『私の直感』が当たるかどうかの見極め方。

アラフィフ創作者の日記
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『私の直感』が当たるかどうかの見極め方。 

 

『自分の判断』を信じるかどうかの分かれ目。 

『直感力』。 

 

普通の生活できる、これの判断は簡単。 

 

コインを投げあげてつかんだとき、 

表裏、どちらがウエになっているか? 

いわゆる『コイントス』というゲーム。 

 

これを10回やって何回当たるか? 

 

それが、『直感力』でいい。 

 

もっと詳しくしたい人は100回でも1000回でもやればいい。 

 

その時に大事なのは、 

『表だと思った』ではなく 

紙に、一回目 表 と『書いた』後でコインを投げて 

あたったかどうかを、その列に『書く』こと。 

 

『そっちだと思った』と後で思う場合。

はずれたときに『そっちだと思った』と『思う』時、あるよね? 

 

これを『負け惜しみ』だと、見過ごさないで! 

 

 

あなた一人でコイントスしているのに、 

誰かに見栄をはる必要ないよね? 

 

それなのに 

『そっちだと思った』のに、 

『そっち』を『書かなかった』のは『なぜ?』。 

 

 

それを考えてね。 

 

一人でやってるから 

時間にも追われてない。 

人に言うのはあとのことだから、現時点では誰にもばれない。 

 

その条件でやってて 

『そっちだと思った』のに 

『そっち』を『書かなかった』理由は? 

 

本当の負け惜しみで言ってる場合もある。 

 

でも 

『そっち』だと思ったのに、 

『結果的にそれを選択しなかった』のは 

『過去に失敗が続いたから』だ。 

 

そういう『仮説』が成り立つ? 

 

成り立つならそれは『直感力』とかとは別の問題なんだ。 

『失敗続きの自分』を信じられないあなた。

私は表だと思った。 

でも、過去にこういう場面でずっと間違い続けた。 

だから今回も、『表』は『間違い』の筈。 

だから、『裏』だと『書く』。 

結果、ハズレる。 

『また失敗した』! 

だからやっぱり、自分の直感ははずれる。 

 

これを、人間の頭脳って、一秒以下でぐるっと考えるのよ。 

 

 

クイズ番組の『二者択一』で『考えても分からない問題』の時。 

 

 

一瞬、 ↑ 『最初に見たのは左の画像』だったけど 

一秒後に、右の画像を選択した。 

 

そして、はずれた。 

 

やっぱり、こういうのはあたらないのよ…… 

 

そういう『経験』を繰り返すと 

『自分の判断』を『信じることができなくなる』。 

つまりは『直感なんて無い』と『思い込む』ことになるのね。 

 

 

でも『最初に見たのは左の画像』だったなら 

それは、『当たり』だよね。 

 

『最初に見たもの』を『選択していた』ら、当たってたよね? 

なぜ、『それ』を『選択しなかった』の? 

 

『考えた』からだよね? 

 

『考える』のは『潜在意識』だよね? 

 

 

つまりは、わかるかな? 

 

『あなたの直感』は『さえてる』けど 

『あなたの潜在意識』が『間違えてる』ってこと。 

 

 

『直感はずっと当たっている』のに 

あなたが『第一インスピレーションなんて当たるはずが無い』と 

『考える』から、 

『直感で決めたもの』以外を選択して 

『はずれ』続けている、ということ。 

 

身に覚えがないですか? 

 

私は山ほどありますww 

 

 

 

クイズ番組で、こういう場面になって 

本当に 

「そっちだと思った」ってことが立て続いたとき 

アレ? 

なんで私は、『最初に見たもの』を『選択』しなかった? 

 

そう、考えたんですね。 

 

『最初にソレを見た』のは覚えてるんですよ。 

でも、違うものを選択してしまったんですね。 

 

 

これを修正するのは凄く大変でした。 

 

『はずれてからわかる』から。 

 

駆け足で飛び石を渡ってるときに 

五つ目の飛び石を左にいかなきゃいけなかった 

って、後からわかるよね? 

 

あれと一緒。 

 

『あたった』ら、 

『それを最初に見た』かどうかなんて、忘れてるの。 

『はずれた』から『過去を振り返る』ために 

『最初に見たのを選択しなかった』ってわかるんだよ。 

 

 

これを克服するには 

『はずれ』のカウントを 

クイズ番組のカウントより先に出してしまうしかないw 

 

つまりは 

『私が選択した時』に 

「これがはずれだったら?」と 

『思う』ことで 

「過去を振り返る」から 

『最初に見たのはこれではなかった』ことに 

『気付く』ことができる。 

この間、0.3秒ぐらい。 

 

まぁ、だから、『最初に見たもの』を選択したからって 

『当たり続ける』わけではないですけどw 

 

『直感力100%』なら、それは、超能力だからw 

 

 

そこで『直感でも外れる』ことに落胆してはいけない。 

 

今まで、『直感を信じず』に60%失敗していたなら 

『直感を信じる』ことで、60%は成功できる。 

そう言うことなんだよ。 

 

 

まじめな人は『失敗だけ』を覚えている。

ギャンブルをしない人は、『失敗』を集中的に覚えてるんだよね。 

 

なぜなら 

『失敗したときの痛手』を二回しないために。 

 

 

想像してみて? 

あなたの頭の中の『パチンコが好きな人』。 

 

現実にいたら一番分かりやすいけど 

そういう『ギャンブルをする人』を想像してみて? 

