「しない」は「選択」。「できない」は「不可能」。

死ぬ前に反省しよう
この記事は約24分で読めます。

「したくない」と言っていると、「できなくなる」という話。

 

母が階段から落ちた。

母が階段から落ちたのは、16年の夏。

 

↓こういうことがあったので母から距離を置いてた。

【創造的にしたい】「日常会話」は「しかたない」から受け答えする。 | ポジティブにGTD

 

母のそのつまらない話を聞きたくなくて

なるべく母とは合わないように生活してたら

母がどんどんつんけんするようになって

動きたがらなくなって

結果

階段から落ちた。

 

『動きたがらない』から、二階に上がるのを嫌がるようになって

「二階に上がるのしんどいからイヤ」と

何百回も言ってて

たまに階段を使ったら、落ちた。

 

「二階にあがるのイヤって言ってるから上がれなくされたんだよ」

って話なんだよね。

 

『いや』は『選択』

「イヤ」っていえるウチはいいんだ。

それは『選択』だから。

 

でも

「イヤ」で「しない」と

『選択』じゃなくなるんだよ。

 

『できる手段』を『奪われる』の。

 

だから『運動が面倒』と思って

『「しない」という「選択」』を取り続けると

足を折ったり、動けなくなったりして

「しない」じゃなくて「できない」になる。

 

『できない』は『不可能』

『不可能』ってそんなないんだよ?

 

白馬の王子様が迎えに来てくれる確率だって

0.1%以下かもしれないけど『ゼロ』じゃないんだよ。

 

でもね、下半身が物理的に動かなくなったら

二階への階段を上がるのは、大体『不可能』で

『可能性ほぼゼロ』になるんだ。

 

『可能性ほぼゼロ』なら

白馬の王子様と確率一緒だろ、と思うでしょ?

 

でも、白馬の王子様って『本気で待ってる』?

『二階に自力で上がる』のは

白馬の王子様を待つようなレベルで『したい』んじゃ

ないよね?

 

『本当にしたいこと』の可能性を

『白馬の王子様がくるかも』の可能性と

並べちゃいけないよね?

 

 

みんなさぁ、すぐに「できません」って言うじゃない?

ちがうんだよ。

 

「できない」じゃなくて「したくない」なんだよ。

「できない」ってのは『不可能』ってコトなんだから。

 

  • 「そんなこと上司にいえません」とか
  • 「そんなこと先生にいえない」とか
  • 「そんなこと親にいえない」とか

それは「できない」じゃなく「したくない」なんだよ。

 

今、それを上司にされ続けて

結果的にあなたが鬱病とか患って

退社を余儀なくされるのなら

今、上司に打開策を突きつけて首になるのも

『会社を辞める』という『選択肢』の中では一緒なんだよ?

 

「いえない」んじゃないんだよ

「したくない」んだよ。

 

それを区別しておかないと、

「したくない」ことは『不可能』だと思って

できなくなるんだよ。

 

 

『「しない」という「選択」』を『できない(不可能)』と言ってると

近い将来的に

「選択の一つの「しない」」ではなく

「選択肢の無い「不可能」」になるんだよ。

 

だから、「できること」はやっておかないといけないの。

 

可能性は満ちあふれてる。

できるからって「全部やれ」ってのは無理。

だって、子供には、

  • 野球選手になる可能性も
  • バレリーナになる可能性も
  • 数学博士になる可能性も
  • 冒険家になる可能性も
  • 引きこもりになる可能性も

あるわけ。

 

全部はできないから、得意なことだけはやって

他のことは必要最低限はしないといけないの。

 

数学博士になるからといっても

『歩く』ことをしないと『歩けなくなる』から。

 

そういう『基本生活に関すること』は

『やっておく』ことが必要なんだ。

 

  • 家の中はどこでもいける。
  • 普段買い物をする距離は簡単に行ける。
  • お風呂もトイレも一人でできる。

これぐらいは、死ぬまでクリアしておかないとつらいよね?

