本を持って散歩に出てみた

アラフィフ創作者の日記
この記事は約21分で読めます。

本を持って散歩に出てみた

単元を決めて効率を上げていく。 | ポジティブにGTD

↑この記事通り、一日9時間作業して四日目

 

というか、昨日もけっこうやばかったんだけど

「無理無理無理無理っ! なんか無理っ! どうにも無理!」って

自分で呟くことが増えたw

心の中では空襲警報なってる感じ。

何も手につかない。

 

多分、頭が、突然働かせられてハンストしてるんだと思う。

私の体は、限界まで働いてはくれるけど、ダメってなったときに

突然機能ストップするからw

 

ストレスで体はストップする。

胃腸とかも、突然動かなくなる。

どう動かなくなるかというと

正午に食べたスパゲティが、夕方七時に吐いたら

『噛んだ長さ』でそのまま出てきた。

 

この時は、正午にスパゲティ食べて

夕飯に鍋をつついたとき

いくつか口に入れて呑み込んだら、

おなかに激痛が走った。

 

あわててトイレに走って吐いたら、

昼の食べ物がそのまま出てきたの。

結局、お昼ご飯全部吐いた。

そして、夕御飯も食べられないからそのまま寝た。

 

翌朝病院行ったら、脱水症状とかいわれて点滴うけた。

脱水症状で胃液が枯れるんだろうか?

 

とりあえず、その日はご飯食べられた。

 

 

過去に同人誌即売会にサークル参加していたころ

↓こんなスケジュールで四年ぐらい生活してたw 毎週締め切りがあった。

f:id:amakawawaka:20170604220416j:image

一週間で最低でも100頁の本を一冊、多ければ200頁の本を出してた。

八月に100頁の本を8冊出したこともある。

最盛期は一年で33冊本を出してた。

 

『休み』は

『コミケ締切りが終わったあと』

だから、年に二回。

 

夏なら、七月末に入稿。

そのあとは、八月の末のイベントか九月なので

締切りは、八月中旬から末。

そこまでが、『一度も締切りがない期間』になった。

冬も同じ。

 

この時、夏コミ入稿したその日から翌日、体調不良でよく倒れてた。

と、友人に言われたw

 

食べれないとか、吐いたとかw もうだめだと思って病院行ったとか。

 

『締切りがある間』は気力が持ってるけど

なくなった瞬間、ストレスが全部出たんだろうと思う。

 

ずっと気を張っていれば倒れない。

自衛隊か、似たような施設に素人が参加できる軍事訓練があるらしい。

その時は、三泊か四泊らしいけど

とにかくずっと、上官が怒鳴り続けて、注意し続けるんだって。

 

そうじゃないと、気が抜けて倒れる、らしい。

気が抜けるだけで『立てなくなる』ならいいけど

大体怪我をするらしい。

 

『とにかくずっと気を張らせる』のが

『参加者が怪我をしない』第一条件だと言ってた。

もちろん、終わったあとは大体倒れるってw

 

 

多分私も『締切りで気を張ってた』だけで、

『大丈夫ではなかった』んだろうw

 

それが、コミケ修羅場終わったら一気に出るから

立てないぐらい倒れるし、体調を崩すんだ。

 

 

コミケ修羅場ではないけれど

『一年間一日一万歩歩き続けた』ことがある。

 

年末にコミケ行く筈だったんだけど

あまりに体調が一気に悪くなって、

会場で倒れると迷惑だから

売り子嬢に任せて家にいることにしたの。

そしたら、メッチャ吐いた。

 

それから三週間、固形物が食べられなくなったの。

コミケいかなくてよかった、と思ったけど

きっと、コミケ行ってたらなってなかった気はする。

 

豆乳に蜂蜜を入れたり、ヨーグルトとか、野菜ジュースとかで過ごしてた。

この時六キロ痩せたんだよ。

なぜか、病院にはいかなかったw

 

年末年始倒れたから、病院空いてなかったってのもあるし

『食べたら吐くだけ』だから、食べなきゃ支障なかったんだ。

 

三週間固形物を食べなくてもすごい元気だった。

出歩いてないからね。

家の中にいる分には全然支障なかった。

 

そして、二週間ぐらいしてもう大丈夫じゃない?

