私の『暗黒期』。

子宮筋腫、貧血、更年期障害、『一日一食』、糖質制限未分類
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子宮筋腫による極度の貧血と若年性更年期障害や胃炎で

10年ほど体調不良が続いていて、

にっちもさっちも行かなかった時期w

 

これを『私の暗黒期』と名付けることにした。

 

『黒歴史』ではないw

 

自分の怠慢だと自己嫌悪していた日々。

『思うように小説が書けなくなった』のと

『同人誌の売上が下がった』ので

利益は出ていたけど、同人誌をすっぱりやめた。

 

その寸前から3Dに手を出していたので

完全に3D作成にシフトした。

 

それでも、『もうちょっとできるだろ』とどこかで思いながらも

一日に午前中の四時間しか作業していないありさま。

午後はもう、何もできない。

 

そんな自分を『怠慢』だと『私が非難』し

どんどんストレスが肥大化し

何もできなくなって、毎日ゲームをしていた。

 

作業しろよ、ゲームなんてせずに。

作業しろよ! 漫画なんてよんでないで!

 

自分で自分を責め続けて、ストレスに過食になり

太ることでさらにストレスをうけてさらに過食。

 

 

 

襖のしみが人の顔に見えた。

それが幽霊に思えて勝手に怖がった。

 

スーパーの階段の上から下を見下ろして

ここから落ちたら楽になるだろうな、って何度も思った。

 

 

でも、これは、前に整理整頓してたんだ。

シミュラクラ現象

三つの点があったら人の顔に見える。

これは人間の脳構造からきているので『気にしなくてよい』ということ。

 

『人の顔に見えて怖い』のは『私の精神がやられている』から。

だから、『このしみが人の顔に見えた』なら、

脳がやられているから、まず休息をとれ。

眠れ。

 

そういうルーチンを作っていた。

 

そういうルーチンを作っていても

『怖い』と『思う心』は止められないんだよね。

 

『怖い』と思う時点で『気分が悪い』んだよ。

 

だから、睡眠改善のためにも枕を変えてみた。

 

 

突然、激しい頭痛に襲われ、『寝てるしかできない』状態になった。

頭を水平に30度以上動かすと痛い。

歩く時にどんどん、と衝撃が来るのでも痛い。

だから寝てるしかできない。

 

寝返りをするときに悲鳴が出るほど痛い。

テレビを見ているのも、しんどい。

でも、目を閉じると頭痛に集中してしまうからつらい。

 

漫画を読めるだけの気力がない。

ゲームなんて、まったくできない。

 

ああもう……なんか、これで私の人生終わるのかな……

 

リビングで、見たくもないテレビを見続けて

腐っていく自分に泣いた。

 

泣いたことでまた頭痛が起きて

その痛みにないた。

 

泣くしかできなかった。

 

 

三日ぐらいそれが続いたとき

自殺するか、頭痛を改善するか。

その二択を自分にせまった。

 

 

なぜ頭痛が始まった?

いつから?

三日前だ。

四日前に何した?

いつもと違うことをしたのか?

 

この頭痛は『私が原因』なのか?

それとも『病変』なのか?

 

ふと、思いついた。

 

枕を変えたんだ。

 

少しだけ、高い枕にしていた。

 

枕を変えただけでこんな頭痛になる?

今までだって、何回も変えてきたのに?

 

 

とにかく、それを、元の枕にした。

古い枕、捨てようと思ってたけど、まだ部屋に残ってた。

 

それに変えた翌日。

頭痛は少し軽くなった!!!

 

五日。

頭痛は徐々にだけど、完全に消えた。

 

 

良かった……

 

心から、『自分の挑戦』を褒めた。

 

『死ぬ』という選択をしなくて良かった。

その時の自分に感謝した。

 

 

だから、挑戦しないといけないんだ。

もっと、幸せになるために。

 

  • 何が自分に悪いのか?
  • 何が自分によいのか?

