『根性』の使い方を間違っていませんか?

『根性』の使い方を間違っていませんか?GTD~タスク管理、時間管理
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『根性があればなんでもできる!』

『気合で突破できる!』

老害とブラックはよくこういうことを言うよね。

 

その人たちは『それで成功してきた』から。

それか、『誤魔化して騙そうとしている』から。

 

『根性』は使い道次第で害になる。

大阪から東京まで『600キロ』のマラソン。

頑張って走ったのに、沖縄に到着したら

それは『ゴール』じゃないよね?

 

  • 大阪から沖縄まで600キロ。
  • 大阪から東京まで600キロ。

同じ距離を走ったけど

沖縄に向かったら『達成』ではないよね?

 

その時に、『根性があれば達成できる!』って言える?

 

 

東京がゴールの600キロメートル走で

大阪から東京に600キロメートル走っても

大阪から沖縄方面に600キロメートル走っても

疲労度も、かかる時間も一緒なんだよ。

 

でも、沖縄方面に走ったら、ゴールしないんだ。

努力が実っても、実らなくても疲れるんだよ。

 

でも『努力したんだからナニカ成果があるはず』と思う。

もちろん、成果はゼロではない。

  • 600キロ走った分の筋肉はつくよね。
  • それを走りきるために今まで努力してた分の経験値はつくよね。
  • 『600キロ走りきったの凄い!』という称賛はあるよね。
  • でも、『方向がわかんないんだな』『馬鹿だよね』という評価もつくよね。

そして『目的は達成していない』んだよ。

 

沖縄に向かって走ったら、地球を一周しないと東京につかない。

地球一周、約四万キロ。

 

それを、

根性があれば4万キロ走れる!

そんなアドバイス、する?

 

違うよね?

 

大阪から西に向かって走り出したときに

方向が違うよ!

これが、正当なアドバイスだよね?

 

でもね、殆どの人は『静観する』んだよ。

『ナニカ考えがあるのかも?』って思うから。

 

もっと簡単に言うとこうなる。

  • 『自分の考えではわからない人に、付き合いたくないから』。
  • 『自分の考えでその人の考えを変えたときに、責任を取らなきゃいけないのがイヤだから』

もっと簡単に言うと。

  • その人がどうなろうがしったこっちゃない。
殆どの人は、他人に、興味が、無い。

 

線路に落ちた人を助ける美談がたまにあるから

『みんな優しいな』と思うだろうけど

ラッシュのホームで飛び込んだのは一人だよ。

 

飛び込んだ人が優しいのは間違いないけど

『みんな優しい』というのは勘違い。

 

そして、飛び込みって大体成功するよね?

つまりは、飛び込みを、『普通は』『誰も止めない』んだよ。

 

『みんなが優しい』なら『飛び込みを止める人』がたくさんいて

たくさん列車にはね飛ばされて、毎回大事故になる。

 

 

『他人は冷たい』というのはまた間違いなのが混乱するところ。

大体の人は性善説で成り立っているので

『関わる』と『優しい』。

『騙してやろう』としていない限り。

 

『一度でも挨拶をした』が、最低限の『関わり』。

だから、朝のラッシュで何百人がそこにいようが

『挨拶していない』から『関わり』がないので『気にしない』。

 

友人でも『静観する』ことが多いのに

赤の他人なんて、ナニカいってくれることはホボない。

 

 

つまりは『個人で活動している』と

『止めてくれる人はいない』ということ。

でも『がんばれ!』って言う人はいるんだよ。

だって自分には関係ないから。

 

『ガンバレ』って簡単だよね。

私は何もしないけど、あなたは勝手に精一杯やってね、ってことだから。

だから、その意味を感じると、鬱になる人が出る。

 

根性論で『ガンバレ』って聖句のように乱発されるけど

そこには『そのままやれ』以外の意味が何もない。

 

逆上がりができない子供に

『根性と気合があればできる!』って

無茶をいってきたのが第二段階世代以前。

 

 

逆上がりをするには、実際には、

『自分にあった持ち方、蹴り上げ方』をしないとできない。

★★★★★フォースタンスリロン?のリンク

 

人間の骨格の種類としておおざっぱに四種類ある。

その、『自分にあった動き』をしないと

『同じこと』でも凄く困難になる。

 

その『困難』を『根性』で乗り越えようとか

無理なんだよ。

 

『やればできる!』の間違い。

やればできる。

もちろんできる。

 

