに、犬におびえるのはやめよう。

 

隕石が自分に当たるのを怖がって

空ばかり見て、

崖から転落死するようなものだから。

 

 

今すぐやめられないのはわかってる。

だって、あなたは気付いたんだから。

 

 

まずは『あれは先生のせい』と思って

『自分が悪かったわけではない』と、距離を置いていこう。

 

『一人でできる趣味』を持つと楽になる。

『一人でしかできない趣味』を持てば

『誰かとつきあう時間』がイヤになるから

『友達がほしい』とは思わなくなる確率が高い。

 

まぁ、私は、『小説を書いていられれば幸せ』だったので

そう思うけど、一般的にはどうだろう?

 

『小説を書く』のは『一人でないとできない』ので

『誰かがいることが邪魔』だった。

 

 

『一人でしかできない趣味』を思いつかないなら

『読書』おすすめ。

 

  • 自己啓発本を読めばいい。
  • 語学を勉強すればいい。
  • ネットで漫画を読めばいい。

一人でしかできないことって、膨大な数あるよ!

 

まとめ。

『好きな子と二人組作ってー』は先生の悪手。

忘れよう。

 

友達は居なくても生きて行ける。

 

『友達がいないと人間としておかしい』という固定観念を捨てよう。

 

『友達』の『ライン』をはっきりさせよう。

  • 『級友』は『友達』ではない。ただの『知人』。
  • あなたの住所録に乗ってる人全部が『友人』ではない。

 

一人でできることを趣味にしよう。

 

何もなければ読書か、ライン漫画でも読んでればいい。

『ライン漫画』をパソコンで読む方法。 | ポジティブにタスク管理

 

『一人で時間を潰す』方法はいくらでもある。

本当にヒマなら、このブログを端から端まで読むといいですww

 

何やっても一緒なら、このブログを読みましょう♪ヽ(´▽`)ノ

 

【この記事を書いた日 2020/05/13 10:21 】

 

『友達』に関して悩んでいる人、必読の本。


友達100人切れるかな 1巻: バンチコミックス

 

コメント