 

それを

「二階に上がるのつらいからイヤ」って言ってた母。

 

それは暗に、

「二階の作業は娘がして」も入っていたとは思う。

 

でも、それを私が肩代わりしたら

母は二階に上がってこなくなって

『二階に上がる能力』を失うから私はしなかった。

 

勿論、大部分はやってるんだよ。

家の中のコトだから。

 

ただ、二階に上がる作業を一つだけしなかったの。

その時は、『ベランダに洗濯物を干す』だった。

結果的に、洗濯物を持ったまま落ちたのね。

 

これを肩代わりするべきだったか、とは思った。

 

ただ、蛸足を畳んでもって上がってとは前から言っていたのに

蛸足を開いたまま持って上がって、落ちたんだよね。

 

母は、リビングでテレビを見ながら

タコアシやハンガーに洗濯物を干して

それを二階のベランダに持って上がる

ということを、最初からしてた。

 

そういうショートカットというか

延々とベランダで何もできないまま洗濯物だけを干す

という作業は回避してたんだ。

 

だから座ったまま『干す用意』はできてたの。

それはすごいなー、といつも思ってたよ。

なんで主婦はみんなベランダでやってるんだ、って。

 

ただ、ハンガーとかの分、洗濯物の総量は重たくなる。

 

母はいろんなことを、アレをしてこれをしてって言うから

それはしてたけど

洗濯物を干して、とは一度も言ったことが無かった。

 

だから、それだけが残ってたんだ。

 

私は、『洗濯物を干す』って作業がすごく嫌いなので

一人暮らしの時は乾燥機を買ってた。

 

だから、私に「洗濯物を干して」と言ったら

乾燥機を買ったと思う。

 

それともそんな話をしたのかもしれない。

 

「乾燥機を買わない」という選択をしたから

干していたのかもしれない。

そこは覚えてない。

 

『洗濯物を干す』ってすごい『ワザ』の集大成。

私は、「私のしたいこと」に頭を全部使いたいので

できたら日常のことはしたくない。

 

だから、洗濯物を干したくないから乾燥機を買ってたし

料理に手間を掛けたくないから

毎日煮込み料理を鍋一つで作ってた。

 

  1. 炊飯器でご飯を炊く。
  2. 鍋に水を張って、
  3. 昆布とかつおぶしと干し椎茸を入れておく。
  4. それに野菜とかお肉とか入れて煮る。
  5. どんぶりにご飯をよそう。
  6. 鍋の具をそれに掛ける。

365日、こういう食事をしてた。

それで文句は無かった。

 

究極系は

  1. 炊飯器に水を入れる。
  2. 炊飯器に乾物を入れる。
  3. 水が出汁色になったときにお米を入れる。
  4. 肉とか野菜も投入。
  5. 一緒に炊く。

毎日炊き込みご飯。

 

これでもよかった。

 

『食事の時間』は最低限にしたかった。

それで、最低限の栄養価を整えたかった。

 

だから、一人暮らししてたら痩せたんだよ。

食べるのが面倒で食べないから。

 

そういう理屈で、乾燥機を使ってた。

あっというまに洗濯物がボロボロになるのは見事だったなー。

乾燥機が服を傷めるってこういうことか、とは思った。

 

じゃあ、下着とどうでもいい服だけ入れて

ほかはクリーニングに出せばいいか

って感じ。

 

それだけ私が稼げばいいじゃない?

 

私は稼ぐことに時間を使いたい。

そのために日常生活は肩代わりしてもらいたい。

そこにお金を投入するのは、アリなんだよ。

 

その分稼ぎを多くするために

稼ぐことに時間を使うのは、アリなんだ。

 

したくないことをしなくていい

それが、私に取っては精神安定が一番いいから。

 

そのために働くのでもいいの。

私は「したくない」んだから。

 

私は家事を『生活の基本』には入れてない。

だから、歩くことはするし、

自分の食事も自分で作ってた。

 

  • 機械ができること
  • 誰かに肩代わりしてもらえること。

そこにお金を使う、ってだけなんだ。

 

『洗濯物を干す』ってすごい技術なんだよ。

だから、洗濯ばさみとか、いろんなのが出てるやん?