『やらない』という選択をするよりは

『やる』という選択をする方が

『できる確率』は格段に上がる。

 

『やらない』という選択をして

できることは何一つない。

 

だから『やる』しかないんだけど

やり方が悪ければ、成功しないんだよ。

 

『大阪→東京』のマラソンで

沖縄に向かったら『やる』という選択をしても

『達成』は『困難』なんだよ。

 

『やればできる!』って言葉がはやってるけど

『方向を間違う』と、『できない』んだよ。

 

『やればできる!』って『いってる場面』って

『その場でできること』だけにしか使ってないことに

注目してね。

  • 大食いをするとか。
  • 辛いものを食べきるとか。
  • 走り切るとか。

そう言うときしかいってないからね。

 

地図も持たさずに『大阪から東京へマラソン!』って言われたら

道順がわからなくて殆どの人は走り出せない。

 

『根性』の前に『地図を見る』。

  • ドコにむかうのか?
  • ドコに到達したら『達成』なのか?

それを先に設定しないから、『迷う』んだよ。

 

目的をちゃんと見る。

その次に『可能かどうか』を考える。

  • ソレは物理的に可能なのか?
  • ソレは自分の実力的に可能なのか?
  • ソレは『どうすれば』『可能になる』のか?

 

ただ、『発見』のプロジェクトはコレに限らない。

 

ケネディ大統領が『月に行く!』という『目標』をしめした。

そして、それは達成された。

 

荒唐無稽に思えることだとしても

『可能』だったからできた。

『可能にした』からできた。

 

空を飛べるなら、月にもいけるだろう。

 

そういう『空想』を『実現』させるために

大統領は『目標(ゴール)』を発表した。

 

誰もがムリだと思っていたのに、それは達成できた。

アポロ計画の始まりである。

 

結果的にアポロ計画は終了。

つまりは『月にいっても無駄』という結論が出るまで

アメリカは物凄い研究費を使った。

 

でも、その経験値で賢くなって、今度は火星にいくと言い出した。

いつでも元気な国だと思う。ホントに。

 

『ゴールがわかる』から『根性』が生きる。

『ゴールに向かって根性で走れ!』というのは正しい。

 

ただ、

ゴールした後、走った人がどうなろうがしったこっちゃない。

そういうニュアンスもある。

 

ゴールが遠すぎるからと、

「あと5分走れ!」と、

「小刻みに『小ゴール』を設定」する人もいる。

 

これは好き好きだろうけど

『小刻みに小ゴール』を設定する方が

統計的に達成しやすいらしい。

 

ケネディ大統領のように

『月へ行くぞ!』と言われて

あなたはどう答えるだろうか?

 

ムリです!

 

 

そういうよね?

 

でも、こう細かく指示されると、

一つ一つはできそうな気がしない?

  1. ロケットがあるんだから、その飛行距離を伸ばせ。
  2. 成層圏を突破するエンジンを作れ。
  3. そのまま地球を離脱できるロケットを作れ。
  4. そのロケットで月に行け!

 

『月へ行くぞ!』という『ゴール』を設定されて

すぐに『月へいけるロケット』を開発できる人もいる。

 

でも、大体の人にはむりだから

『小さな目標』を指示して、

そのうちメインゴールに到達できるようにする』。

それが『コーチ(監督)』の仕事なんだ。

 

その『大体の人にはムリ』なのに

いきなり『月に行け! 根性があればできる!』といっても

ムリなんだよ。

 

『どういう段階を踏めば、月にいけるか?』

それを『考え出す』ことに『根性を使う』んだ。

 

『ムリな実行』に根性を使うと悪ければ心臓麻痺で死んじゃう。

 

でも『考え出す』ことに根性を使うのなら

肉体的疲労はそうないから、まだ頑張れる。

 

そして『道筋』を『思いついた』のなら

『その一つ一つ』を達成することに

『根性を使う』んだ。

 

 

ダイエットをするときに大体の人は

突然『今月中に10キロ痩せる!』とか無茶をいう。

そして、『手段を考えず』に

『食べるのをやめる』ことに『根性を使う』。

 

でも『食べるのをやめる』ことは

凄く難易度が高いから、

『達成した瞬間』やめる。

だから、リバウンドする。

 

 

最初に考えないといけない。

 

  1. 今月中に10キロ痩せる。
    1. そのためには何をすれば良いか?
  2. そして『今月10キロ痩せた』ら、『来月10キロ太ってもいいのか?』
    1. ダメなら、なぜダメなのか?
    2. ダメなら、どうすれば『リバウンドを防げる』のか?