と思って固形物を食べたら食べられたんだけど

『固形物を食べるの恐怖症』になってた。

 

『吐くかもしれない』と思うと、固形物を食べるのが怖いの。

別に今なら吐くなら吐いたらいいやん、と思うけど

吐くのも痛いし苦しいからね。

 

絶食になれたら、『食べてないこと』って全然苦じゃないんだよ。

そして、この時に『物凄い小説が進んだ』んだ。

だから、『小説が書けることが楽しい』から、全然

『食べられない』ことは苦じゃなかったの。

 

だって楽しいんだもん!

 

それも、固形物恐怖症の一因だったと思う。

固形物を食べたら、小説書けなくなるかも、って思ったんだ。

 

この時の経験から

『空腹の方が頭が働く』という実感があった。

 

この年の三月に健康診断で胃カメラ飲んで、

前より健康ってことが発覚したw

 

食べなくても胃は平気なんだ。

食事を入れないと、胃が、自分で自分をとかす、とか

聞いたことない?

 

あれが怖くて、風邪でもなんでも、定期的にナニカ食べてたんだよ。

でも、考えたらおかしいよね?

人類の歴史って『飢餓との戦い』だよ?

 

食べなかったら、胃が胃をとかしてだめになるなら

人類生き残ってないよね?

 

その時に、『一日三食』は

『エジソンがトースターを売るための広報』って聞いて

『一日三食唱える「健康博士」』の言うことが瓦解した。

 

エジソンがトースターを作る前は、

アメリカも日本も一日二食以下だったんだよ。

 

どっちがどっちか忘れたけど

江戸では朝、大阪では昼に米を炊く、って聞いたんだ。

それを言ってた人が、

「だから昔の人は、二食は冷や飯だったんですね」って言ってたけど

だから、家で食べるのは一食で

あとは好きなときに外で食べてたんじゃないの?

って話。

 

冷や飯って、夏なんか腐っちゃうでしょ。

 

そっか。

テレビでもサイトでももっともらしいことを言ってるけど

それが正解なわけじゃないんだ?

 

って唐突に思ったの。

 

そこで、元々うちは一日二食だったし

母が食事作るの面倒くさがってたから

一日一食を提案したんだ。

 

お昼に一度食事。

あとは好きに食べる、って話。

私は殆ど他は食べないから、完全に一日一食。

母は夜にナニカ食べるときもあるらしい。

 

ここ三年、お昼に一食で生きてる。

 

もちろん、散歩以外に外出するときは、

出る前と、お昼に食べる。

 

基本的にパソコンの前に座ってるから、一食で済んでるだけだと

分かってる。

 

健康診断でも栄養失調とかの兆候は一切ないって

先生に言われた。

 

薬をもらうときに三食食後とか言われたら

「一日一食なんですけど、どう飲んだらいいですか?」って

先生にも、薬局でも言ってて、止められたことない。

 

「あなたにあってるならいいんですよ」ってお医者さんも言ってた。

「僕は絶対できないけど」とも、太り気味の先生が笑ってた。

 

 

食べないから空腹期間が長くて、

頭が働いて凄くいい。

 

そんな状態なので、↓これで九時間作業したら『ムリムリムリ』になった。

本を持って散歩に出てみた

単元を決めて効率を上げていく。 | ポジティブにGTD

 

  • 仮説1
    • 物理的に血中糖分がなくなって、脳が飢餓状態になった。
  •  仮説2
    • たんに脳が疲労して、思考能力を放棄した。
  • 仮説3。
    • 両方。
  • 仮説4。
    • ソレ以外の理由。

 

一昨日は、バナナを食べてみたけど、眠くなった。

というか、起きていられなくなったので、寝てできる作業してたら

寝た。

ちゃんとTaskChute Cloudで『睡眠』ってボタン押しては寝たけど、耐えられなかった。

だから、これは却下。

 

 

とりあえず昨日は『状態を変えよう』と、早めに散歩に行ったら

『ムリムリムリ』は直ったけど

帰宅してから脳作業ができたわけではない。

なので、瑣末なルーチンを片づけてた。

 

今日は、『ムリムリムリ』が来た時に、豆乳とオリゴ糖を飲んでみた。

15分ぐらい経たないと吸収されないから

すぐにはわからないけど

『ムリムリムリ』がある間は、いてもたってもいられないので

そのまま散歩に出た。

 

それが今日。

『本を持って散歩に出た』ってことになる。

 

ようやくつながった!(ホッ)

 

散歩と食事の時間は決まってるんだけど

『ムリムリムリ』の状態でパソコンの前にいたって仕方がないから。

 

そして、リビングに降りたら、頼んでた本が届いていたのでヒラメイタ。

散歩中に読書してしまえばいいんじゃないの?