あれだけやって、少しずつ楽になった技術なんだ。

 

  1. ものすごく大変なことを
  2. 簡単だと思って
  3. 延々とやってる

だけなんだよ。

 

私は、そこに頭と体力と時間を使いたくない。

だから

  • 乾燥機代を払って
  • 電気代を払って
  • 服がボロボロになったら買い換えるという代金を払って

それで、『洗濯物を干す』という作業を

肩代わりしたんだ。

 

でも

『自分の体を健康に保つこと』ってのは

他人に肩代わりしてもらえないんだよ。

自分の健康は自分が気をつけるしかない。

自分の健康を継続させるのは、私がやるしかないの。

 

母が「二階に上がるのがイヤ」と言い出したときからずっと

「そんなこといってると上がれなくなるよ。

 運動のためにもあがり」

と、言い続けてた。

 

結果、母は階段から落ちて

リハビリができたから動けるようになって、

今は文句も言わず、二階に上がってる。

 

本当に今は一度も

『二階にあがるの、イヤ』とは言わなくなった。

 

母はまだ、回復できる壊れ方をしたからよかった。

「警告」を受けたんだ。

 

誰から? ってそりゃ

神様でも、地球外生命体でも

ガイア理論でも、マイリスペクトでも

なんでもいいんだよ。

 

これ以上『上がらない選択』をするのなら

『足を取り上げる』という『警告』を受けたんだ。

 

これで、『二階に上がらない』という選択をしたら

母は二度と歩けなくなったかもしれなかった。

 

 

今でも膝は痛いらしい。

それでも母は二階に上がってくる。

たまにだけど。

 

それをしなければ今度は

「警告」じゃなく

「本当に「取り上げられる」」ことになるんだ。

 

『チャンスの女神は前髪しかない』のは嘘。

チャンスの女神は前髪しかないから

通り過ぎられたら、後ろ髪を持って引き止めるのは無理

 

そういう理論から出た言葉だと思う。

 

けど、『チャンス』って実は

星の数ほど降ってきてる。

それに気付くか気付かないか、ってだけなんだ。

 

そして『不利益を被らなかったチャンス』ってのは

『気付かない』から『わからない』よね?

 

『ラッキーがあった』はわかるけど

『アンラッキーが無かった』はわからない。

 

今日、普通なら直進してる信号を右に曲がったから

直進してたから誰かとぶつかった痛みが回避されてた。

 

それって、『わからない』よね?

 

『チャンス』って実は、そのレベルで

海岸の砂みたいにたくさん転がってるんだよ。

 

その砂浜にダイヤモンドが転がってたって

大体の人は気付かないよね?

 

それを見つけるのが『大きなチャンス』ってだけなんだ。

 

『何もチャンスはないから通りすぎる』という『選択』をしたから

あなたに『チャンス』は『見えてない』んだよ。

 

『不運』なんていう『運を信じる』のなら

その逆である『幸運』も信じないといけない。

 

不運があるなら、幸運もあるよね?

なんでアンラッキーは起こっても、ラッキーは起こらないと

自信を持ってるのかと、いつも思う。

 

アンラッキーが起こるなら、ラッキーもおこってるんだよ。

 

『生きてる』という『ラッキー』を実感してみて?

 

『生きてる』という基本的なラッキーを逃す人がたくさんいるんだよ?

『生きてるだけで丸儲け』って本当なんだよ?

 

生きてるから、不運だなんだいえるんだよ?

 

朝起きたときに

『今日も生きててよかった』と思ってみて?

 

すべてのラッキーが見えるようになってくるから。

 

あなたの『ラッキー』を並べ立ててみよう。

  • 食べたいものが冷蔵庫にあるラッキー。
  • 雨風をしのげているラッキー。
  • 寝具で眠れるラッキー。
  • 仕事があるラッキー。
  • 話せる人がいるラッキー。
  • 着る服があるラッキー。

これらをラッキーだと、思ってなかったよね?

 

私は引っ越ししたときに、

部屋がいっぱいで布団をしけなかったので

床に毛布を巻いて寝たことがある。

 

もちろん、災害で焼け出されて

瓦礫の上に寝た、よりよっぽどラッキー!