 

私が実践しないと見付けられないんだ。

 

 

体調不良も、ようやく

それが、極度の貧血だと、理解した。

『貧血』の最大症状は『疲労感』『倦怠感』
自分が貧血ではない、と、あなたは言い切れますか? 貧血は、女性に多い『病気』です。 月経で毎月、血が流出するので 健全な食生活をしていないと、 すぐに鉄分不足になるのです。 そして『みんな貧血なんだから重病ではない』と みんな思ってて、 私も思ってて 『貧血ぐらい』と思って治療せず、人生が数年壊れました。 貧血の最大の症状は『疲労(倦怠)感』です。 貧血の最大の症状は『動けない』です。 『慢性疲労』を感じているなら あなたは今すぐ、病院で貧血の検査をしてもらってください。 貧血だったら、軽度でも 『標準値』になるまで、『病院の鉄剤』を飲んで下さい。 その鉄剤がなくなったら、 もう一度病院で血液検査をしてもらってください。 一年に一度は、血液検査をして、貧血でないか確認してください。 あなたの『疲労感』は貧血によるものかもしれないのですから。 貧血。私の場合。 第1弾。 ダイエットで20キロぐらいやせた、19才の時。 早朝ジョギングと一日一食で痩せました。 風邪を引きました。 病院に行きました。 私の顔を見るなり、子供の頃から懇意のお医者さんに叱られました! なんやその顔! 風邪ちゃうぞ...

 

 

『私の怠慢』だと思っていた『あとまわしの癖』は

『物理的に動けなくなっていたからなんだ!』

 

それがウソでも本当でもいい。

『私の怠慢だけが理由ではなかった』と『わかった』だけで

私は凄く気が楽になった。

 

さくさく作業が進むようになり

3D政策もサクサクすすんでいた。

 

そしてまた、訪れた不調。

貧血を完治させたら、若年性更年期障害が来た。

婦人科を受診した話
「婦人科を受診した話」の記事一覧です。

更年期障害はそのうちなくなる。

『目眩』で出歩くのが怖くなり

『のぼせ』が一日中、突然発生するので

室温が8度でも、シャツ一枚まで脱いでも汗が出る。

 

丁度そのころ、母の友人が、高いところから落ちてなくなっていた。

私の散歩コースの一カ所だったんだ。

 

そこで目眩を起こしたら、私も、死ぬ。

 

それが怖くて、外に出ることができなくなった。

 

朝起きて、寝返りをうつだけでぐらっと目眩がする。

朝一番から気分は最悪。

 

その上でのぼせが突発的に襲ってくる。

 

これが夜中に発生すると当然眠れないし、目が覚める。

上手く眠れないから昼間もはっきりしない。

 

貧血のときより精神的につらかった。

 

 

ただ、原因ははっきりしていたので

貧血の時のような『私の怠慢』だとは思わなかった。

 

最初は薬を飲んでいたけど

一日三回飲むという手間をとっているのに、

目眩とかのぼせが少なくなる気配もない。

 

多分、病院に通って、いろんな薬を飲んで

はまる薬があれば、スッキリしたんだろうと思うけど

その手間をとるのが面倒だった。

 

うちの近所には産婦人科が一つしかないために

予約を取るのが大変だし

予約をとっても待ち時間が酷い。

 

↓ こういう病院だから、行くのがイヤだった。

婦人科を受診した話。5
婦人科を受診した話 | ポジティブにGTD シリーズ一覧。 婦人科次の予約入れる。 次は予約で来るよ! 「できるだけ早い時間がいいです」 「じゃあ、9時15分でよろしいですか?」 「それでいいです」 「では、予約入れますねー。  この日の、九時半から10時の間に、受け付け済ませてくださいねー」 どういうことなの? さすが大阪。 綺麗にオチがついた! 事実ですよ。 9時15分はどこに行ったの????? 「じゃあ、十時前に入ってもいいんですか?」 「はい」 んんんんんんん???? 【この記事を書いた日 2018/10/08 11:03 】 朝から五時間もこれ書いてたw

 

しかも、この病院、看護師さんの注射がヘタだから

五回も穴をあけられた……(TT)

女医さんは一発で入れてくれたのにナー。

 

私の腕は『注射をしにくい腕』だと自他ともに認めるところだけど

ワーストワンはこの病院だ。

 

さすがに、五回も打ち直しされたのはここだけだった。

 

肘の内側に一回注射されるぐらいなら、10分で治るけど

五ヶ所もさされたら大怪我だよww

 

↓ こんな所にさされたら、まじ、二週間ぐらい痛い。

こんな病院と付き合いたくないやん?

