花はすぐに枯れるから飾るな。

アラフィフ創作者の日記
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「夏は、花がすぐに枯れるから飾りなや」

私が一人暮らししている部屋に来た母が
私が花を飾ってるのを見て言った。

ちなみに、母は、
庭を『園芸』で埋めつくす『花好き』である。

私の花は、花屋で買ってきたものだったので
「すぐに枯れるからもったいないやん」ということだった。

すぐに枯れようが、なんだろうが
飾りたいと思ってるんだからいいやん。

しかもなんでそれを、花好きのあなたが言うの?

母は、私の部屋の、他のものについては
いっっっっさい言及したことがない。

でも、花だけは、いつもいつもいつもいつも言う。
『飾るな』って。

そのせいもあって、花を見るのがいやになった時期があった。
当時は、同人誌業界がバブル絶好調で
インテックス大阪でも、晴海会場でも
『花屋が出展していた』んだよww

そこで花を度々貰うんだけど
持って返って花瓶に飾ったら
どうせ母が文句をいうんだろうな、と思うと
いただいた人には悪いんだけど、
憂鬱な気分になった。

母はこんなふうに、
私にマイナス感情を与えるのが巧い。

母が更年期障害の時は
顔を合わせるたびに
「アホちゃうか!」を連発され、
顔を合わせるのがイヤになってた頃に
ちさろうに誘われて一人暮らしを始めた。

私が生理痛で青ざめて油汗を流してうなっているのに
「生理痛がそんな痛い筈ない」と
数十年、私の痛みを『ウソ扱い』したのに
10年ほど前に、
ご近所の奥さんが生理痛が重たいという話を聞いて
「生理痛が痛い人がいるんやって!」と
私に嬉しそうに披露して見せた。

ああ、本当に、この女は
私が生理痛で苦しんでると訴えているのを
ウソだと思ってたんだ?

 

私が髪をアップにしてでかけるたびに
「うなじをそらな、汚いで」と、
10年以上言われ続け
でも、鏡でみてそんな汚いように見えなかったので無視してたけど
やっと、ヒマなときにそれを言われたので
「じゃあ剃ってよ」と剃刀を渡したら
「あんた、うなじ綺麗やな」と来たもんだ。

一度も、母は、『私のうなじ』を
見たことがなかったということが発覚。

ただ、『固定観念』として
『アップにしたらうなじをそる』という『言葉』だけを
『現状認識』を『一度もせずに』
『繰り返してた』『だけだった』んだ。

10年以上も!

自分が育てた花を見てほしいからと、
カサブランカが咲いたから、と
雨の日に
カサブランカの鉢を門のそばに配置して
その時に限って私も純白のスーツを着て出かけようとしたときに
カサブランカの花粉がべっっっっっとりとスーツについて
着替えが必要になったとか。

これも、『門が広かった』ら文句はなかったけど
母が鉢を増やしすぎたんだ。

それで門の前が、植物に触らずに通れなくなってたんだよ。


鉢を減らして、と、私も父も懇願してたけど
どんどん鉢が増えて、庭はジャングルになってた。

どうやっても草が体に当たるぐらい狭くなってたから
気をつけてはいたんだけど
まさか、『昨日はそこになかった』カサブランカが
花粉をつけるなんて、予想できなかった。

昨日の夜からずっと雨降ってたやん?
雨の仲、母はカサブランカの鉢を門の前に移動して
しかも、花がこっちに倒れるぐらいの位置に配置して
それを、家族の誰にも言わなかった。