 

だけど『寝具で眠れる』ってのも

すごいラッキーなんだと、その時気付いた。

 

私が整えないと、ロフトベッドは組み立てられない。

だから、私が組み立てた。

 

父が帰って来て

「一人で組み立てたん? すごいな、お前」って言われたw

だって、仕事から帰って来た疲れた父に手伝ってもらうと

申し訳ないし、もっと遅くなると思ったから。

 

私は、今日はもう、ベッドで寝たかったんだ。

『もう床で寝たくなかった(否定的願望)』。

だから、ベッドを自分で組み立てたんだ。

 

『寝具で眠れるのなんて当然』だったよね?

この記事をここまで読んでも、まだそう思う?

 

 

『こんなのあって当然』だと思ってたよね?

 

『それを当然だと思えるラッキー』が

すでにあなたにはあったんだよ?

 

こんなのラッキーとは言わない。

そう思うのも『あなたの選択』なんだよ。

 

それを『当然』だと思うから

『それより上に居たい』よね?

 

だからこそ、モチベーションがわくんだよね?

 

それも、『あなたの選択』から『生まれた』

『モチベーションの発生方法』なんだよ。

 

『したくない』、『したい』。どちらも推進力になる。

  • 貧乏になりたくないからお金を稼ぎたい。
  • お金持ちになりたいから稼ぎたい。

どちらも、『目指す方向』は一緒なんだけど

モチベーションの位置が違うの。

 

  • 『したくない』から『しないですむ』ようにする。
  • 『したい』から『できるように廻す』。

どちらも、『選択』なんだよ。

 

私は基本的に

『「したくない」から「しなくていいように廻す」』

ということをしたいタチだけど

『したい』で進めるなら、それはあなたの絶大なる推進力なんだ。

 

 

『したくない』で進める私みたいなのは

『したいことをノートに書いて、それを実行しよう』みたいな

『成功読本』は心に響かないし、実行しても続かないし、実現しない。

 

私が例外かもしれないけど

私はできなかったw

だから、今は、成功読本一切買ってない。

 

 

でも、大多数の成功読本では

『したいことを書け』って今でも書いてると思う。

 

 

だから私は↓これが効いたんだ、って、今、ようやく分かった!

ザ・シークレット【自分に掛けた不幸の魔法を取り除く方法】 | BL作家 晶山嵐の日記

 

願望ってこんな感じ。

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『スリムになりたい』という『結果』。

 

けどスタートは

  • 今が太ってるから
    • 太っていたくない。
    • スリムになりたい。

これ、どちらも嘘じゃないよね。

 

『言い方が違う』のではなくて

『考え方が違う』んだよ。

 

『言い方』は直せるけど『考え方』は直せないの。

それは『脳味噌の働き方』だから。

 

だから『考え方を変える』のは難しいわけ。

 

カンナっていう花がある。

私はこれの赤ばっかり見てたから

『カンナ』といえば『赤』だと思ったけど

母は『カンナは黄色い』らしい。

 

「黄色のカンナなんて見たことない、黄色いのおかしい!」

って私が言ったら、そこで論争になるw

 

「黄色いカンナがあるんだ?」ってだけだよね、普通は。

そして実際黄色いカンナがあるわけだから

『黄色いカンナ』は嘘ではないわけ。

 

それは、わかるよね?

 

でもこれが、

  • 「赤い肉を食べるのは気持ち悪い」とか
  • 「味噌汁にトマト入れるなんて!」とか
  • 「ご飯に甘いおかずなんて!」とか
  • 「酢豚にパイナップルなんて!」とか
  • 「から揚げにレモン掛けるなんて!」とか

になると、あっというに融通が聞かなくなるの。

 

それを許容する人も、許容できない人も、それが普通の人も

『考え方』が『違うだけ』なんだよ。

 

それだけなんだけど『考え方』だからかわらないし

「今日からから揚げにレモン掛けるなよ」とか言われたら

掛ける派の人は「はぁ?」って思うよね?

 

『から揚げにレモン』も柔軟な人は

「お前が取った皿のから揚げにだけレモン掛けろ」

ってなるよね。

 

でも、強硬な人は

「から揚げにレモン掛けるなんて食い物じゃない」ってなるわけ。

 

食べ物でしょ?

