【決断方法】『これが出たら正解』を決めておく。

人生が開放される地味な方法
この記事は約11分で読めます。

日記 『これが出たら正解』を決めておく。

 

ナニカを思ったときに、『コレが出たら正解』を決めておくと

凄くすっきりする。

私は『綺麗な羽』が出たら『正解』としてる。

『金色の羽』に縁があったの。

 

『金色の羽』。

大昔に買っていた『金色の羽』のブローチ。

一目惚れして衝動買いしたブローチ。

 

メッキだから、安かったけど。

多分、十代だったから、結構、清水の舞台から飛び下りる感じだったw

 

おばあちゃんのお見舞いで見た金色の雲。

田舎まで車で帰って

なぜか私は車の中で、両親が病院に行ってる間待ってた。

 

綺麗な青空には、「『金色の羽』に見える雲」がキラキラしてた。

ただ、帰って来た両親に興奮気味にそれを指さすと

両親には何も見えてなかった。

 

雲の幽霊???

 

と思ったけど、あとでそれをちさろうに話すと

「それは、ご先祖様が嵐ちゃんに見せてくれたんだよ」って。

 

彼女のお母さんも

お墓参りに行ったときに

「わぁ……ここだけ照らされてる!」

って、幸せそうに笑ってたけど

彼女には、全天曇りだった、って。

 

『母にだけナニカが見えてるんだな』って思ったらしい。

 

私が父の田舎に行ったときも

家族三人というか、法事だったから、一族全員でお墓にいたの。

山際に一族のお墓が一列に並んでて、その前で手を合わせたのね。

 

そしたら、山のむこうから

バラバラバラバラバラバラバラッ!

って、なんか、小太鼓を叩くようなにぎやかな音がして顔を上げたのね。

『空がどうだったか』は全然覚えてない。

 

『面白い音だな』って思ったの。

『こっち来る』ってのもわかった。

 

そして、本当に

『その音』が『山を越えて』こっち来たの。

 

合わせてた手に大粒の雨が落ちてきた。

 

あわててみんな家に駆け戻ってヒャー、とか騒いでたけど

私も父も、殆ど濡れてなかったのね。

 

最初に手に落ちた雨は、五㎝ぐらいビシャッとはじいたから

かなり大粒の雨だったんだよ。

 

だいいち、雨であんな『バラバラバラバラバラバラバラッ!』なんて

大きな、ハッキリした音、アラレでも降ったんじゃないかって感じだった。

 

「凄い雨だったけど、濡れなかったねー」って父と言ってたら

母はびしょびしょだったw

 

『父方のお墓』だったから?

ご先祖様、心狭い……ww

 

それもちさろうが

「ご先祖様が喜んで迎えてくれたんだよ」って言ってくれた。

たしかに、『雨の音』にたいして『にぎやか』っていう

『プラスイメージ』を感じたんだよね。

 

というか、『雨音』だなんて、本当に思わなかった。

1音1音くっきりしてて、太鼓だと疑わなかった。

 

そういう『不思議なこと』って『実際にある』から

幽霊だとかなんだとかじゃなくて

『そういうもの』なんだな、って、『普通に』思ってたんだ。

 

『コレが出たら正解』と決めよう、という講座。

多分、本だったと思うけど、タイトルが思い出せない。

 

なんでもいいから『これが出たら正解』と『自分で決める』。

『あまりそこらへんにないもの』がいい。

 

『今、あなたの頭に浮かんだもの』が『ソレ』。

今すぐ散歩に出て、『それを見つけた』ら、大事に持って帰る。

 

筆者のかたは『虹色の(ナニカ)』を『正解アイテム』としてた。

それは、筆者のかたにしか見えないらしい。

そういう『幻覚』のたぐいでもいい、ということだった。

 

私はとっさに、 ↓ このブローチが思い浮かんだ。

そして、おばあちゃんのお見舞いに行ったときの『金色の羽の雲』。

 

だから私は『綺麗な羽』を『正解』にしてみた。

 

そしてこれを『決めた』時って、

この『金色の羽のブローチ』って行方不明だったんだよ。

 

で、散歩に出かけたら

『綺麗なカラスの羽』が道に落ちてたの。

 

三十㎝ぐらいありそうな、びしっとした羽。

 

うわ凄い。マジで出た!