 

人とたまにすれ違う、ってレベルの散歩道なら、読書しながら歩いても

誰にも迷惑じゃない。

車も自転車も来ない。

 

  • 日の下で本を読めるか?
  • 目を痛めないか?
  • 今手にとったこの本、ちょっと重たいけど、持って歩けるか?

いろいろなことを思ったけど

どの『懸案事項』も、ダメだったときに死ぬようなおおごとではない。

 

調味料に塩麹を使うとかw

 

こういうのはとっととやってしまえばいいんだ。

 

ビニール袋に本を入れて出かけた。

私はナニカを『持っている』という状態が凄く嫌い。

首からぶら下げてるのもいや。

 

だから、スマホはズボンのポケット。

胸ポケットだと、肩にスマホの重さがかかるので、窮屈になる。

そんなレベルで『重さ』が体にかかるのがいやなのね。

 

同人誌即売会に出てたとき、行き帰りで『ポスターの筒』を持って歩いてたら

夕方には腱鞘炎の掌が痙攣して激痛を放つとか

そういうことがしょっちゅうだったので

『持つ』という行為がとにかくいやなんだ。

 

キーボードのウチすぎとかでも、腱鞘炎が酷くなって、

指が痙攣を起こして、土下座して抑えないと

『こむら返り』みたいに指が勝手に収縮して激痛来るとか

あるんだ。

 

首の第二頸椎が『浮いてる』から

首の神経を圧迫しているって、中学の時にレントゲンで出た。

「手術するほどじゃないけど、痛み止めは必要かな」ってレベル。

 

だから、『洋式デスクワーク』が一番つらい。

椅子に座って、デスクに向かってる体勢。

背筋を伸ばして、クビが前かがみ。

 

あの死ぬほどツライ。

首を中心にしびれてくるから。何もできなくなる。

一度なったら30分ぐらい戻らない。

 

だから、

座卓で、後ろにもたれて、キーボードを膝に載せて打つ、

頭と首が肩から垂直の状態。

 

この体勢を保たないと、首がしびれてくるんだ。

だから、良い姿勢がどうのじゃなくて

首がしびれることを回避すると

自然と良い姿勢を取らざるをえなくなった、という話。

 

姿勢がいいね、とよく言われるけど

そういう理屈なんだ。

 

どこかに持たれると、首が斜めになるからつらいので

真っ直ぐ立つしかできないんだ。

 

だから、みんなが持たれてるところでまっすぐ立ってるから

目立つw

 

もちろん、電車で膝の上にスマホをおいて扱うなんてできない。

膝に鞄をおいて、

そこに肘をおいて、

スマホを目の高さに持って来る。

 

そうしないと首が痛いから。

 

 

それが中学生の時から、

腱鞘炎が高校生の時に出てるから

『自分の体を大事に使う』という『観念』が

私は凄く大きい。

 

壊れたら終わり

だから。

 

そのために『自分の体のメンテナンス』には余念がない。

プチ筋トレはずっと続けてるし

三日ぐらいだけなら、ブーストかけて動き続けることができるw

 

そっか。

だから『九時間作業』を三日したから

今支障がきたんだ。

 

 

今日は、本を読みながら歩いてたら『ヒラメキ』がガツガツ襲ってきて

しまった、メモ持ってくるんだった!

ってなった。

 

『読書』だけのつもりだったから、ペンを持ってきてない。

スマホでその部分を二枚撮影して

二枚目に、Androidのメモ機能でメモしてた。

 

スマホの音声入力とか使ってるけど

『本の画像と一緒にメモ』しないと意味ないから。

とりあえず、ペンを持ってきていれば、

本にそのまま書き込めた。

 

それを撮影すればよかったんだ。

 

『大ヒラメキ』が出たときはスマホじゃ足りないのね。

そのかわり忘れにくいから、メモしなくて大丈夫は大丈夫なんだけど

メモしてないから、そこから先に発想が飛ばない。

 

メモができたら、それを土台にして、次の段階を考えることができるから

一気に『プロジェクト想定』が固まる。

 

本を持っていくのは腕に辛いし、どうだろうと思ったけど

本とメモとペンを入れられる、大きなショルダーバッグを

斜め掛けで後ろに持とう、って決めた。

 

現時点では、スーパーのビニール袋でいいw

 

腕を鍛えたいと思ってたから、負荷を掛けていくことにする。

スーパーの袋は手首に掛けられるから、掌の腱鞘炎を圧迫しない。

 

そして、今日見つけたもう一つ素晴らしいこと!