母は『綺麗にさいた花を褒めてほしい』わけ。

でも、そんなことされて褒めるわけないやん。

花が咲いたかどうかなんて、どうだっていいんだよ。
通るたびに草が服に触れて、服が汚れる方が問題なの。

何度、鉢を蹴り飛ばして投げ壊してやろうとおもったことか。

もう、庭のことで毎日毎日

母に私が怒鳴り続けてたことがあった。
私がとげを生やしているから、母も防御していこじになっていく。


そもそもが、母は『私の言うこと』なんて聞かないんだよ。

私の生理痛を信じなかった人なんだから。
10年以上、私のうなじを見なかった人なんだから。
『言っても無駄』なんだ。

『言うだけ無駄』なんだよ。

ダイエットしている、と言ったら
アイスクリームや菓子パンを積み上げる人なんだ。

「アイスクリーム食べる~?」
二階にいる私に、わざわざ声をかけてくる。
こういうときだけ。
「食べへん」
「アイスクリーム食べへん?」
「いらん」
「アイスクリーム買ってきてん」
「いらん言うてるのが聞こえへんのか!」

これが、『聞こえてる』ことは
リビングでもこれをやられることでわかる。

私が『ダイエット中』と『言わなかった』ら
菓子パンを積み上げることはしないねん。

『今ダイエットしてるから』と言ったら
菓子パンをリビングに積み上げて
「私が食べるから買って来た」って
三つもか?
そして、それが、二週間も放置される。

母は敵だ。
そう思った。

本気で思った。

今思えば、母からすると
『娘は痩せる必要なんてない』と思ったから
そういう行動に出たんだろう。

普通は、一人暮らししたら
変なものを食べるから太ることがおおいやん?
私は、痩せたんだよww

一人だと、家の中に食べものがないから
買い物に言ってまでお菓子を買わないから
『同じものを食べても平気』なので
常夜鍋みたいなのバッカリ食べてたからww

私は一人暮らしにしたら簡単に痩せたんだ。

実家に返って一年で12キロ太った。

実家は『食べものが積み上がってる』から。

家に食べものがなかったら
そもそもダイエットって簡単なんだよ。
『食べるのを我慢する』必要がないから。

だから、私は一人暮らしで簡単に痩せたんだ。

でも、食べものが積み上がってると
『食べものがあるのに食べてはいけない』という
『我慢』が発生するから
ダイエットは大変なんだよ。

その上で、母は、私がダイエットをしているというと
『自分が食べない菓子パンを積み上げる』人なんだ。
アイスクリームを買ってきたと何度も誘う人なんだ。

全力で、ダイエットの邪魔をしてくるんだよ。

「たくさん食べる君が好き」なんだよね。
ダイエットとか考えず、
『自分の作った料理をおなかいっっっっぱい食べてほしい』んだよ。

私は、『おいしそうに食べるねぇ♪』という理由で
けっこうご相伴がよくあったぐらい
『幸せそうな顔で食事をしている』らしいww

今だからわかるんだけど
母は『娘大好き』なんだよ。

大阪の家にいたときはいま一つ信じきれなかったけど
私は母に愛されてるんだ。

夏だったかな?
どこかで『パンのふたのあるスープ』を食べたときに
「私、これ好き♪」って言ったら
その年のクリスマスに
『パンのふたのあるスープ』を母が買ってきて
くれていたことがあった。

それがなんで『特別ここに書くこと』なのかと言うと
ミネストローネもあったんだ……

母の予定としては、ミネストローネを『汁物』に予定してたけど
「そういえば娘がこれが好きと言っていたから」と
『さらに』『パンのふたのあるスープ』を買ってきたんだわ。

そこで『ミネストローネは棚にもどす』ことを
できる器用さはないんだよね。

次から次に『欲しいモノを買う』人なんだよ。
だから、家族三人で、
私と母は一日一食なのに
180リットルの冷蔵庫が『常にまんたん!』なんだ。

一生で百万円ぐらいの食べものを捨ててると思う。

私は一人暮らししている間に
独学でぺろっと見ただけだとはいえ
コーチングとか、コンサルタントとかしたのもあって
実家に帰ったとき、『母に対して』『少し余裕』ができた。

『頭のおかしい人』として、
『日本語の通じない人』として
『生暖かい目』で見るようになったんだ。

どうせ通じないなら、喋らなければいい。
必要最低限だけしゃべる。
食事のときに、少ししゃべる。
それ以外は、顔を合わせないようにする。

そもそも、私は部屋でパソコンを触っているのが
おもな作業なので
『親にあいたくないからひきこもっている』とは
思っていないだろうし
私も、そこまでして避けたわけではない。