 

つまりは

『今月中に10キロ痩せて、それを一生維持する』

それが『真のゴール』ということになる。

 

それを『今月中に10キロ痩せる!』『だけ』に根性を出すから

来月15キロ太る。

 

再来月は『15キロ痩せる!』になって

その翌月に20キロ太る。

 

結果的に、どんどん太って100キロを超える。

そして、『もう痩せるのなんてムリ』と『あきらめる』。

 

こういう悪循環になってしまう。

 

悪循環の原因は、

  • 『ゴール設定を間違えた』上に
  • 『根性の使い方』を間違えたから。

 

『どうすれば良いのか?』を『考え抜く』ことに『根性を使う』。

根性は『実行すること』より先に

『考える』ことに使う。

 

そうしないと、先に書いたように

『リバウンドの失敗』を延々と繰り返すことになる。

 

そもそもが『ちゃんと考える』と

『一か月で10キロ痩せるとかムリ』とわかる。

 

物理的には『一か月で10キロ痩せる』はムリではない。

 

私は、三週間の断食で10キロ以上痩せた。

断食時とリバウンド

完全断食を3週間目指す&22日目。最終日 | ポジティブにタスク管理

でも、翌月、痩せた以上に太ったよ。

見事なリバウンドです!(いばり!)

 

食欲がコントロールできなくてw

あそこまで、断食後の飢餓感が凄いと予想してなかった。

 

リバウンドが来るのはわかってたから

『食べないように』とは思ってたのにムリだった。

 

そこに根性は皆無だったな。

けっこう簡単に負けたw

 

『食欲』なんていう『動物の三大欲求』を、

『根性』なんてチャチイもんで抑えられると思わない方がいいw

 

『根性』が使えるのは『理性が効く部分』だけ。

 

 

犬に『餌を食べるのを待て』をしつけるとき。

犬は『餌を食べる』ことを根性で我慢しているのではない。

『待てを達成』したら『ご主人様に褒めて貰える!』という

『喜び』のために、『待つ』という選択をしてるんだ。

 

だから、ダイエットという『食欲を抑える』ことを実行するためには

『食べるのを我慢する』ことに『根性を使う』のではなく

  • 『痩せて綺麗になった!』
  • 『痩せて健康になった!』

そういう『喜び』を『達成』するための

『手順』を実行することに『根性を使う』のです。

 

けっして『我慢する』ことに根性を使ってはいけません。

そんなことは一生続かないですから。

 

 

今度やるなら、もうちょっとリバウンドを抑えられるとは思う。

『あれだけの飢餓感が来る』と『わかってる』からね。

 

私の自論として『初回は間違ってもいい』ってのがあるw

命を落とすような『最初』でない限り。

 

『初回は間違う』のが当然。

『初回』は初体験なんだから、

間違い、失敗、諦めは、『当然ある』ものとして始める。

 

でも普通は『最初だから頑張ろう』と思って

そこに『根性を使う』から

退っぴきならなくなって

『ムリ』だと『暫定終了』することが

『失敗、諦め』になってしまう。

 

そして、『失敗するのがイヤ』だから

新しいことに何も着手しなくなる。

 

違うんだよ。

 

『最初にしたこと』なんて『できなくて当然』なんだ。

『できて当然』と思って始めるから

『できない』ことで『失敗』だと思ってしまう。

『失敗しないため』に『根性を使う』。

違うんだよ。

 

  1. 一度実行する。
  2. できなかった。
  3. なぜできないのかを考えることに『根性を使う』。
  4. 出揃った敗因を避けて再実行する。
  5. できなかった。
  6. なぜできないのかを考えることに『根性を使う』。

 

こうして『敗因を潰していく』ことで

成功しやすくなる。

 

そして『敗因を見付ける』ことに『根性を使う』んだよ。

 

『根性』は『使い始める』とブレーキがきかない。

『根性を出せ!』って言われた時点で

『必死』になるやん?

 

『必死になってる』状態って

『走ってる』んだよね?

 

『アクセルだけを踏んでる』のが『根性を出してる』状態だよね?

自動車で走ってて、アクセルだけ踏んでたら

そのうち事故るよね?