 

休憩しながら歩くと疲れない!

休憩すると、足がすごい楽になる!

 

当たり前だけど、やったことなかった。

『歩き続けることが使命』みたいな感覚だった。

 

私一人で散歩してると凄く疲れるんだけど

母と散歩してると疲れないのね。

 

しゃべってるのもあると思うけど

母は歩くのが超超遅いから、それに合わせると

私にとっては『運動っていう運動』になってないんだと思う。

 

でも『母と散歩』してるんだから『一緒に歩く』のが『普通』やん?

 

それでも、負荷を掛けたくて

母の周りをグルグルまわってみたりしてたんだけど

昨日ついに言った。

 

母がもう帰ると言ったので、

「私、あそこまで歩いてくるから、先帰ってて」

と、あと千歩歩いてきた。

 

こんなことだったんだ?

と思った。

 

一緒に始まる、のは『散歩を忘れなくていい』けど

『一緒に終わる』必要はないんだ、って気づいた。

 

そして、昨日は、歩いてる間中、ずっと私は

『つらい』状態だったんだけど

『ソレ』が『運動になる』と思って

つらいまま歩いてたの。

 

でも、つらけりゃ休めばいいんだよね。

 

辛いまま歩いてるから

帰ったら、シャワーで10分座ってても

疲れは取れてなくて

結局、散歩のあとは作業できないのね。

 

だから、小説を読みかえすとか、誤字直しとかしてた。

 

いつもは『食事の前』に散歩に行くから

疲れ果ててもよかった、ってのもあったんだ。

 

  1. 散歩行く。
  2. 疲れる。
  3. 食事する。
  4. 寝る。

 

これでよかったんだよ。

 

でも、今回みたいに

『ムリムリムムリ』ってなって、食事とかけ離れた時間に散歩に行くと

結果的に、そのあとも

『ムリムリ』は消えてても

脳作業ができる状態にはならない。

 

一昨日は食事を早めてもらったw

 

でも、母的には正午から二時ぐらいがいいらしく

『遅くなる』のはかまわないけど

『早くなる』のはいやみたい。

 

私は逆に、早めにやってあと食べなくていいほうが楽なんだ。

『あと一時間で食事』と思うこと自体が、集中力をそぐから。

 

『もう何も食べなくていい。

ずっとパソコンにはりついていていい』という状態が好き♪

 

もっと詳しくいうと

『私の集中力が切れたとき』に

「『集中力のいらない作業』である食事」ができるほうがいいんだ。

 

これからこの『九時間作業』を続けて

『ムリムリムリ』の時間に到達する時間が伸びればいい。

明日は、朝、八時ぐらいに、台所に降りて

豆乳とオリゴ糖を飲んでみる。

 

『ムリムリムリ』がそれでこなければ

『脳の糖分不足問題』ってことになる。

 

それでも『ムリムリムリ』が来るなら、ちょっと糖分の量を増やす。

それでも来るなら、散歩行く。

 

散歩にいけば、とにかく『ムリムリムリ』は納まるから。

多分『気分転換』が必要なんだとは思う。

 

ただ、その時間が九時とかだと、

正午の食事まで脳作業ができなくなるのは一緒なんだ。

 

それなら、散歩に出て

休みながら本を読んで、思い付いたら止まってメモを書いて

帰ってくればいい。

 

いつもは40分ぐらい散歩してるけど

そのあと脳作業ができないから、

結局、散歩含めて

二時間ぐらいは『脳作業できない&体力的に疲れた』状態になる。

 

今日は80分散歩してた。

距離は昨日と一緒なので、40分は休憩してた換算になる。

それで、帰ってすぐに記事を書き始められるのなら

結果的に『脳作業できる時間が増えてる』から、いいんだ。

 

そして、『読書時間』までできてる!

しかも、休んでるときにメモ書けるから、

『アウトプット』までできる。

 

アスリートになりたくて、散歩して体力つけてるわけじゃないんだ。

体のメンテナンスと、脳活性化のためにしてるんだ。

だから、そこで『アウトプットできる』とか

一石二鳥なんだよ。

 

結局今日は、朝から3記事、一万四千字書いたw

 

脳作業を根詰めてしたらたまには休ませるために

こうして記事書くのもいい。

 

『アウトプット』したら新しい『インプット』ができる。

そして、考えてることがまとまる。

書いてるウチにヒラメキも出る。

『記事を書く』ことはいいことずくめ!