 

彼らは『当たったこと』しか覚えてないの。 

『成功したこと』しか、覚えてないんだよ。 

 

だから、トータルではマイナスだとしても、 

ギャンブルにつぎ込んでしまう。 

 

だって『自分はギャンブルで稼げている』と 

『思ってる』から。 

 

 

ギャンブルで生計を立てている人は別ね。 

そういう人は飛び抜けて頭がいいから 

自分の直感だって、良い方向に信じてる。 

 

 

『失敗だけを覚えている』あなたが 

『成功だけを覚えている』ギャンブラーを 

理解できると思います? 

 

 

『失敗だけを覚えている』人は 

失敗が怖いから、失敗を覚えているのね。 

『失敗しないように』行動するから 

『失敗はしない』けど、 

『やることが少ない』から 

『成功もしない』のね。 

 

トータルで『失敗したこと』しか、 

人生に残らないから 

『私はナニやってもだめだ……』となる。 

 

 

『成功だけを覚えている』人は 

失敗なんて気にしてないの。 

この時点で『失敗だけを覚えている人』には意味不明w 

 

だから、『何回でもトライ』して 

たまに『大当たり』を出すわけ。 

 

「『大当たり』を出す自分」を『知ってる』から 

『また挑戦する』の。 

 

トータルで成功しているかどうかは後の話。 

 

でも、趣味で一年に100万円ぐらい使うことあるよね? 

ギャンブルで負ける金額が、それぐらいなら 

それは『大当たりの時の気分の良さ』でチャラにできる。 

 

趣味ってそういうもの。 

 

 

 

日本人は学校教育で『平均になること』を強いられる。 

『弱い強化』を補修される。 

 

だから『弱い分野を平均点にすること』に人生をかけてしまう。 

 

『弱い分野』を『補修する時間』で 

『強い分野』の世界的問題を解けば 

弱い分野なんて、誰も気にしなくなるのに。 

 

そういうふうには先生も親も教えてくれない。 

 

100点取ったテストには何も言わず 

低い点数のテストだけをガミガミ怒る。 

これが『失敗』体験だと『思ってしまう』と変わる。 

 

『テストの点数が悪いのは失敗』だと思って 

『失敗したくない』、『怒られたくない』からみんな 

『低い点数を高くするため』に学習時間を使ってしまう。 

 

小学校の数学なんて100点普通にとれるから 

大学の数学の問題集頂戴 

なんていう子供がいたら親はなんて言う? 

 

国語が赤点なのにナニ言ってるの!! 

ってなるよね? 

 

国語は、日本語で意思疎通できてればいいじゃん。 

そう、私は思う。 

 

一生かかって、使わないような 

御伽草子の暗唱って必要ですか? 

それができないから点数が悪いのを、責めますか? 

って話。 

 

もちろん、子供の頃に『暗唱』することで 

『脳の活性化が著しい』というのはあるので 

したほうがいいけど 

すでに、数学が100点なら、 

数学でもっと上のレベルに行った方が 

絶対にその子は延びますよ、ってこと。 

 

 

数学が博士レベルの小学生でも 

国語が悪いと、国語の勉強を差せられてしまう。 

それで、勉強が嫌いになって 

数学もしなくなって 

数学の能力は消える。 

 

これが『失敗体験』になって 

『失敗したくない』に注力し始めると 

『自分の直感』なんて、信じる意味がなくなる。 

 

 

親や教師が、どれだけ子供の芽を積んでるのか、と 

この年になるとよく思う。 

 

 

また話がずれたな。 

 

とにかく『直感』が当たるかどうかは 

『あなたが邪魔をしてるかどうか』なんだ。 

 

『良い判断』は『直感』ではない。

結果的に 

『判断が良い人』って 

一瞬で、過去を振り返って、ベターな手段を『選択』してるんだよね。 

『直感』ではないんだよ。 

 

 

ここで重要なのが『ベターな手段』を『選択する』ということ。 

 

『ベストな手段』を『求める』と失敗する。 

 

グッド 良い。 

ベター よりよい。 

ベスト 最高に良い。 

 

 

『ベスト』なんて、そこらへんに転がってない。 

 

今だと、政治が顕著だよね? 

『こんな政治家じゃ駄目だ』ってたたきまくる。 

 

じゃあ『どんな政治家が理想なの?』って聞いたら 

夢物語な『ベスト』な『政治家像』を出してくる。 

 

 

でも、その『夢物語な人』は『立候補してない』んだから 

『立候補してる中』から『よりよい人』を選ばなきゃいけないんだよ。 

 

だいたいに置いて『ベスト』なんて選択できない。 

『選択肢』に『ベスト』が並んでないから。 

 

 

『安売り』のスーパーに行って 

『無農薬の野菜』を探してはいけない、ってこと。 

 

『無農薬の野菜』がベストだけど 

それがほしいなら、『高いものを売ってるスーパー』にいかないといけない。 

安売りのスーパーに行って、 

『無農薬がないからだめだわ』って 

『何も買わずにかえって飢え死に。 

なんて、しないよね? 

 

 

『無農薬の野菜』がなくても 

『そのスーパーにある中で「よりよいもの」』を買って帰るよね? 

 

その時に、直感が生きる。 

 

でも大体は直感じゃなく 

これは葉がしおれてる 

これは傷んでる 

これは新鮮で話さそう 

そういう『情報』で判断するよね? 

 

つまりは、『直感を鍛える』ことをしても 

あまり生活には代わりばえがない、ということw 

 

直感を鍛えるよりは 

『自分に必要な情報』を暗記して、 

『すぐに思い出せる能力』 

のほうが、使い勝手が良い。 

 

まとめ

ここまで書いてなんだけど 

『直感なんてどうでもいい』から 

『直感が当たらない』ことなんて気にすンな! 

ってことだ!w 

 

 

 

【この記事を書いた日 2020/04/19 11:21 】 

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