 

しかも、九時15分に予約とってるのに10時半まで待たされるとか。

 

だから結局、最初の二カ月は処方箋の薬を飲んでみたけど

あとは放置してた。

 

だからずっと、のぼせと少しの目眩でフラフラしてたんだ。

 

だからこそ『家の中で運動する』ことを考えたので

梅雨だろうが雪だろうが、『運動量はいつも一緒』という状態を作り出せた。

 

 

どうせ体調が悪いなら、と断食してみた時期w

完全断食を3週間
「完全断食を3週間」の記事一覧です。

 

そして、『一日一食』になった。

糖質制限と一日一食を続けて気付いたこと。
糖質制限を二年、一日一食を三年ほど続けて気付いたこと。 → 年数 → 貧血治療をして 『貧血』の最大症状は『疲労感』『倦怠感』 | ポジティブにタスク管理 子宮筋腫~更年期障害の対策をして 婦人科を受診した話 | ポジティブにタスク管理 断食とかしてみた。 完全断食を3週間 | ポジティブにタスク管理 断食で体が変わった可能性はあるけど 食生活が激変した。 脂肪は一日でニキロも増えない。 糖質制限をすると 『ロカボ食でないもの』を食べたとき 翌日、体重がニキロほど増える。 これを『変』だと思わなかったんだ。 ああ、そんなに太るんだな そう思ってた。 筋肉や脂肪は一日でニキロも増えない。 以前から、イベントの前後でニキロ程 体重が増加することはよくあった。 だから『普通』だと思って見過ごしてたんだ。 脂肪や筋肉は、一日でニキロも増えない。 というか、食べたのは正午なんだから 翌朝の排便後の測定なら、半日になる。 半日でそんな増えるわけない。 つまりは『ナニが増えていた?』 水分だ。 『むくみ』で太ってる。 むくみが酷かったときの足の写真。 『立ちパソ(立ったままパソコン作業をする)』を始...

 

その上で、糖質制限を始め、

今はグルテンフリーまで手を出している。

 

 

それでも痩せない。

太らないんだけど、痩せない。

 

圧倒的に摂取カロリーとか低いはずなのに!

 

山の中に引越しをして、

『アメリカの会社との仕事のストレス』がかかったときに過食期が来た!

三日で二キロずつ増える恐怖!

 

あわてて、こんにゃくを丼一杯食べてみたり

キュウリを一日三本食べてみたりと

食生活を変えたけど、そのことでまたストレスをうけて

過食が停まらない……

体重増加が停まらない……

太ることでさらにストレスになって過食……

仕事はうまくいかない……

 

その上で、足を捻挫して、歩くことすら困難になった。

 

 

動けなくなってようやく、理解した。

がんばらなくてもいいんだわ。

 

ふと、思ったんだ。

 

 

丁度そのあと、『アメリカの会社』との仕事が

破綻で終わったw

 

半年頑張っていたので却下で終了したのは凄く残念だったけど

凄く、思ったんだ。

 

これでもう、頑張らなくていい……

 

 

二週間ほどボーっと過ごしてようやく元気になったのか

また、『アメリカの会社』と新規仕事を立ち上げて

今度はうまくいった。

 

捻挫もなおりかけた頃にもう一度捻挫した(TT)

 

でももう、焦ることはなかった。

 

丁度、引越ししてからずっと、

『呼吸瞑想』をしてたんだ。

 

私は『瞑想』のつもりではなかったけど

寝るとき、起きるときに

『一呼吸を何秒間続けられるか』という『自分に挑戦』をしていたw

 

『自分に挑戦』して『勝ち続ける』と気分が楽になる。

『呼吸』は最初、

四秒ずつ、吐いて、吸って、吐いて、吸って、だった。

 

それが、六秒ずつになって、八秒ずつになった。

そのころに

 

吐いて、吸って、止める、という方法を知った。

箱根駅伝の原監督が生徒に推奨している呼吸法だということだった。

 

  1. 四秒吐いて、
  2. 四秒すって
  3. 八秒とめる。

 

空気を吸っている状態でとめるから、腹筋にもいいし

横隔膜も酷使するので、体幹が強くなる。

その上で腹式呼吸なので色々よい。

 

それをずっとしているとふと思った。

『何秒間吸えるだろう?』

 

そうおもって、

四秒ずつ→八秒ずつ→10秒ずつ……

ずっと増やしていったら

結果的に、最高記録が

  1. 45秒吸う
  2. 45秒止める
  3. 45秒吐く
  4. 合計、2分15秒!