 

と思ったよ。

 

ただ『羽毛』だからさ、『清潔なものではない』ってのがあったから

手にとることはしなかったんだ。

 

帰りにはなくなってた。

 

で、家に帰って、パソコンの前に座るために

ベッドに上がったの。

 

パソコンは、ベッドに座って操作するようになってるから。

 

で、ベッドに上がろうとしたら

そこ、に。

ベッドのウエ、に

 

 ↓ このブローチがあったの。

なんで?

 

数年探して、全然見つけられなかったのに

しかもなんで『今』、『そこ』にあるの????

 

その上には棚があった。

 

そう言えば、『ドクターコパの風水』の本を読んだときに

『南にキラキラするもの』で、この羽を置いたかもしれない、ってことを思い出した。

南には、この棚しかないから

その上に、このブローチを置いたんだ。

 

でも、『なんで、落ちてくるの?』、しかも『今』w

 

やっぱりこのブローチは、私にとって、ラッキーアイテムなんだな、って思った。

 

『正解』なんて、結果からしかわからない。

結果が出たって、『正解』かどうかはわからない。

 

人生は全部『塞翁が馬』なんだから。

なら、『正解』は『なんでもいい』わけだよ。

 

なぜなら

『その選択肢の正解』が未来につながるわけだから。

 

今、

ここで、

  • 苺のアイスを買うか
  • ブルーベリーのアイスを買うか

そんなことの『正解』は『ない』よね?

 

苺のアイスを買えば、

苺のアイスを買った未来が

ブルーベリーのアイスを買えば、

ブルーベリーのアイスを買った未来に

行くんだよ。

 

だから『正解』ってのは

『それをやろう』という『決定』でしかないのね。

 

苺のアイスを買うか

ブルーベリーのアイスを買うか

『迷う』意味、ってないよね?

 

今日苺買って、明日ブルーベリーのアイスを買えばいい。

 

でも、今日、ブルーベリーのアイスを買って

食べながら歩いていたら、

「昨日、ブルーベリーのアイスを買ってたでしょ?」って

好きなコに言われて、「私も好きなんだ。気があうね!」って

言われて、つきあいが始まるかもしれない。

 

でもそれは、苺のアイスを買ってたら『知らないこと』だから

『正解ではなかった』という『結果』はわからないよね?

 

ブルーベリーのアイスを買ったから恋人ができたけど

その恋人に凄く困らされるかもしれない。

困らされたから、人生経験も我慢度合いもついて

結果的に、人間関係の構築が上手くなるかもしれない。

 

苺の買って恋人はできなかったけど

恋人に困らされることがなくて、イライラしない人生を歩んだかもしれない。

 

それって、わからないやん?

 

そういう『分からないこと』だから、『決定できない』ってこと、あるよね?

 

そう言うときに、この『これが正解だと決めておく』ってことが

効力を発揮するんだよ。

 

私の場合。

散歩しながら、いろんなことを考えて

「あ、これってこうしたらいいんじゃない?」と『思い付いた』直後に

『綺麗な羽が落ちてたのを見た』のなら、

その回答は、『正解』として即効で実行する。

 

 ↓ こんなレベルの綺麗な羽。

これは、今朝の散歩で撮影したw

 

「散歩は、好きな方向にあるいて、休み休み行こう」って思った二分後だった。

 

「散歩は、好きな方向にあるいて、休み休み行こう」に『正解』なんてないよね?

 

  • 毎日同じ道を歩くのもいいじゃない?
  • 疲れ果てるまで休み無しで歩くのもいいじゃない?

 

でも、私は「散歩は、好きな方向にあるいて、休み休み行こう」こう思って

実際に、そういうふうに歩いてたんだけどね。

 

それをわざわざ心で再確認したときに

この羽を見たから

『これでいいんだな』って『思った』だけ。

 

これってさ、『どうでもいいこと』だよね?

 

  • 苺のアイスを買うか
  • ブルーベリーのアイスを買うか。

そんなレベルでしょ?

 

でも、そのレベルでも、悩むこと、あるよね?

