生理中に水泳をした話。

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うちの中学校の水泳大会が開催された時、

女子20人のうち『生理で泳げない』と言ったのが、17人いた。

 

 

当日の朝だよ、当日の朝。

17人の女子が『突然』『泳げません』って申告してきたの。

 

生理は普通、長くて一週間。

つまりは、『月の四分の1が生理』で苦しむ女子がいる。

だから『全女子の四分の1 25%』が生理であることは『自然』。

でも、『全女子の85%が生理』であることは異常。

 

ウソだろ! って思ったよ。

でも、そこで「じゃあナプキン見せてみなさいよ!」とか言えないやん?

 

しかもその時、

学級副委員長だった私は、本当に生理中だった。

私は、生理が重たいので、すでにもう、最悪の気分。

 

でも、『生理で泳げません』ってすでに17人が申告して

泳げるのは三人しかいない。

運動部の二人と『泳げませんと言っていない私』。

 

私も出る気はなかったんだけど、

二人で出るには、枠が二つ足りない、って担任に言われたんだよね。

 

なので、三人で、分散して参加したんだよ。

もちろん殆どは運動部の二人が出てくれたんだけど

どうしても順番が回らないものだけ私が出たんだ。

 

ちなみに、私は全然運動ができない。

逆上がりもできない。

水泳も、金槌ではない、というレベル。

 

背泳ぎと、なんかもう一つ出た記憶があるな。

 

 

保健室ではタンポン置いてなかった。

私も使ってないから持ってない。

女の先生に聞きまくって、

五人目ぐらいに、国語の先生に貰えた。

 

私はすでに真っ青な顔色してて

『生理で泳げません』って言った女子からも

「大丈夫?」「休んだら?」って言われた。

 

 

その前後の記憶はすごく曖昧。

私は『飛び込み』ができないので

全種目、着水からのスタート。

他の人達は全員飛び込みだった。

 

もちろん、全種目、私が最下位。

私の順番が終わったら、タンポンを抜きにトイレに走って

そのあと記憶がナイ。

 

これらの記憶は

『こんなことがあったな』ってだけで

そこに感情は付随してない。

 

私だけやらされてプンプン、とかはなかった。

とりあえず『やり切った!』感だけしか覚えてないww

そもそも、勝とうなんて私は思ってないし

なんとも思わなかった。

 

私は生理が重たいので

体育をけっこう休んでたんだ。

 

『そんなに休むなんてズルイ』って女子に何回か言われたことがある。

じゃあ、この痛みを受け持ってくれるのか?

なら、あんたの代わりに体育でてあげるよ。

 

後にわかることだけど

婦人科の先生に

『凄い月経の時腰が痛いでしょう?

手術したら楽になるかもしれませんよ』って言われたレベルなんだよ。

 

 

多分、そんな私を見てたから

「水泳大会なんて生理だって言えば出なくて済む」と思ったんだろうな。

 

 

これは、昨日までたんに

『しんどかった記憶』だった。

別に、記事を書いた今でも、

その彼女たちにうらみとかはまったくないんだけど

顔も覚えてないし。

 

 

私は責任感ないと思ってたけど、あったんだなぁ、とw

ナニカで『責任感』の話を聞いたときに思い出したから書いてみた。

 

 

ただ、こういうことがあったからか

『できます』って『言わなくなった』し

他人に対して不信感が出たのは確かだと思う。

 

『逃げた人は助けてくれない』。

そして、『こんなクラス、どうなったっていい』と確実に思った。

 

『クラスメートなんだから』って言う人が居るけど

『好きで同じクラスになったわけではない』。

 

『偶然「この枠に入れ」って言われただけ』であって

クラス行事はそりゃ協力するけど

『クラス全員が仲良く』なんて、絵空事。

 

『クラスメートの名前が覚えられない』とかで

悩んでいる子がいるけど

『覚えなくていいんだよ』って話なんだよね。

 

『友達の名前が覚えられません』とか

『名前を覚えていない時点で友達じゃないんだよ』ってことが

わからないんだなぁ、とヤフー知恵袋を見て

『最近の若い子』の銅鉱を調査wしている。

 

 

私がこの水泳大会で、全部最下位だったけど

誰からも文句をいわれなかった。

 

当たり前だけどww

 