なにこれ、私、海女さんにでも立候補するんか???

 

 

というか、半年で肺活量ってそんな増えるの???

 

 

ここで、不思議だったのが

『一呼吸一分』を超えた当たりで、ふっと、

『気が楽になった』んだよね。

 

DAIGO君の『Dラボ』の有料動画を見るようになったのはこの後なんだけど

結果的にこれが『呼吸瞑想』になってたっぽい。

 

『瞑想』で精神が鍛えられたから、

いろんなことが楽になったんだ。

 

 

瞑想って凄いねぇ!!!

 

ついでに

そこに自力でたどり着いた私凄いねぇ!!!

そう、我褒めしておくww

 

10時間睡眠。

疲れたときの『10時間睡眠』。 | ポジティブにタスク管理

 

結局、この時私がした『10時間睡眠』というのは

  • 七時間睡眠
  • 寝る前一時間の瞑想
  • 目覚めに三時間の瞑想。

これで10時間。

 

結局、二カ月ずっと、四時間の瞑想をしていたことになる。

 

『瞑想』でいろんなものか覚醒するって言うけど

私は、したんじゃないかな、と思う。

 

なんか、いろんなものからの『束縛がはずれた』気がした。

 

このあたりから『自分を使って実証実験』をたびたび繰り返したんだよね。

だって、体調が悪くて作業が進まないんだから

ゲームしてるか漫画読んでるかだけだったので

体調がもっと悪くなったって大丈夫だと思ったからw

 

その時の実証実験が今の私を支えてると言ってもいい。

 

 

私に合う方法は私が見付けるしかない。

いろんなダイエットをやって、結局

継続しやすかったのは『アトキンスダイエット』。

つまりは、『糖質制限』。

 

これはもう、両親もここ二年で導入して

今、うちの家でパンと米の需要は限りなく低い。

 

『私の暗黒期』にあがいてあがき続けて

  • どうにか楽にならないか?
  • どうにか作業が効率よくできないか?

そうやって模索したことは

あの時期はどうにもならなかった。

 

だからこそ、私はもう、このまま腐っていくしかないのか……と

絶望した。

 

でも、『あの時は物理的に体が動かなかった』だけで

貧血が治ったら動けるようになった。

 

更年期障害はつらいけど、でも

貧血ほどじゃないんだ。

 

貧血は『24時間ずっとしんどい』んだよ。

でも、更年期障害は

『突発的』に目眩とのぼせが来るだけなので

たとえ、一時間に三回のぼせがきたとして、

回復に10分かかったとしても

 

のぼせと目眩がないときは、『普通』なんだ。

 

ただ、のぼせは体温が37度5分ぐらいまで上がるので

『熱で疲れる』状態はずっと続いていた。

 

肌はぼろぼろになってカサカサだし

食事は苦いし……

 

ただ『極度の貧血』よりはマシだったんだよ。

 

アメリカの会社とすったもんだしてたときも思ったんだ。

英語で、初めての作業のやりとりだから

『意思の疎通』がまず50%ぐらいしかできていない。

 

そんななかで、リテイクリテイクリテイクで

発狂寸前だった。

 

でも、思ったんだ。

 

元旦から四日間、家族で四国お遍路したときよりはマシ。

山登りみたいな弥谷寺を登って、

過呼吸を起こしてうずくまっていたあの時よりよっぽどマシ!