 

ということで、明日もビニール袋に本を持って出かける。

 

ちなみに、読書したページ数は20頁ほどw

全然読んでないウチにはいるw

 

読みながら歩いてたらやたらヒラメクから

閃いたら読むのをやめて、

そのヒラメキを頭の中で転がして大きくするの♪

雪玉転がして大きくするみたいに。

 

その間は、ふわふわしながら歩いてる。

 

普通に歩道を歩いてて事故ったことはないけど

歩いてる記憶があとで残ってないことが多いから、

あんまり忙しいところではやりたくない。

 

アイデアが出るとき、って

アイデアと実景色が重なってるから実は危ない。

アイデアにのめり込むと実景色は見えなくなる。

でも、目をつぶると、アイデアは消える。

 

なので、『目が開いて、メガネを掛けてる』状態でないと

考えられない。

 

不思議だけど、

アイデアを妄想しているだけなのに、視力が必要なんだw

 

メガネがない(まわりがぼけてる)時は考え事もできない。

 

お風呂みたいな『壁が近い』と、

裸眼でも『はっきり見えてる』から

考え事をするのに支障はない。

 

 

この時にメモできたら一番いい。

マインドマップがあったら一気に想定が出揃う。

 

でも、ある程度まで大きくすると、

それは『ヒラメキ』ではなく『想定』になる。

 

『想定』まで『育てる』と忘れない。

忘れなくなるから、また本を読みながら歩く。

 

すぐに何かヒラメクからまた本を直してふわふわ妄想して

『想定』まで育てる。

 

そして、ふくらはぎがつっぱったら日陰で座って本を読む。

立ち上がったら、すごい足が回復してるの!

 

一回の休憩は二、三分だと思うけど

それで足って回復するのね!

 

しかも、休憩しながら歩いてると帰って来ても元気なのよ!

 

で、スポーツジムに行ってたときに

インストラクターの人に聞いた

運動の秘訣w

 

『最後の三分に懇親の力を出し切ってください』

って。

でも今までは、もう散歩で十分疲れてるから、そこから

『懇親の力』を出すことはできなかったの。

 

それが、ずっと気楽に歩いてるから、

最後の最後にガーッと早歩きができるのよ。

しかも、それが『やり切った!』感があって爽快なの♪

 

これをいいと私が思ったのは、

『普通に毎回疲れる』から。

 

今だと、連続5000歩歩くとつらいの。

『私の歩調』だと最初の500歩ですでにふくらはぎがパンパンになる。

だから、その先はずっと足が痛い。

 

でも、『運動だから』と思って歩いてるやん?

つらいのにあるいてるやん?

 

だから、

『ふとしたとき』に『散歩にいかない』という選択をしちゃうのね。

 

だって『散歩ってつらくなる』から。

 

  • 雨が振ってる。
  • ちょっと体調が悪い。
  • 今、作業が山場。

とかでも、散歩をさぼっちゃうんだよ。

 

そして、さぼったことに罪悪感が出るし

散歩行ってないから寝付きが悪いし……

いいことないんだ。

 

そして、散歩行ってないからって作業が進むわけでもないんだよね。

 

朝からそんな集中し続けることなんてできないんだから

散歩行く時間ぐらいに休まないと、

集中力は切れるんだよ。

 

だから『散歩いかない』って決断をしたあと

作業は自然と、『寝てできること』に移行してたりする。

作業山場だから散歩いかないって言ったんじゃなかった?

って、私の中の誰かがせせら笑う。

 

結局は

『散歩はできるだけしたくない』状態なんだよ、今は。

 

『必要だと思ってるから行く』だけで

『散歩自体が楽しくない』んだ。

『ずっとつらい』から。

 

休憩しないでも良い、母の速度でいくと

つらくはないけど

『運動になってないよなぁ』っていう焦燥感があるの。

 

『焦燥感』ってのもストレスだからね。

 

しかも、母と並んで歩いてると、

ずっと母がしゃべってて

イライラするようなことをずっと言われる。

 

  • どこそこの誰々がナニをしたとか
  • 町内会で盆踊りしたけど参加賞がしょぼったとか
  • 隣町のほうがお弁当よかったとか

延々とこういうことをしゃべり続ける。

 

多分これが母のストレス発散になってる筈だから

私が聞かないと、母はストレスがたまりまくってるんだろう。

 

そして、これの回避方法は私の中にある。

 