から揚げは食べ物、レモンも食べ物。

なら、から揚げにレモンを掛けても食べ物でしょ?

 

ここまで来ると『理屈が通らない』人になってくる。

 

から揚げレモンで私は被害を受けたことないけど

焼き肉では毎回あるw

 

私は牛肉はレアで食べたいから

赤いまま食べる。

それこそ、あぶった感じで網に置いてすぐ食べるのね。

 

『赤い肉食べるの気持ち悪い』派から物凄いバッシングを受けるw

その中で一番イヤだったのは

「赤い肉を食べる人は残酷なんやで」って。

 

肉の食べ方で性格まで悪く言われたw

 

私からするとあなたの食べてる牛肉は炭だよ。

真っ黒やん。

ってことなんだよね。

 

別にあなたに赤い肉を食べろとは言ったことないし

赤い肉の方が美味しいよとも言ったことないのに

なぜあなたは私の食べ方に文句をつけるのかしら?

って感じ。

 

きのこたけのことかで、『論争を楽しんでる』ならいいけど

『赤い肉食べる人残酷』とまで言われると

かなりカチンと来る。

 

二度と食べにいかなければいい話だけど

同僚だとそうもいかない。

その時気楽だったのは、その人が少数派だったことw

 

「それ炭やん」って店長が言ってくれたし

半数がレア派だったから、私は目立たなかった。

でも「嵐子は赤すぎる」とは店長に言われたw

 

生でも食べられるんだから、いいんだよ。

後日店長に呼ばれたのでナニカと思ったら

「お客さんが肉の刺身持ってきてくれた。お前こういうの好きやろ」

って。

 

こういうのはありがたいよね。

 

『分類』として『生肉食べるヤツ』はかまわないんだ。

『生肉食べるヤツは性格おかしい』に持っていかれると困るw

(当たり前)

 

逆に言うと、

刺身は食べるのになんで生肉駄目なんだよ。

扱いは一緒でしょ、と私は思う。

 

たんに『目新しいもの』を受け付けないだけやん。

 

私は『生肉が食べたい』のではなくて

『よく焼いた肉は美味しくない』から

生っぽいのを食べてるだけ。

よく焼かないと美味しくない悪い肉はよく焼くよ。

 

『この方が美味しいからこれを選ぶ』んじゃないんだよ。

『ああした時まずかったから、他の方法で食べる』んだよ。

 

それは結果だけ見ると『生肉がおいしい』になるわけだけど

出発点が違うの。

 

基本が私は『非定型』なんだよ。

 

  • 太っていたくない。
    • 非定型願望。
  • スリムになりたい。
    • 肯定系願望。

世の成功読本は『肯定系願望』が詰まってる。

 

だから『したいことを書け』ってなるんだ。

 

でも私みたいな『非定型願望』を持ってると

『したいこと』に向かって動くんじゃないんだよ。

『したくない』から、それを回避したいから動くんだ。

 

だから

非定型願望者が『したいこと』を書くってなると

  1. 今したくないことがある。
  2. どうしたらそれをしなくて済むのか。
  3. しなくて済むことはどうやったら実現できるか?
  4. これをすれば『したくないこと』をしなくてすむ。
  5. それを『したいこと』に設定する。

という、5段階を経ないと『したいこと』が『わからない』のね。

 

『一億円稼ぎたい!』んじゃないんだよ。

『貧乏したくない』んだよ。

だから、上限はどこでもいいんだ。

 

その状態で『したい願望を掛け』って言われて

『金額を求められる』と、困るんだよ。

金額で考えてないから。

 

 

で、なぜ、私が↓『ザ・シークレット』が効いたのかと言うと

ザ・シークレット【自分に掛けた不幸の魔法を取り除く方法】 | BL作家 晶山嵐の日記

 

『したいこと』を書くのではなく

『成功した姿』を描け、ってあったからだ。

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実はこの『ザ・シークレット』嘘っぱちらしいw

 

インタビューしたのは本当だけど、みんな

『それだけじゃだめだよ、ちゃんと手順踏まないと』って言ってたけど

それをすっとばして書いたから『ザ・シークレット2』は

インタビューが載らなかった

と、オンラインセミナーで、講師の人が言ってたw

 