 

四日の午後に

キャーッ! って叫んで走り回りたい欲求にかられたww

 

あれが、パニック映画でよくある

『無駄に騒いで最初に殺される人』の心境なんだろう。

 

過去にも一度あったけど、実際に私は

『走り回ることはなかった』んだ。

 

ただ、頭の中はパニックを起こしていた。

キャーッ!って叫んで走り回っていた。

頭の中ではww

 

今は、あの時よりましだ。

 

『苦労は買ってでもしろ』という言葉が毎日頭の中を飛び交っていた。

四国を回っていなければ私はいま

『あの時よりマシ』という経験をしていないから

直接につらかっただろう。

 

でも、実際に、パソコンで3Dのデータを作っているだけ。

身体的疲労はないし

精神圧迫といったって、英語で意思疎通がしんどいだけ。

初めての取引だからうまくいっていないだけ。

初めてやることはうまくいけばラッキー。

できなくても当然。

だから失敗したならもう一度やればいい。

この心境を、私はすでに手に入れていた。

 

『死なないこと』なら何度でもやり直せばいいんだ。

『命に関わること』だけ、慎重に進めればいい。

 

死なないなら、大胆にやっちゃえばいいんだよ。

失敗したって死なないんだから。

 

これは、大昔ミクシィのグループで

『死ぬ気でやれよ、死なないから』というのがあったんだ。

あのころはやっていた、アメリカドラマ『24』のジャックがアイコンになっていた。

 

だよな。

死ぬ気でやったって死なないよね。

ジャックがやったことに比べれば

私の日常なんてへでもないよね。

 

『死ぬ気でやればいいんだ。死なないんだから』

 

そう思って、この10年生きてきた。

腐りかけたけど復活した。

 

私は以前、同人誌すらやめそうになったことがある。

 

『手紙が投函できない』という、ノロイをかけられたような状態になったんだ。

申込書を書いているのに、それを投函することができないから

イベントに参加できなかった。

 

RTちゃんが申し込み全般を受け持ってくれるようになって

復活できたんだ。

 

あの時、RTちゃんが助けてくれなかったら

私は『唯一好きだった「小説を書くこと」』すらできなくて

あのまま腐ってしまっていただろう。

 

本当に感謝していますRTちゃん。いつもありがとう!

 

 

私は、一人で生きていない。

ずっと、誰かに助けられて生きてきた。

 

だからこそ、あの、頭痛で生死を自分に問うたとき

『死ぬ』という選択は、なかったんだ。

 

私が今、死ぬことを選んだら

今まで助けてくれた人達の労力が全部無駄になる。

 

みんな、ひまだから助けてくれたんじゃないんだよ。

時間をつくって助けてくれたんだよ。

 

そんな恩を受けておいて、私が死んでいいはずがない。

 

 

私だって『助けられる人』になりたい!

自分の性格を無理やり治した。 | BL作家 晶山嵐の日記
人生50年。

いろんなことがあった。

 

会社を起こしたり、倒産したり、とかそんな大それたことはしていないけど

でも、私の両親から見ると私は無茶な人生を歩いていたらしい。

 

 

それでも、まだ、歩いていく。

私はしたいことがたくさんあるんだから。

 

まとめ。

現時点ではまだ更年期障害が終わってないけど

体力増強も随分うまくいっているし

二時間連続で歩き続けるぐらいの体力はついた。

(回復に1週間かかったけどw)

 

以前は父との散歩だと小走りだったけど

今は私の方がはるかに早く歩けているし疲れない。

 

『山に引っ越してきた』からこそ、

『家の前が坂』だからこそ。

『家のまわりに平地がない』からこそw

『坂を歩く』ことで筋トレになる毎日。

 

毎日15分、坂を往復しているだけなのに

大阪にいたときより三年も年をとったのに

あの頃よりはるかに体力がある私。

 

何歳になっても鍛えられる。

何歳になっても成長できる。

 

何歳からでも始められる。

 

来年、更年期障害が終わると思う。

苦しい間に体力増強していた、その成果が

来年の私を、はるかに楽にしてくれていると期待している。

 

 

三人の占い師に『大器晩成』って言われ続けてきたw

その『晩成』の時期が今から始まるんだ。

 

若いときだって一山あてていた。

それ以上の一山ふた山を、この先軽々クリアできるよう

ゆっくり登っていく。

 

【この記事を書いた日 2022/05/07 19:20 】

 

 

 

 

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