 

その『悩む時間』をこれでカットできるんだよ。

 

商品とかに迷ったら、私は『先にめについたもの』を買うことにしてる。

 

これは、クイズ番組を見てて

『最初に思った答え』が正解のことが多いから。

 

『最初に思った答え』があまりに突拍子ないものの場合

『そんな筈ないよね』って、『第二の思考』で答えを出すことがあるんだ。

 

その時、殆ど間違えてるからw

やっぱり、『最初の答えがあってた』って、よく思うんだよ。

 

なのに、『第二答を用意してしまう』んだよね。

いらんのに。

 

明らかに『第一答』は『直感』で

『第二答』は『論理』だよね?

 

『第一答』は潜在意識から『出てきた』答えで。

『第二答』は顕在意識から『出した』答え。

 

私は大体、『第一答』の方が当たるので

『第二答』は無視した方が良い、とここ一年で確定した。

 

『第二答』で実行したことって手間取るんだよ。

 

クイズ番組だと、たまに、問題が出る前に答えを言うことがあるw

出題の前に、「この地方でこういうのの中から出題します」って言うやん?

そのカテゴリの中だと、これが出題されるんじゃない? って

その答えを『言う』と、本当に当たるんだよw

 

母が「また出題の前に当てた」って言ってるから、

結構当たってるんだと思う。

 

そういうのってもう『論理』じゃないんだよね。

『直感』でしかない。

 

なら、もう直感で動いてしまおう。

 

ただ、『直感』と『考え無し』って別なんだよ。

『答えが出てない』のに『動く』と、たいていは失敗する。

 

『どうにかなるさ』で始めたことは、どうにもならないことが多い。

私はそれで借金達磨になった。

人と縁が切れた。

 

『どうにかなるさ』は、私には厳禁。

だから『答えが出てないもの』は『やらない』。

それが最近重なったから、『何も進んでない!』って焦ってる。

 

それでも、

直感でも、論理的でもいいから

『答えが出てから動く』。

 

これは絶対。

 

私の人生では『どうにかなるさ』で成功した試しがないんだから

『どうにかなるさ』では動かない。

 

ただ、答えが出てるけどやってないことも多い。

 

人に教えられるぐらいハウツーが作れているのに

それをしてないことがいくつかある。

 

ナニカがブレーキになってる。

それがなにか、わからない。

 

それのブレーキを外したくて、ここ五年ぐらいすったもんだしてる。

そのブレーキの一つは『健康』だった。

 

  • 貧血で動けなかったことがブレーキになってたことは間違いない。
  • 更年期障害でイライラしていたことがブレーキになってたことは間違いない。

 

今も、更年期障害中だから、止まってるのかもしれないけど

別段、身体的異常は感じないんだ。

ただ、貧血で動けなかったときも『身体的異常』は感じてなかった。

 

「なんでこんなに怠け者なの私は!」という『自己嫌悪』だけが重なってた。

 

またソレがストレスになって勝手に自壊した気がする。

 

『綺麗な羽』なんて、私は、月に一度も見ない。

 

というか、『綺麗な羽が正解』って決める前は

人生で一度も、『落ちているのに気付いたこと』がなかった。

 

うちの近所は鳥が多いから

橋の下とか、手入れした羽はよく散らばってる。

 

でもそれは、『汚い羽』であって、こんな綺麗な羽は、まず落ちてない。

 

それが、落ちてるんだよね。

 

『これをこうしようか?』と思ったときに

落ちてるんだよ。

綺麗な羽が。

だから、もう、決めてん。

 

『ナニか思った』時に、綺麗な羽があったら

それは『イエス』。

 

これで一つ、『悩む』ことは減った。

 

いい感じ。

 

交差点では。

ぼんやり散歩してるときなら、交差点では、青が出た方に向かう。

 

  • 元気がある時。
    • 直進しようとしてたとしても、赤が出たら、曲がる。
      • 神様は青信号をすすめとおっしゃってる!
  • 元気がないとき
    • 黄色になり掛けたら止まる。
      • 神様は安めとおっしゃってる!

 

まとめ。

自分に都合の良いことを『イエス』だと思って進む。

 

どうせ、『ナニが正解』なんてものはナイんだから。

 

ソレだけの話。

 

【この記事を書いた日 2019/06/01 16:26 】

 

コメント