怖がりを克服する。

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私はかなり怖がりなので、『物理的に危険なこと』がまずできない。

 

というか、昔して、懲りたw

 

実際に怖いことをした記録。

小学校五年生位のとき、

近所の丘に自転車で上がって、ノーブレーキで駆け下りた、という過去がある。

 

私の自転車には、速度メーターと、変速機がついてた。

いつも、一番重たいモードで走ってた。

 

その、坂を駆け下りたとき、5分以上、かかって、カーブもたくさんあった。

ブレーキはかけなかったけど、たまに足をついてたw

最高時速32キロだった。

 

下まで降りてきた時、交差点でようやくブレーキをかけて止まった。

振り返った。

 

すごい坂だ。

 

ここをノーブレーキで五分以上走ってきた。

誰も出てこなかったことに感謝した。

 

誰かが出てきて、私がハンドルを狂わせれば、けっこうな事故になっただろう。

 

急に恐怖が沸き上がって、二度としない、と決めた。

 

グアムで怖かったイルカ鑑賞

グアムに行った時、イルカを見に行く、ということで

小さな漁船ぐらいの船で沖へ向かった。

 

一緒に行った友人が庇に座ったので私もそこに座った。

 

見晴らしはよかった。

風も気持ちよかった。

 

でも『人がいることを想定して作られていない庇』に座っている

ということが怖くて、降りた。

 

船のヘリに座って、足を外に出してた。

 

ここで鮫が出てきて足をかじられたら……と想像してしまって

怖かったけど

そんなことが一度でもあったら、注意されるだろうし、

みんなそうして座ってた。

 

杞憂だ。

 

大丈夫。

 

自分にそう言い聞かせて、座り続けた。

 

 

ずっと怖かった。

 

 

ただ、しばらく座ってると、その恐怖は薄れてきた。

 

それでも、あの庇に戻ることはできなかった。

 

船が港に戻った時

庇からは誰も落ちなかったし、庇も無事だった。

 

私が座ってても無事だっただろう。

 

 

それでも私は、船のヘリに座り続けていることだけでも怖かった。

 

でも、座り続けた。

 

 

この、『つまらない恐怖心』を克服したいといつも思っていたから

できる時にはやるようにしてた。

 

鳴門の渦潮の、床ガラスが怖い

鳴門の渦潮にいったときは、足元ガラスのところで

ずっと立って下を見てた。

 

高いところに登った時は、わざと下を見た。

子供の頃よりは高所恐怖症もマシになってきた。

 

もちろん、華山を渡るとか、あんな無茶は今でもする気はないけど

 

『落ちない』と自信を持って公開されている

鳴門の絶景の床ガラスとか、安全なんだ。

 

高所恐怖症の最上級?

高所恐怖症にも、いろいろなレベルがある。

 

友人に、脚立にも登れない高所恐怖症がいることを知った。

 

階段も怖いらしい。手すりにすがりついてると言っていた。

彼女の自宅は一階だけだった。

 

高速道路で、フェンスの隙間から下が見えるから

高架型の高速道路は走れないらしい。

 

 

ああ、もっと大変な人がいるんだな。

 

彼女より私の方がマシだわ、というか

ナイも同じだわ。

 

そう思って、恐怖心はけっこう薄れた。

 

こないだ鳴門行った時に、長々とガラスの上から海を見ていた。

 

始めて床から下を覗いた時の

ヒュッ……と肛門が引きつる感覚は一瞬あったけど

そのあとは平気だった。

 

飛び石が怖い。

近所の公園に飛び石がある。

それは平気。

昔から今までずっと平気。

 

前述の、高速道路に乗れない彼女は、それも駄目だと聞いた。

 

散歩道に川があって、そこにも飛び石がある。

それは、怖い。

怖いけど、ちゃんと渡れば安全なことは分かってる。

だから、『恐怖心克服』のために毎日渡った。

 

恐怖心は無くなった。

 

怖くは無くなったけど、身構えるのは治ってない。

『よし、行くぞ!』と自分を鼓舞しないと渡れない。

 

母はそういうことが全然ナイらしく、

『ここが怖い』と私が行った時に驚いていた。

 

つまりは、私は怖がってるようには見えなかった、ということだ。

 

私は、喜怒哀楽がはっきりしてるので、だいたい感情は読まれやすいけど

怖いと硬直して動かなくなるから、気づかれないらしい。

 

私が怒ると電波みたいなものが出る、と昔から友人に言われていた。

私が瞬間的にイラッとすると、辺りの人が振り返るらしい。

 

私は目の前のイラッとすることに集中してるから

その時に辺り見てるヒマなくて、

私は『みんなが私を振り返ってる』ということを

確認したことはない。

 

だから、『感情』というのは人に伝わるものだ、と思って生きてきた。

小説でも、主役が怒った時とか、

その波動が出るように書いてるのは私の実体験w

 

実際、迫力ある人っている。

 

最近私は薄れたけど、昔は私も迫力があると言われ続けてきた。

 

私が小説で描く主役は、私よりもっとすごいんだから

もっと迫力があるだろう、という前提で書いてる。

 

ただ、最近気づいたけど、

そういう人が周りにいない場合、

本当に漫画みたいにみえるんだろうな、と思った。

 

【この記事を書いた日 2018/08/10 5:19 】

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