おはよう、おやすみ、いただきます、ごちそうさま、は言ってたし。

ただ、どんどん『食事の量が多くなってきた』から
『食事を少なくして』と三年言って、随分減ったんだ。

私が子供の頃は、とにかく『皿数が多かった』んだ。

うちは共働きで、母はきっと親戚からもうるさく言われてたんだろう
『良い母親』であるために
『食事が豪華』だったんだ。

母はずっと台所で料理を作ってるんだよ。
それを見て「私は母親になりたくない」と思った。
「一日四時間以上も料理作ってるとかできない」

あとになってわかったことだけど
母は超手際が悪かっただけだったw

いまだに手際が悪いもんな。
料理は凄くおいしいんだけど。

とにかく、その『量が多い』んだよ。
そして
「少し残すのは「ネコワケ」って言って
一番嫌がられるねんで!」
という言葉のもと、
『お残し』は『許されなかった』。

まぁ、ぷくぷく太ったよね。
美味しかったら『食べること』は問題なかったんだけど
毎日『膨満感』で食後は動けなかった。

10年ぐらい前に
ふと、母がもらしたんだよ。

「昔は、三個ずつなんて売ってなかったから
四人分を三人分で作ってた」

私は激怒したね。

四人分を三人の食卓に出して
『残すことを許さなかった』って
『過食の虐待』やろっ!

私は、痩せたら美人だったんだから(自分で言うw)
あの子供の頃からスマートだったら
絶対に別の人生があったのに!

それからは『料理を残す』ことをしたら
母は自然と少ししか作らなくなった。

でも、一年ぐらいすると、また作り出したから
私がスーパーについていって
買い物制限をしだした。

すると、目に見えて母の機嫌は悪くなった。

食材を買うこと。
私がぱくぱく食べること。

この二つでストレス発散をしてたんだ。母は。

 


「主婦を何十年やってて、そんなに手際が悪いねん!」

そう、何度も怒鳴りそうになった。

まぁ、『悪いと思ってない』から
『改善するわけもない』んだよね。

 

『自己改善』したくて頑張っている諸兄諸姉は凄いと思うよホント。

ここまで愚鈍になれるかな、って本当に思うもんな。

 

漫画『セブンシーズ』の主役のとろい女の子みたい。

あのこも、あのまま『現代』で年をとればこうなると思う。

 

  • 自分で判断できない。
  • イエスかノーを聞いても答えない。
  • ナニが面白いのか自分でわからない。
  • 自分が好きなことがわからない。

見てて腹が立つわー。

 

ナニが大変って、『母へのプレゼント』が一番大変だった。

冒頭にも書いたように『切り花』が嫌いなので

カーネーションを渡すとか論外!w

 

植木鉢のカーネーションを渡したら

「もうちょっといい花があったんちゃう?」という。

とにかく『褒める』ということがない。

『賛成』することがない。

 

ついていきたいくせに自分から「行きたい」とは絶対に言わない。

父が毎朝同じメニューを『自分で作って』食べているのを

40年間ずっと不思議がっている。

 

自分が普通と違うくせに『普通』とよく言う。

『母の普通』はとんでもないところにあるので

これを言われたら、『ナニが普通なのか』を聞かなきゃならないので

今はもう、返事しないことにした。

 

 

『たくさん食材を買うのがなぜ悪いのか』もわかってないんだろう。

年金生活してる人が豪遊して良い分けないやろ。
そんなことでイライラしたんだけど
ふと思ったんだ。

私が稼いで、
『好きなだけ買えばいいよ』って言えるようになれば
私がいらつくことはなくなるんだろうな。

そういう意味もあって、私は
『稼ぎたい』んだ。

『お金があることで得る精神安定』ってものがほしいんだ。
裕福でなくてもいいけど
借金取りから毎日電話がかかってくるような生活だけは
二度としたくないんだよ。

貧すれば鈍する。

 