その上で、慰労してくれた人も

タンポンを貸してくれた国語の先生と保険の先生だけだった。

担任すら、『がんばったね』って言ってくれなかったし

クラスメートは全員何も言わなかった。

 

 

私が頑張ろうが、休もうが、どうでもよかったんだ。

最下位になるのなら、『欠員』で勝負をしても

不戦敗で良かったんだ。

 

私が頑張ったことは、クラスにとってどうでもよいことだった。

あんたが言ったから参加したのに、なんにもなしかい。

 

こういうこともあってか

『見返りを求める気』がなくなった。

 

だから、私がしたことは『私がしたいこと』なので

相手がどう思おうがどうでもいいんだ。

 

 

 

私がタスク管理とか必死になるのは、

こういう記憶があるからではないかと思う。

 

 

生理中に、真っ青な顔をして

『生理で休んだ』人の代わりに泳いでも

結果は最下位で、誰も褒めてくれないし

いたわってすらくれないし

代わりに参加してくれてありがとうとも

誰にもいわれなかった。

 

世界って冷たいなぁ。

クラスメートってなんなんだよ。

 

とも、思わなかったw

だって、元から興味がなかったから。

 

 

ただ、こういうことを過去にしたことで利点がある。

  • 他人は助けてくれない。
  • 逃げた人は助けてくれない。
  • がんばったって結果が最下位では褒められない。
  • クラスメートなんて関係はもろい。
  • このクラスの人間と仲よくする利点はまったくない。
  • 教師にもクズがいる。

 

そもそも、私の中学時代は

生徒私道の先生が竹刀を持って歩いていたし

忘れ物をしたらアイヌの彫刻で殴られたし

『先生』は『時によっては生徒に暴力をふるってよい存在』だったんだよね。

 

『よい先生』なんて本当に、ドラマの中にしかいない。

というか、宝くじに会うような確率では存在してるんだろうなぁ、って感じ。

 

高校生の時のコーラス部も、ドラマのような盛り上がりもなく

先生だけが頑張ってて、ぽしゃった。

 

『微いじめられっこ』だったのもあるので、

元から人間不信だったし。

 

 

とにかく

『一人でできることで成功しないと意味がない』という

結論は、中学生の時からあったんだ。

 

 

だから、サークルを作らずにずっと一人で小説を書いてきた。

『他人に助けられる』という前提がなかったので

『募集』もしてなかった。

 

 

それなのに、売り子嬢とかアシスタントとか、

申し出てくれる人がいて、凄く、救われた。

 

まったく面識のない人が

助けてくれると申し出てくれたんだよ?

不思議だったし最初は疑ったよ。

 

 

RTちゃんとか、ちさろうとか

一生の友人にも出合えた。

小説を書いていて良かった、と、本当に思う。

 

というか、RTちゃんとか、ちさろうがいなかったら

私は同人誌を続けられなかったので

小説を書くことすらやめて、

腐ってたと思う。

 

彼女たちのおかげで

『人類全員が敵』というわけではない、ということは理解したんだ。

 

 

私がこういう性格で、『他人を大事にする癖』がなかったから

縁遠くなった人もいるけど

『孤独がデフォルト』なので、なんとも思わなかった。

 

『人間関係を維持すること』が、本当に大変だ。

大変だ、というか、『そこに意識を向けられない』んだよ。

だから、『数年音信不通でもつながっていられる人』しか

残らなかった。

 

 

たまに、『友人がほしい!』と思って

交遊関係をバーッと広げるんだけど

やっぱり維持できなくてバーッと閉じる。

 

一人ぐらい残らないかなと思うけど

今のところ、そういう人たちは一人も残ってないw

 

 

メールだけでならつながっていられるんだけど

『でかける』のが本当に億劫。

 

だから、考えるのは

『一人でも生きていける方法』。

 

一人っ子だし、結婚していないし

親はすでに後期高齢者。

 

10年ぐらい前は、『両親の世話』の為にお金を稼ぎたいと思ったけど

二人とも、無事厚生年金を満額受け取って、

死ぬまで生きて行けそうなので安心した。

 

私一人なら、どこでのたれ死んだってかまわない。

 

小学校のときからの『夢』は

『痛くなく死ねればいいいな』ってこと。

 

だから、『ぴんぴんコロリ』をするために

健康には気を使ってる。

 