『今、私は母の悩みを聞くことで母のストレスを解いてる。

だから、母は楽になって、私は得が上がってる』

過去に、こう考えて、ずっと母のそのおしゃべりを聞いてたんだけど

結果的にそれで

『固形物が食べられなくなった』に

通じたんじゃないかと思うのね。

 

どんな理由をつけようが

他人の愚痴なんて聞きたくないんだよ。

母だから聞いてるだけで、それでもできたらいやなんだよ。

相槌打つのも面倒臭い。

 

そう思ってる限り、散歩が楽しくない。

楽しくないことは継続が難しい。

 

今は、私のペースで歩いて、

母が後ろをついてくるって感じになってる。

母はナニカしゃべってるけど、私には聞こえない。

なんか強い言葉が出たときだけなんか相槌打つ。

そんな感じ。

 

もうこうなったら『散歩行く』自体はするんだから

母と一緒に歩かない方がいい。

 

ただ、母を歩かせないと、足腰が弱くなるから

やっぱり一緒に歩いた方がいい。

 

ただ、母と一緒に歩くと、本を読みながら歩けないし、

好きなときに休憩できない。

 

まぁ、休憩するよ、って行ったら休憩するだろうけど

私、本当に二、三分で立つから。

 

母は座ると長いんだ。

 

 

とりあえず、折衷案を出しながらやってみる。

 

母がこけて寝たきりになる方が、

結果的に大変だから。

 

まぁ、母は施設に入るって言ってくれてるけど

そうなるとまた別の大きな問題が出てくる。

金銭問題がw

 

して今、家の中のことは全部母がやってくれてるけど

それを私がしなきゃいけなくなるから

お金を稼ぐ時間が前より必要なのに

時間が前より減る、という事態になる。

 

『日常生活』は現状維持をしたい。

そして、私は徐々に体力をつけていく。

 

普通は年取ったら体力なくなるから

『現状維持』だけでも実際には『上向き』なんだ。

それを『体力向上』させようってんだから

努力は必要になる。

 

その『努力』は『楽しいこと』でするようにすれば

『娯楽』になる。

『娯楽』は誰に命令されなくてもつづくんだよ。

 

こうして、ブログ記事を書くのも私にとっては『娯楽』だから

誰に請求されなくてもつづくんだ。

 

誰に苦手でも、私に得意なことはある。

私に苦手でも、誰かが得意なことがある。

 

私は編集が大嫌いだけど

『編集』を仕事にする人がいる。

 

大体の人はブログ記事をこんなにコンスタントに書けないと思うけど

私は簡単にできる。

 

『私ができる部分』で特化していけば

私はスーパーマンになれるんだよ!(キラーン)

 

 

『そこ』を常に見つけようとしてる。

 

『私に楽にできること』で『継続』しやすくて

『私の将来に対して良い影響』が出ること。

 

よし。

 

読書散歩は続ける。

明日は、メモ用紙とペンを持っていく。

 

母とは『散歩開始』を一緒にして

『母を外に出す』ことを目的にしよう。

私は散歩に出たら好きなことをする。

それを嫌がるようになったら、一緒に歩く頻度を増やす。

 

『嫌がる』ことは母は口には出さないから

『散歩を断られたら』そうだと判断する。

 

それでも、母が単独で散歩にいけばそれでいい。

散歩にいかなくなったら、読書散歩は、一人だけの時にする。

ただ『休憩』は入れるようにしよう。

 

『休憩』は体力が上がれば必要なくなる。

ちょっとずつ減らしていけばいい。

 

『つらい』時点で、私はまだ、5000歩を歩き続けられる足がないんだ。

今ムリをしたら、歩けなくなる。

 

壊れたら終わり

なんだから。

 

こわさないように。

できれば、強くなるように

人生を回していく。

 

よし。

本を持って散歩に出てみた

でした。

 

エンジョイ! & サンキュー♪

晶山嵐

【この記事を書いた日 2018/08/20 11:54 】

 

後日談。

結局、このあと、読書散歩は全然してないけど

『神社に行く』という名目をつけると

5000歩を軽々歩けることに気付いた。

 

一つの神社にいくことが簡単になったら、

もう一つの神社も回る。

それになれたら、もう一つ回る。

それで、一万歩はクリアできる。

 

一日15円。

一月450円。

それで、習慣になるなら、いいじゃないか!

 

ポッケに5円玉を入れて、神社にゴー!

【この記事を書いた日 2019/07/27 9:01 】

 

 

 

 

 

 

 

コメント