私は2を買ってないので知らないけど、

この1が、私に刺さったのは事実なんだ。

 

それは下記の図のように

『非定型願望』だろうが『肯定系願望』だろうが

『成功した姿』ってのは描くから。

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どっちの性格でも、『成功した姿を描け』ってのは

楽に可能だからだった。

 

ここで『何キロになりたい』だと無理だった。

ただ『痩せたい』だけだったから。

 

この本のおかげで

『したくないから努力する』のが

『成功した姿に向かって努力する』に変わったのはたしか。

 

ただ、結果的に

  1. 今したくないことがある。
  2. どうしたらそれをしなくて済むのか。
  3. しなくて済むことはどうやったら実現できるか?
  4. これをすれば『したくないこと』をしなくてすむ。
  5. それを『したいこと』に設定する。

↑これは経た。

 

経たから『したいことを設定』じゃできなかったんだ

ってことがわかった。

 

『痩せたい』のはなぜか?

『痩せたい』と思うのはなせか、って話しなんだ。

 

若いときは『その方が綺麗だから』みたいな理由だったけど

今はそれに加えて

『太ってると病気が出る』ってのが出たんだ。

 

若いときから72キロぐらいを越えると微熱が出てたけど

それと『太ってる』ことを結びつけられてなかった。

 

今だと

  • 70キロ近くなってくると
    • 過食が出る。
    • 運動したくなくなる。
    • 明日でいいじゃん、って思う確率が高くなる。
    • なにもかもが面倒臭くなる。
    • リアルに、膝と腰が痛くなる。

という弊害が出る。

 

痩せるだけで、これらがなくなるなら

『痩せるためのコスト』は『安い』んだよ。

 

これは時系列で並べると

 

  • 70キロ近くなってくると
    1. 体が重たくなる。
    2. だから運動したくなくなる。
    3. 動かないから関節を動かさない。
    4. 動かさないから関節が痛くなる。
    5. リアルに膝痛や腰痛が出る。
    6. もっと動きたくなくなる。
    7. 動かないからもっと太る。
    8. 体重が増える。
    9. 体重が増えるから関節の痛みが増す。
    10. もっと運動したくなくなる。
    11. 運動しないから脳がマヒする。
    12. 脳がマヒするから満腹中枢が駄目になる。
    13. 満腹中枢が駄目になるから、過食する。
    14. 過食するからおなかがいっぱいになる。
    15. おなかがいっぱいになるから苦しくなる。
    16. 苦しくなるから運動しなくなる。
    17. 苦しくなるから、考えられなくなる。
    18. 考えられなくなるから後回しにする。
    19. 後回しにするから何も進まなくなる。
    20. 運動しなくなるから関節痛が激化する。
    21. 本当に歩けなくなる。

こういう循環なんだよね。

 

実際、病院で見てもらってないからわからないけど

70キロを越えると、微熱が一日に何度も上下してた。

それが、65キロより下がると、ピタッとなくなるんだよ。

 

『運動しない』という選択で、これだけの被害が出る。

最終的には人生詰む。

『人生を詰まないため(否定的願望)』には

『運動をする』という選択が必要になった。

 

これを考えると『運動する』一択になるわけ。

 

そこで、選択肢。

痩せるためには

  • 『食べ物を少なくする』
  • 『運動してカロリーを消費する』

があるよね。

 

でもね

食べ物を少なくして痩せたって

動かなかったら関節の痛みは出るんだよ。

 

なら動いて、普通に食べた方がラクやん?

という結論を、私は出した。

 

逃げようのない選択肢を置くと、するしかなくなるw

『したくない』時に、

『なぜしたくないのか?』を『潰していく』と

結果的に『するしかない』になる。

 

手作りパンとチーズが好きだった私の選択肢。

  • カロリー制限ダイエット
  • 低炭水化物ダイエット

私は、低炭水化物(アトキンス)をやった。

 

なぜなら、パンよりチーズが好きだったから。

化ロター制限だとチーズは食べられないけど

低炭水化物ならチーズは食べられる。

 

 

  • 運動する?
  • カロリー制限する?