 

ちょうど田舎に引っ越して

ご近所づきあいは最小限で

宅配が届くから

足を痛めてもどうにか最低限の生活はできる

(暫定)終の住処もできた。

 

 

いろんなことを考えたし手を出してきたけど

結局は『テキストを書く』ことが

私の最大の才能だと思う。

 

『小説を書く』ではなく『テキストを書く』ということ。

これを一点突破させていくことにする。

 

 

『ボッチ』は嘲笑されることが目立つけど

それはパリピが笑っているだけで

ボッチは笑ってない。

『ボッチ』と『パリピ』はカテゴリが違うだけ。

 

ただ、『パリピ』の方が、

経済を動かしていることが多いから注目される。

 

 

たかがそれだけの話。

一人で食堂で食事をするのなら、本を読めばいい。

読書仲間が集まる。

 

そこでスマホを弄ってるから、仲間ができない。

 

『ボッチが恥ずかしいこと』と思うから

『ボッチの自分が恥ずかしい』と思うだけ。

 

 

『人類が群れる』のは

太古の昔、野生動物と戦っていた時代に

『群れた方が生き残りやすい』という理由。

 

群れた人の子孫が私達だから

『群れ』ていることが『尊い』とインプットされている。

 

でも『群れなくても生きていられる現代』では

大体の人は自動的に下記の三つの『群れ』に入っている。

  • 国民
  • 市民(町民・村民)
  • 家族。(一人世帯も含む)

 

だからこれ以上、『群れ』に入らなくても生きていけるので

無理して『群れ』に入らなくていい。

 

『群れ』に入る人が生き残りやすかったから

パリピは多い。

でも、同じぐらい『ボッチ』の遺伝子もある。

 

つまりは『ボッチで生き残ってきたホモサピエンス』がいるんだよ。

 

 

『ボッチ』であることが『楽』なのは

『ボッチで生き残ってきたホモサピエンス』の子孫なんだから

なんら、恥じる必要はないんだ。

 

『ボッチで生き残ってきたホモサピエンス』の方が

『群れで生き残ってきたホモサピエンス』より能力は高いんだ。

だって『群れなくても生き残ってきた』んだから。

 

 

今、私が生きている時点で

私の祖先が生き残ってきた、ということなんだよ。

 

『私のこの性格』で、『生き残ってきた』んだよ。

 

だから、一人が好きなら

一人で生き残れるようにすればいい。

 

『一人が恥ずかしい』と思ってるから

パリピに笑われるだけ。

 

パリピも、ボッチ全員を笑ってないんだよ。

 

『孤高のボッチ』は笑わないんだ。

 

『この性格で、30万年を生き残ってきた先祖がたくさんいる』。

どうだい、この壮大で馬鹿馬鹿しい『勘違い』ww

 

こういうことを考えていると、人生楽しいんだよ。

 

ボッチは楽しいぞw

誰にも足を引っ張られない。

誰も助けてくれないけどww

 

『一人でできること』を仕事にすれば

なんの問題もない。

 

今は『販売代行業』がたくさんある。

『下請けをしないと生きていけない』ではなく

代行販売業者を使えば

『自分のタイミング』で仕事ができる。

 

私も少なくとも、小説の印税と、

アメリカの会社にデータを販売した手数料が入ってくる。

どちらももう、締め切りなんてない。

 

 

もちろん、『成果次第』の『歩合給』にはなるけど

クライアントに足元を見られて、

ブラックボッチになることもない。

 

 

私は、高校卒業した後に

三カ月だけ給料を貰ったことがあるけど

そのあとはずっと歩合給で生きてきた。

 

だから

『会社をやめたら生きていけない』という人の心算は、

真には理解できない。

 

 

一人で稼ぐ方法なんていくらでもある。

そして、必死でやってると、なぜか講師のオファーとか来る。

ありがたい。

 

 

散歩にでかけるプチヒキコモリで半生以上を生きてきたw

今後も、このまま楽しんで行こう!

 

生理中に水泳をしたことは

私の可能性をたくさん広げてくれた。

 

ただ、あんな無茶はもうしないけどw

 

泣いて一生、笑って一生。

笑わないと損なんだよ♪ヽ(´▽`)ノ

 

【この記事を書いた日 2022/04/07 8:48 】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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