まぁ、これから先、母が食材を無駄に買ったとしても
数千万円になることはないんだから。

もう、目くじら立てるのはよそう。

そう思って、スーパーについていかなくなったら
なぜか母は、そんなに買い物をしなくなった。

私が毎日キリキリ怒鳴らなくなったから、
のほほほんとしだしたんだ。

そうだよね。
私が毎日、何かしら母の不備をついて怒ってたから
母は心に鎧をつけてしまっていたんだね。

でも、その最初のきっかけは、
母にいらつかされたことなので
いまだにむかつくけど、もうどうでもいい。

そして、山に引っ越してきてから母は格段に穏やかになった。
笑うようになった。

ああ、母は、コンクリートジャングルの中で
凍えきってたんだ。

「360度緑って凄いねぇ」と、
散歩に行くたびに嬉しそうにまわりを見渡していた。

うちの家族は誰一人、夜遊びをしない。
旅行にいっても、夜の10時には消灯する。

夜の繁華街に興味がない。
ウインドウショッピングに興味がナイ。
そこらへんでアイスクリームを買い食いすることもない。
自販機すら使わない。

「家に帰ったら無料の水があるから、
喉が乾いたけど、自販機で買うのはよそうね」と
言われて育ったw

私もその通りだと思うので
いまだに私は、自販機を使わないし
喫茶店にも入らない。

両親は、たまーーーーにビールを飲むことがある。
350mlを一缶ずつ。

一週間に一回以下なので、毎回スーパーで一本ずつ買ってる。
煙草をやらない。
賭け事もしない。

私は、若いころにアルコール肝炎になるぐらい
お酒を飲んだことがあるけど
今は一滴も飲まない。

大阪にいたときでも、外食は、
一か月に一回、いくかいかないか。

両親は引退して年金暮らしだし
私は、パソコンがあればヒキコモリオーケーなので
都府県をまたいだ『山の中への引越し』に
何も困らなかった。

今だに困ってない。
三年ぐらい外食してないけど
どうも思わない。

『外食をしない』理由の一つは
『母の料理が美味しすぎる』ってのがある。

そこらへんのレストランで食べるより
母の料理が美味しいんだから、
高いお金を払う理由がナイ。

外食する理由は

家では作れない料理を食べたい。
ロティサリーチキンとか寿司とか。
母の手間をなくしたい。

この二つ。

今では、家族総出でスーパーにいって
父がカートを持っているからか
母が、本当に、何も買わなくなった。

あんなに口を酸っぱくして
『買う量を少なくして!』と言っていたのがウソみたい。

今日なんて、冷蔵庫がガラッガラ!
それが正しいんだよ。

山に来て、母は随分、マシになった。
逆に、『ボケ』は年々進んでるので
父が心配してる。

こないだ、内科で『簡易のボケ診断』をしてもらったら
やっぱり『軽度』と言われた。

ただ、『これぐらい』は、40年前からこうだったんだよね。

去年の12月から
『洗濯物の間違い』が増えて、
それが三カ月維持されてしまったので
これは『進行した(発症した)』と認識して
検査をしてもらったんだ。

ついでにアスペルがーとかも診断してもらいたい。
家族全員分。
多分、私もなんか出るんじゃないかと思う。

読者の人に、ADDかADHDがあるんじゃないか、って言われたんだ。

 

母に対しては『ただ話の通じない人』よりは
『アスペルガー』と言われた方が
『こっちに気持ちの余裕』が出る。

そもそもが、
母がアスペルガーじゃないかと疑いだしてから
私は楽になった。

できれば、二十歳以前に気づきたかったけど
そのころ、そんな言葉は一般化してなかったから仕方ない。

今は、母がマシになった分
私も楽になって
体力練成とか、本腰を入れることができるようになったんだ。

ストレスで胃がストップしてたら、
そんなことできなかったからね。

今は、母も散歩が日課になってきたから
きっと長生きする。

【この記事を書いた日 2022/04/05
12:05

 

 

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