運動した。

 

カロリー制限したって、運動しないと関節は痛むから。

 

こんなふうに、二者択一で並べて

『どちらがマシか?』を考えた。

 

その結果、残ったのは

『ダイエットにも健康にも散歩がいい』だった。

 

これは『私が出した結論』であって

誰から押しつけられたものでもない。

 

だから、私は、しつこく運動する運動すると言って

どうにか運動してる。

 

運動できるときにしないと、

年取ったらできなくなるのは分かりきってるから。

 

ただ『年取ったらできなくなる』のは

『しないからできなくなる』が大きい。

 

『年取ったら太りやすくなる』のも

『年取ったら動かなくなるから代謝が下がるから』ってのがある。

 

なら、動き続けたらいいわけやん?

 

基本的老化で下がるのは仕方ない。

けど、『怠慢』で下がるのは止められるよね?

 

怠慢しなきゃいいんだから。

 

でも怠慢したいよね?

アスリートになりたいわけじゃないんだから

運動なんてしたくないよね?

 

その、『ぎりぎりライン』を考えたら

「一日一時間運動する」に至った。

 

「人生の、24分の1は運動に使う」

将来のために。

 

その代わり、一時間以上は

『楽しいと思わない限り』絶対にしない。

 

だから、一時間の散歩で足りなくなったら駆け足を入れていく。

負荷を掛けることで時間は伸ばさない。

 

そして、実際には『運動のために使う時間』だから

着替えとか、パソコンの『終了作業』とかも入ってるので

実際に運動するのは40分ぐらい。

 

これで、3000~5000歩歩ける。

5000歩歩くと、現状では

ランナーズハイ入るから、いくらでも歩けるようになるw

そしたら一時間歩けばいい。

その状態になれたら、ハイ入らなくなるだろうから

今度は、駆け足を入れて負荷を上げていけばいい。

 

『人生のための運動』は『一生続く』ことだから

一生続けられるように廻さないといけないんだ。

 

ダイエットも本当はそうなんだけと

みんな『二カ月だけダイエット』とか言うから

結果的に痩せない。

 

一生理想体重でいないとだめやん?

美容体重ではなく、理想体重ね。

 

私の理想体重は54キロ。

あと15キロ。

一年で一キロずつ減らしたら、15年後には到達できてる。

 

そんなスパンで考えればいいんだよ。

美容のタメでなければw

 

来月結婚式で綺麗になりたいために痩せるのに

このスパンでは駄目だけど、

『人生のため』に痩せたいなら一年一キロでいいんだ。

 

だから間で三キロ太ったって、年末までに四キロおとせばいいんだよ。

 

運動だって、たまにやらなくてもいい。

そのうちやりたくなるから。

 

このままだと寿命が縮まるっ!

っていう、切迫感がないとか

別に早死にしていい、とかなら

好きなようにしたらいい。

 

私は長生きしたいわけじゃないけど

死ぬ寸前まで元気で居たい。

 

だから運動するんだ。

 

でも最近、

『Y字バランスできる一二〇才』を目指してるから

長生きにはなるんだろうなw

 

私が120才になったら、長寿記録はもっと伸びてると思う。

 

何もしなければ劣化するんだから

『横ばい』は成果が出てるんだよ。

 

テレビを見てると『横ばい』は『駄目』って叩きつけられてるから

『右肩上がり』じゃないと駄目だという風潮があるけど

『横ばいできるラッキー』はかみしめないといけない。

だって、マイナスは出てないんだよ。

 

私はここ最近、こういうことに目覚めたら

実は十年前より元気w

 

私は『死ぬまで健康でいたい』という『選択肢』を取ったから

そこに向かって日々、微妙な努力を続けてる。

 

↓微妙な努力w

外に出ずに運動したい。 | BL作家 晶山嵐の日記

 

『選択肢』がある内はラッキー。

一生したいことをまず書き出して

それは一生できるように廻す。

 

『しない』という選択はそのうち『できない』になるから。

 

 

「しない」は「選択」。「できない」は「不可能」。

でした。

 

エンジョイ! & サンキュー♪

【この記事を書いた日 2018/09/23 10:37 】

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