 

つまりは、

『実行する』ことに『根性を使う』と

『そのうちダメになる』んだよ。

 

『走る』ことに根性を使ってはいけないんだ。
『考える』ことに根性を使わないといけない。
『リトライする』ことに根性を使わないといけない。
『考え続けること』に根性を使えば
『体は安全』だから、事故らない。
そして、『根性で出した手順』を実行して

『何度も挑戦』していれば、そのうち成功するんだよ。

『敗因を潰していく』のならば。

 

  • 『考える』ことに根性を使う。
  • 『もう一度やる』ことに根性を使う。

これだけなんだ。

 

三日坊主も四回やれば、10日分の経験値になるんだよ。

 

大体の人は、三日やってだめだったら

そのままあきらめてしまう。

『もう一度三日坊主をする』ことに根性を使うんだ!

 

ただ、

『何度も挑戦すればできる』と思って

『考え無し』に何度もやるだけでは、もちろんできないほうが多い。

 

『なぜできなかったのか?』を『考える』ことが重要なんだ。

 

  1. 『考える』ことに根性を使い
  2. ブレーキを踏みながら実行する。
  3. だめだったらすぐに止まって
  4. 『考える』ことに根性を使う。
  5. 『もう一度始める』ことに根性を使う。
  6. ブレーキを踏みながら実行する。

この繰り返し。

 

『実行する』ことは『ブレーキを踏みながら』やるんだよ。

決して『アクセルの踏みっぱなし』にしてはいけない。

 

曲がり角もあれば、目の前を誰かが横切るかもしれないんだから。

『いつでもブレーキを踏める状態』にしておかないといけない。

 

それを考えずに『根性でアクセルを踏み続ける』から事故る。

 

『実行する』より『考える』ほうが『難易度が高い』。

普通は『実行する』ことが『難しい』と思う。

 

でもね、違うんだ。

 

『(できるように)考える』ことのほうが

『実行する』より難しいんだよ。

 

組み立て家具を『組み立てる(実行する)』のも難しいかもしれないけど

組み立て家具を『設計する(考える)』ほうが何百倍も難しい。

 

『考える』ってそういうことなんだ。

『組み立てる』のは『実行するだけ』。

 

 

ダイエットに失敗する人が多いのもこの理由。

『どうすればダイエットが成功するか?』を

『考えずに実行する』から失敗する。

 

囲碁や将棋って、一昔前は『老人の娯楽』だったけど

それはたんに

『ヒマな時間がある』人がその世代だっただけで

若い人がこの業界に入れば

てっぺんは若い人が占める。

 

『最年少~』のタイトル保持者が年々出てくるのはそのせい。

 

囲碁とか将棋って『頭を酷使する』から

年をとるごとにできなくなる。

『脳のアスリート』なんだよ。

 

『散歩する』ことは歩けるなら誰にでもできるけど

『健康的になるために散歩する』を考えずに始めるから

膝を痛めたり、転んだりして歩けなくなる人が出てくる。

 

それでも『痛いのに歩く』ことに『根性を使う』から

『完全に膝が壊れるまで歩き続ける』という愚行を簡単におかす。

 

痛いなら、一端やめて、『なぜ痛いのか?』を確認しなきゃいけない。

  • 運動不足だったから、動かし始めが痛い。
    • 運動すれば治る。
    • 蝶番に油が足りない状態。
      • 本体は無事なので、油をさせば動く。
  • 使いすぎで痛い。
    • 休憩すれば治る。
    • 蝶番が壊れかけてる状態。
      • 本体が壊れているので、交換しないといけない。
      • 人間なら、休息や手術が必要。

『痛い』も、原因によって『すること』は正反対なんだ。

運動不足の人が運動すると、必ず体は痛くなる。

間接に油が回ってないから、きしむ。

そこでやめると、運動した分、さらに痛くなる。

だからよけいに運動しなくなる。

この場合は、様子を見ながら運動量を増やす。
心配なら、医者に『大丈夫』っていってもらえばいい。

運動してる人の体が痛くなるのは使いすぎ。

だから、やめないと、体は近い内に壊れる。

この場合は、すぐに病院に行く。

病院は、『悪いところを治す』だけではなく

『この状態は健康なのか?』を『確認するところ』でもある。

 

運動を始めたときは、必ずお医者さんと相談した方がいい。

 

私は、食生活を変える前後で必ず血液検査をしてもらう。

 

 

 

老人が運動を始めるなら

  • 『クッションの良い靴』
  • 『長時間歩いても大丈夫な歩行方法』

この二つが揃わないと、そのうち膝を壊して歩くことができなくなる。

 

  • 『長時間歩いても大丈夫な歩行方法』

これが一番難しい。

 

 

私は四国88カ所を回ったことがあるので

こういう話をよく聞いた。

「山の上の祠に毎日お参りにいってたんだけど

膝をやられて上がれなくなった」

 

四国だけじゃなく、こういう『山の上の祠』ってあちこちにあるやん?

そして、それを毎日お参りしてる人いるやん?

でも、『足が悪くなってできなくなった』ってよく居るよね?

 

『ご利益なかったんじゃん』と

初めて聞いたときは思った。

 

『歩いていれば歩ける状態はつづく』筈なのに

  • なぜ、『歩けなくなる』のか?
  • お参りしている神様は助けてくれなかったのか?

 

 

私が大阪から山の中に引っ越してきて

『平地がない』状態で『散歩を始めた』時、

『理由がわかった』んだ。

 

下り坂を『何も考えずに降りる』と『膝を痛める』、ということ。

 

駅の階段でも、『本当に足が悪い人』は

『登るより降りる』方が大変なのに

登りエスカレーターから先に作られる。

 

『足が悪い人のため』ではなく

『上りがしんどい健常人のため』の施設だから。

 

とにかく、『降りる方が負担が大きい』んだよ。

 

母と一緒に散歩をして気付いた。

母の足は、爪先が『ハの字に開いている』ということ。

 

爪先が前を向いてないんだ。

だから、前に歩くと、膝に余計な負担がかかる。

 

だから、膝を痛めるんだ。

 

これが ↓ この理由。

  • 『長時間歩いても大丈夫な歩行方法』

『歩けばいい』ってもんじゃないんだ。

 

『正しい方法で歩く』ことが重要で

そのポイントを外すと

『足を痛める』から『歩けなくなる』んだよ。

 

『歩くために運動をしている』のに

『やりかたが悪い』から

『歩くたびに足を痛める』ことになって

『歩けなくなる』んだ。

 

でも、そんなことは『考えない』から

『歩き続ける』ことに『根性を使う』ので

その『根性によって』『歩けなくなる』という事態が発生する。

 

これが『継続する根性がある』のに

『できなくなる』理由。

 

『継続する』ことにも『根性は必要』なんだけど

それは『今日もやるぞ!』に使うものであって

『歩き続けること』に使ってはいけないんだ。

 

痛いなら止まる。

『ナゼ痛いのか考える』ことに『根性を使う』んだよ。

 

もっと詳しく言うと

『原因を見付ける』ことに『根性を使う』んだ。

 

『反省だけなら猿にもできる』って言葉があるけど

『考える』だけなら誰にでもできる。

『答えを見付ける』ことに根性を使う、ということ。

 

そして『痛みの答えが出ない』なら

『運動をやめる』ことに『根性を使う』必要があるんだ。

 

  1. 運動が習慣になると
  2. 運動することが楽しいよね。
  3. 『続けてる俺スゴイ!』ってなるよね?
  4. だから『続けたい』よね?
  5. 三日坊主なんて言われたくないもんね?
  6. でも、膝が痛いんだよね?
  7. 理由がわからないんだよね?
  8. 歩いたら痛いんだよね?

それなら、『運動をやめる』ことに『根性を使う』ことで

『運動しない』という『選択』をしなきゃいけないんだ。

 

『実行すること』を『続けること』だけが偉いわけではないんだよ。

『だめだと思ったらやめること』も重要なんだ。

 

でも普通は『継続すること』に根性を使ってしまうから

『やめる』という決断は『失敗』だと思って

『考えずに継続』してしまう。

 

だから、体を壊すんだよ。

まとめ。

根性を出して『答えを見付ける』んだ。

『根性』ってのは『考える』ことに使うんだよ。

 

『答えが出た』のなら

『正しい』と『思っている』から

『続けること』は『自然とできる』。

 

だって『これをやれば正しい!』とあなたが思っているから。

そこに『実行する根性』は必要ない。

『するための理由が曖昧』だから

『実行するため』に『根性が必要』なんだよ。

 

『するための理由』を『根性を出して見付ける』ことで

『実行』は簡単にできるようになる。

 

 

体を壊す前に、『根性』の使い道を考えよう。

 

【この記事を書いた日 2021/12/22 8:15 】

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